J.バッティアート監督のイタリア・ポーランド合作映画 A Man who became Pope を観てきました。DVD版でしたが、場所が鎌倉生涯学習センターのホールですのでそれなりの迫力がありました。2005年作の古い映画ですが、今回観たのは日本語字幕版でした。上智大学の卒業生など制作委員会が随分と苦労なさって字幕化が完成した映画とのことです。この辺の事情はカト研の皆様の中にはお詳しい方が多いのではないでしょうか。英語版を日本語訳されたようで、言葉は全編英語でした。音楽はエンニオ・モリコーネとのことで、3時間余の大作であるにもかかわらず飽きさせませんでした。と言っても観客はお年寄りばかりですから、一息に三時間はもちません。前編・後編の二つに分かれ、途中休憩が挟まれていたのは助かりました。
この映画はポーランドのカロル・ヴォイティワが教皇に選出され、ヨハネ・パウロ二世になるまでの半生を描いている。前編はナチ支配下のポーランドで召命を受けるまで、後編はソビエト支配下の教会を司教として守っていく姿を描いている。全編、戦争とレジスタンスのシーンである。登場人物もおそらく実在した人もいるのだろうが、なにぶんわたしはポーランドの歴史については疎いのでフォローしきれない人物もいた。教皇になるまでを描いているので、その後の「連帯」の形成や民主化運動は触れられず、ましてや「空飛ぶ教皇」として世界中を駆け巡ったカロルは描かれてはいない。また、かれは教皇としての在籍期間が26年余と長かっただけではなく、神学者としても影響力は大きかったが、その面はこの映画では全く描かれていない。2013年にヨハネ23世とともに列聖されているのだから、そろそろこの映画の続編も、つまり教皇としての後半生の映画も期待したいところである。
カロル・ヴォイティワは1920生まれで、1939年19歳の学生の時ナチがポーランドを「侵攻」する時から話が始まる。演劇家志望だったが1943年に地下神学校に入り、1946年26歳で叙階。1958年38歳で補佐司教となり、1978年58歳で教皇に選出される。本映画はここまでの人生をえがく。印象的だったのが、ナチやソ連の支配に服従すべきか抵抗すべきか悩む時、ポーランドの守護聖人「黒いマリア」(ヤスナ・グラの聖母」に祈り、決して武力レジスタンスの途を選ぼうとはしなかった姿であった(念のため写真を載せておきます)。こういう忍耐力というか我慢強さがどこから生まれてきたのかとこの映画は繰り返し問うていたようだった。
この映画からは離れるが、第二バチカン公会議以後の教皇の中でヨハネ・パウロ二世は最もエキュメニズムに力を入れた教皇として記憶されるだろう。ユダヤ教、東方教会、仏教などとの対話は記憶に新しい。1981年の日本訪問は広島・長崎だったが、日本政府の受け入れは大歓迎と言えるものではなかった。かれが亡くなった時の日本政府代表はなんと総理補佐官でしかなかったと聞く。他国はほとんど元首クラスが出席したにもかかわらずである。暗殺未遂事件もあったし、湾岸戦争後のイラク戦争への反対もあった。ポーランドからのソ連の撤退もヨハネ・パウロ二世の存在抜きには起こらなかったであろう。歴史に残る教皇だったといえるのではないか。
神学者としてのかれの貢献も忘れてはならないようだ。ラッチンガー(名誉教皇ベネディクト16世)を抜擢したのもかれだし、回勅「信仰と理性」や「キリスト者の一致」は良く読まれたという。カロルはラグランジュの弟子だったのでトマス主義者だという評価と、映画でも描かれたように「十字架の聖ヨハネ」を良く読み学位論文のテーマにしたという意味で神秘主義者、または現象主義者と評価する者もいるらしい。どちらに比重がかかっていたのかわたしにはわからないが、教義面では保守的であったようだ。社会面・政治面であれだけ活発だったのに比べると、この保守性は際立っている。たとえば妊娠中絶は決して許そうとはしなかった。教会論で言えば、第一バチカン公会議以来のウルトラモンタニスムを排除しようとはしなかったようだ。つまり、バチカン第二公会議で決まった「司教の団体性」を認めながらも教皇制の特別な役割を肯定していたようだ(簡単に言えば、公会議至上主義よりは教皇至上主義に傾いていた、と言ったら言いすぎかな)。といって「聖ピオ十世会」のような反動的な主張は認めなかったようだ。
先日「ローマ法王になる日まで」という教皇フランシスコの映画を観た。アルゼンチンの軍事政権下の教会を描いたとは言え、抑圧の悲惨さは比べるべくもない。また、第二バチカン公会議閉幕50周年記念ということで「聖ヨハネ23世 平和の教皇」の日本語字幕化も完成したという。ストーリーもさることながら、教皇の描き方の違いという視点から比較してみたいものである。