「学び合いの会」では、2016年9月26日の今回から、2010年度におこなわれた上智大学キリスト教文化研究所の聖書講座『さまざまに読むヨハネ福音書』シリーズでの連続講義が改めて取り上げられます。今日はそこでの増田祐志師の講義「ヨハネ福新書が神学に与えた影響」が再度紹介されました。
全体は三部に別れ、第一部「聖書におけるヨハネ福音書の位置」 第二部「キリスト論論争」 第三部「ヨハネ福音書と現代」 と題されています。増田師は専門は教義学、特にキリスト論とのことですが、当時かれはアメリカ帰りのバリバリの若手神学者で、かなり個性的というか、現代的なキリスト論を展開しておられたようです。
さて、第一部「聖書におけるヨハネ福音書の位置」。ヨハネ福音書の重要性は一言で言えば、カトリック神学の骨格を作っており、神学への影響力は共観福音書の比ではない。カトリック神学そのものと言っても良いくらいである。増田師はまず新約聖書の歴史を整理する。かれの説明を理解するために少し前提となる知識をおさらいしておこう。
聖書が書かれた(纏められた)時期で言えば、一番古いのはロマ書で58年くらい。次にマルコ福音書が70年前後に書かれ、やがてQ資料と共にマタイ・ルカ福音書が80年代中葉に書かれる。そしてヨハネ福音書はそのあと90年代に書かれたというのが普通の説明だ。 新約聖書にある27文書中パウロ文書は14と言われ、神学的にもパウロ書簡(文書)は決定的に重要だ。キリスト教というより「パウロ教」と揶揄する人も出てくるほどその神学的影響力は大きい。特に「ロマ書」は時期的にも教義的にも重要で、「霊・肉の二段階キリスト論」が述べられている(ロマ書1:3)。ここではイエスの「復活」こそ信仰の中核とされる。パウロが書いた一番古いと言われるガレテヤ書も重要らしいが、ロマ書こそ書簡中の書簡と呼ばれているらしい。
ところが、マルコ福音書では、1:9-11に見られるように、「洗礼」が重視される。「復活」論ではなく、「洗礼」論だという。神学的には「下からのキリスト論」と呼ばれるらしい。この「下からのキリスト論」はマタイ・ルカ福音書をも貫いており、イエスの降誕物語(クリスマス・ストーリー)が中心となる。
これに対し、ヨハネ福音書では、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」から始まる(1:1-3)。この「言が肉となった」という主張は「ロゴス・キリスト論」と呼ばれ、マルコとは対比的に、「上からのキリスト論」と呼ばれるという。言とはロゴスのことだからだ。このロゴス・キリスト論が、長く激しいキリスト論論争を勝ち残り、カトリック神学の中核となっていく。
増田師は新約聖書におけるキリスト論の特徴を三つにまとめる。①キリスト論はたくさんあるが、どれもイエスが神と人との歴史的仲介者であるという内容を含んでいる②どのキリスト論も「救い」と結びついている③イエスの人格は常に神性と結びついている。
こういう前提の上で、増田師はヨハネ福音書におけるイエスについての言明は「演繹的」であり、共観福音書が持つ「帰納的言明」とは異なると述べる。自分としてはもう少し「帰納的な」イエス論に親しみを感じると言われたようだ。帰納的とは、「イエスはXXXしたから神の子だ」という言明で、演繹的とは、「神の子であるイエスはXXXだ」という言明のことだという。
第二部ではキリスト論論争が詳しく紹介される。受肉したロゴスの神性と人性を巡る論争である。まず、養子説、仮言説、従属説、様態説などの異端説が否定され、ホモウオーシス(父と子の同一本質)説が確認される歴史が説明される。ニケア公会議(325)、エフェソ公会議(431)、カルケドン公会議(451)を経て、ヨハネ流のロゴス・キリスト論が確立されていく。この過程でキリスト論は徐々に形而上学的・存在論的になっていき、共観福音書が持つ「イエスのこの世的イメージ」が後退していったという。当時の公会議は教皇ではなく皇帝によって開催されているが、こういう歴史的事実もこのロゴス・キリスト論の確立に影響を与えているようだ。
第三部「ヨハネ福音書と現代」では、増田師はヘンゲルにしたがって、ヨハネ福音書には五つの構成要素があるという。①神学的形成意思②著者の個人的記憶③教会の伝承④歴史的現実性⑤聖霊の導き。詳細を記す余裕はないが、増田師は詳しい説明をされたようだ。これらは聖書学的には重要なテーマのようだが、増田師の主張はまた別の論文で整理してみたい。
キリスト論には大別して二種類ある。狭義のキリスト論と広義のキリスト論である。キリスト論は狭義で言えば、「イエスとは誰か」と問うし、広義では「イエスは何のために来たのか」と問う(救済論)。こういう意味では増田師は狭義のイエス論を展開していると思われる。師は「下からのキリスト論」を重視し、ヨハネ流の上からのキリスト論から距離をとろうとする。「ヨハネとの正しい距離感」を持ち、「友であるイエス」「解放者イエス」「同伴者イエス」など多様なイエス論を回復したい、と結ばれたようだ。
個人的印象でいえば、明快な主張がでていて学ぶところが多かった。キリスト教が「パウロ教」というより「ヨハネ教」と呼んでもいいほど「ロゴス・キリスト論」を中心として形成・発展してきたことがよくわかった。日本のカトリックがこのヨーロッパ産のキリスト教のさらなる発展に貢献できる余地はまだ十分あると思った。
全体は三部に別れ、第一部「聖書におけるヨハネ福音書の位置」 第二部「キリスト論論争」 第三部「ヨハネ福音書と現代」 と題されています。増田師は専門は教義学、特にキリスト論とのことですが、当時かれはアメリカ帰りのバリバリの若手神学者で、かなり個性的というか、現代的なキリスト論を展開しておられたようです。
さて、第一部「聖書におけるヨハネ福音書の位置」。ヨハネ福音書の重要性は一言で言えば、カトリック神学の骨格を作っており、神学への影響力は共観福音書の比ではない。カトリック神学そのものと言っても良いくらいである。増田師はまず新約聖書の歴史を整理する。かれの説明を理解するために少し前提となる知識をおさらいしておこう。
聖書が書かれた(纏められた)時期で言えば、一番古いのはロマ書で58年くらい。次にマルコ福音書が70年前後に書かれ、やがてQ資料と共にマタイ・ルカ福音書が80年代中葉に書かれる。そしてヨハネ福音書はそのあと90年代に書かれたというのが普通の説明だ。 新約聖書にある27文書中パウロ文書は14と言われ、神学的にもパウロ書簡(文書)は決定的に重要だ。キリスト教というより「パウロ教」と揶揄する人も出てくるほどその神学的影響力は大きい。特に「ロマ書」は時期的にも教義的にも重要で、「霊・肉の二段階キリスト論」が述べられている(ロマ書1:3)。ここではイエスの「復活」こそ信仰の中核とされる。パウロが書いた一番古いと言われるガレテヤ書も重要らしいが、ロマ書こそ書簡中の書簡と呼ばれているらしい。
ところが、マルコ福音書では、1:9-11に見られるように、「洗礼」が重視される。「復活」論ではなく、「洗礼」論だという。神学的には「下からのキリスト論」と呼ばれるらしい。この「下からのキリスト論」はマタイ・ルカ福音書をも貫いており、イエスの降誕物語(クリスマス・ストーリー)が中心となる。
これに対し、ヨハネ福音書では、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」から始まる(1:1-3)。この「言が肉となった」という主張は「ロゴス・キリスト論」と呼ばれ、マルコとは対比的に、「上からのキリスト論」と呼ばれるという。言とはロゴスのことだからだ。このロゴス・キリスト論が、長く激しいキリスト論論争を勝ち残り、カトリック神学の中核となっていく。
増田師は新約聖書におけるキリスト論の特徴を三つにまとめる。①キリスト論はたくさんあるが、どれもイエスが神と人との歴史的仲介者であるという内容を含んでいる②どのキリスト論も「救い」と結びついている③イエスの人格は常に神性と結びついている。
こういう前提の上で、増田師はヨハネ福音書におけるイエスについての言明は「演繹的」であり、共観福音書が持つ「帰納的言明」とは異なると述べる。自分としてはもう少し「帰納的な」イエス論に親しみを感じると言われたようだ。帰納的とは、「イエスはXXXしたから神の子だ」という言明で、演繹的とは、「神の子であるイエスはXXXだ」という言明のことだという。
第二部ではキリスト論論争が詳しく紹介される。受肉したロゴスの神性と人性を巡る論争である。まず、養子説、仮言説、従属説、様態説などの異端説が否定され、ホモウオーシス(父と子の同一本質)説が確認される歴史が説明される。ニケア公会議(325)、エフェソ公会議(431)、カルケドン公会議(451)を経て、ヨハネ流のロゴス・キリスト論が確立されていく。この過程でキリスト論は徐々に形而上学的・存在論的になっていき、共観福音書が持つ「イエスのこの世的イメージ」が後退していったという。当時の公会議は教皇ではなく皇帝によって開催されているが、こういう歴史的事実もこのロゴス・キリスト論の確立に影響を与えているようだ。
第三部「ヨハネ福音書と現代」では、増田師はヘンゲルにしたがって、ヨハネ福音書には五つの構成要素があるという。①神学的形成意思②著者の個人的記憶③教会の伝承④歴史的現実性⑤聖霊の導き。詳細を記す余裕はないが、増田師は詳しい説明をされたようだ。これらは聖書学的には重要なテーマのようだが、増田師の主張はまた別の論文で整理してみたい。
キリスト論には大別して二種類ある。狭義のキリスト論と広義のキリスト論である。キリスト論は狭義で言えば、「イエスとは誰か」と問うし、広義では「イエスは何のために来たのか」と問う(救済論)。こういう意味では増田師は狭義のイエス論を展開していると思われる。師は「下からのキリスト論」を重視し、ヨハネ流の上からのキリスト論から距離をとろうとする。「ヨハネとの正しい距離感」を持ち、「友であるイエス」「解放者イエス」「同伴者イエス」など多様なイエス論を回復したい、と結ばれたようだ。
個人的印象でいえば、明快な主張がでていて学ぶところが多かった。キリスト教が「パウロ教」というより「ヨハネ教」と呼んでもいいほど「ロゴス・キリスト論」を中心として形成・発展してきたことがよくわかった。日本のカトリックがこのヨーロッパ産のキリスト教のさらなる発展に貢献できる余地はまだ十分あると思った。