D・ルケッティ監督の映画「ローマ教皇になる日まで」を観てきました。ジャックアンドベティでしたが、客席はお客でほとんど埋まっていました。観客の多さからみてお客さんは必ずしも信者さんばかりではないようでした。もう少し宗教性のある映画かと思っていましたが、監督はクリスチャンではないらしく、宗教映画ではありませんでした。やがて教皇に選出される一人のイエズス会司祭が1970年代のアルゼンチンの軍事独裁政権下をどのように生き延びたかをサスペンス風に描いているといってよいでしょうか。かといって偉人伝とか成功物語というものでもなく、フランシスコ教皇の人間的親しみやすさと質素な生活態度がどのように作られてきたかを描いているように思われました。映画として上出来かどうかはわたしには判断できませんが、あぁこの人にならカトリック教会を任せて良いな、と思わせてくれたという意味で良い映画でした。全編バックグランドにタンゴが流れていたのが印象的でした。映画のタイトルで言えば、映画の配給会社は法王で行くか、教皇で行くか随分と迷ったようですが、教皇を選んでくれたらと思わなくもありませんでした。監督はイタリア人で、ベルゴリオ神父(フランシスコ教皇)もイタリア移民の子ということでイタリア映画なのかもしれませんが、言葉は若干ドイツ語とイタリア語が入っていたきりですべてスペイン語のように聞こえました(アルゼンチンではスペイン語とは言わないようですが)。そういう意味ではアルゼンチン映画と呼んでも良いのかもしれません。映画はアルゼンチンの時代背景は既知のものとしてベルゴリオの半生を描いているようで、軍事独裁政権そのものの説明はなされていません。
70年代のアルゼンチンを描いた映画と言われても、わたしなどはアルゼンチンについて何も知らない。アルゼンチンと言われて思い浮かぶのは、わたしの世代で言えば、「母をたずねて三千里」、タンゴ、ペロン、フォークランド紛争くらい。この映画を観る前に少しは予備知識を仕入れていくべきだったと後悔した。アルゼンチンは人口4千万弱、面積も広く、南米ではブラジルに次ぐ2~3位の大国らしい。だが第二次世界大戦以降は政治的にも経済的にも混乱と混迷を極め、今日ですら将来の展望が開けていないようだ。そのわりに自尊心と愛国心は強いらしく、フォークランド諸島を巡ってイギリスと戦うくらいだから、個性的な国民性をもっているようだ。ブラジルとは何につけても対立しているという。格差と貧困に苦しむ移民大国といってもよさそうだ。
ビデラ率いる軍事クーデターが1976年に起こり、1983年まで軍事独裁政権が続く。「汚い戦争」と呼ばれた白色テロが横行し、3万人もの「失踪者」が生まれたという。思想的には「解放の神学」が貧しい人々のために働く司祭たちをささえ、社会理論ではまだ「従属理論」が説明力を持っていた。ベルゴリオは1973-1979年にアルゼンチンのイエズス会の管区長であり、文字通り軍事独裁政権と対峙していたわけだ。映画はこの時期のベルゴリオを緊張感をもって描いていく。軍事独裁に抵抗したり、妥協したりの変化が興味深い。解放の神学がベルゴリオにどのような思想的影響を与えたかは知るよしもない。とにかくかれはこの時代を生き抜いていく。ベルゴリオは保守と改革の二面性をもっているというルケッティ監督の言葉は示唆的であった。
この映画の最大の見せ場は、軍事政権が終わった後ドイツに留学し、アウグスブルクの教会で「結び目をほどく聖母マリア」と出会い、劇的な回心を経験するシーンだろう。ベルゴリオはここから教皇への途を歩み始めたのかもしれない。穏やかなベルゴリオが生まれた瞬間なのであろう。末尾に「結び目をほどく聖母マリア」の御絵の写真を載せておきました。
この映画はフランシスコ教皇の何を描こうとしたのだろうか。どうしても名誉教皇ベネディクト16世と比較してしまう。そのキャラクターはあまりにも対照的だからだ。ベネディクト16世は学者だが、フランシスコ教皇は学者とは呼べない。教皇としてみれば、ベネディクト16世は教義面では改革派だが社会面では保守派だった。フランシスコ教皇はいまのところ社会面では改革派に見えるが、教義面では保守派のようだ。環境問題や貧困・格差問題に強い関心を見せるとともに、同性婚の否定など頑固なところもある。わたしがこの映画から受けたフランシスコ教皇の印象は、貧しさへの理解と人間的親しみある人、というものであった。ベルゴリオは叙階後日本行きを希望したという。この希望はかなわなかったが、一度日本に来たことがあるという。そして今教皇としての日本訪問を望んでいるという。なんとか日本に来ていただいて、RockStar Pope (ロックスター教皇)として日本人の心をつかんでほしいものである。