Ⅴ イスラーム法 ー シャリーア(Sharia)(聖法)
4 イスラム法学
イスラム法学とはイスラム法(シャリーア)に関する解釈学のことだ。といっても、なにか制定法とか条文の実務的な説明を行う学問ではなく、一種の「哲学・思想」のようなものらしい。イスラム法は実定法ではなく、自然法(神が定めたもの)みたいなものだから当然だろう。ムスリムには、法律を制定するとか、改正する、とかいう観念が理解できないという。法は神から与えられるものだと理解しているかららしい。イスラム世界はまだ宗教改革も近代革命も経験していない。
S氏はイスラム法学について次のように説明している。
①イスラムでは、人間の理性によるのではなく、神意によって法律的判断が下される
②イスラム法学とは、シャリーアと個別的法規の律法、解釈、適用に関する学問である
③イスラムはカリフの律法権を否定する 律法権を有するのはイスラム教徒全体だが実際には学者に委ねられる(1) このイスラム法学者を「ファキーフ」(faqih)と呼ぶ 「ウラマー」(ulama)と呼ばれることもある(2) 彼らが制定する法は理想に走り、政治経済の現実から遊離する危険性がある
④イスラムは信仰の実践に重きを置く宗教で、信仰内容の思索的探究には重きを置かない イスラムの教義は単純であり、神学論争の必要性が低い 従ってイスラムでは神学の重要性が低く、イスラム法学がより重要になる(3)
かなり一般論的な説明なので、少し具体的に考えてみよう。
まず、イスラム法学は実務的な法学と言うよりは哲学・思想に近いという理解だ。「スーフィズム」などイスラム教に伝統的な神秘主義の影響も大きいようだが、多くの「分派」の発生と対立がこの宗教に法源をめぐる哲学的争いをもたらしたかららしい。例えば、カリフやイマームをめぐる争いは現在のスンニ派とシーア派の対立の背景になっているようだ。
他方、西欧近代社会への対応の仕方も影響が大きいといわれるようだ。トルコやインド、かってのイランはイスラム教を近代にあわせようとした。だが結局は度重なる中東戦争の屈辱的敗北のなかで、イスラーム的伝統への回帰現象が起こる。現在は、イスラーム原理主義が表面化しつつある時代のようだ。
それでは、イスラム法学者とはどういう人達なのだろうか。イスラム法学者とはなにかの資格ではないようだ。実際には大学を出た専門家だろうが、資格ではないらしい。
日本のメディアではイスラム法学者やウラマーは聖職者だと説明することが多いが、イスラム法学者を聖職者と呼んでよいかどうかわからない。
中田考氏は「法学者はなんとなく決まっていく」と述べている(『イスラーム 生と死と聖戦』50頁)。かれらは、キリスト教の司祭・牧師とは違う、ユダヤ教のラビとも違い、仏教の僧侶でもない。叙階は無いし、得度は無いし、妻帯するし、世襲もあるようだし、私有財産も認められるようだ。生活は信者の援助に依存するケースが多いようだが、実際の職業は、学者・教師・裁判官・モスク管理者・説教師・礼拝の導師など多様なようだ。これはイスラムにはキリスト教の教会のような組織がなく、階等制もなく、すべての信者が建前上は等しいとされているかららしい。宗教上のリーダーではあるがなにか資格にもとづくのではなく、信者の評価に依存しているようだ。
だが実際には統治機構には支配関係が存在する。統治関係はスンニ派とシーア派では異なった形で発達したようなので、サウジアラビアとイランを比較してみたい。
サウジアラビアには、婚姻や相続などの実体的な手続きを規定する制定法は存在しないといわれる。シャリーアが直接適用されるようだ。サウジアラビアはイスラム法による統治を最も徹底している国のようだ。とはいえ、商取引分野は法律がないと外国と貿易が出来ないので制定法があるらしい。たとえばサウジアラビアは世界最大の石油産出国で、その価格をほぼコントロールしているという。だが、そのほかの領域では、民法は制定されていないという。サウジアラビアは絶対君主制であり、現在はサウード家が支配する王政だ。サウード家が他の部族を制圧して現在のサウジアラビアを建国したのは1932年である。ワッハーブ派(スンニ派のひとつ)であることが支配の正統性の根拠だという(5)。
他方、イランでは、1979年のイスラム革命以後(王制から共和制へ)、イスラム法学者(ウラマー)である最高指導者(初代がホメイニ師、現二代目ハメネイー師)を国家元首とするなど、その統治はイスラム原理主義的側面が強いといわれる。他方、法制度は近代法制に近く、イスラム法(シャリーア)が適用される場面はほとんどないといわれる。統治機構としては憲法のもとに三権分立制をとっており、最高指導者←監督者評議会←専門家会議 という形でイスラム法学者から構成されているという。最高指導者というのもはっきりしない肩書きだが、要はシャリーアの最高解釈者という意味で、イスラム法学者が政治と宗教の両方の指導者を兼ねているということのようだ。行政では大統領制をとっており、先月のイラン大統領選で、司法府代表ライシ師が圧勝した。投票率は過去最低で共和制の革命理念が揺らいでいるともいわれる。ライシ師は保守強硬派といわれ、国際社会での孤立を懸念する声もあるようだ。司法では、シャリーアは最高法規とされてはいるが実際の裁判で直接適用されることはないという。いまだ石打ち刑や斬首刑が存続するサウジアラビアとは対照的だ。
(石打ちの刑に処されるステファノ)
それでは、現代のイスラム法学はどういう状況に置かれているのだろうか。グローバル化の進展のなかで、近代法に直面するなかで、イスラム法学は変わるのか。「伝統的なイスラームの法システムが構造的,認識論的,解釈学的に崩壊の危機に瀕している・・・確かに近代システムの再編力は強大であるが、・・・イスラームの法システムを再構築するためのムスリムの努力は顕著である」という(4)評価がある。こういう評価が一般的かどうかは解らないが、そう簡単にはイスラーム共同体の法システムは変わらないのではないかということのようだ。
注
1 ここでは「律法」という言葉が使われている。「立法」ではないかとも思えるが、イスラムには法律を作るという観念が弱いとは言える。なお、通常は律法は十戒に代表されるようにモーゼ五書に書かれた預言者の教えや掟をさし、ユダヤ教やキリスト教で用いられる用語だ。
2 ファキーフとウラマーは似た概念だが、スンニ派とシーア派の「統治理論」の違いもあって区別は難しいらしい 実際にはウラマーという言葉の方がよく使われるようだ
3 イスラム教の教義全体が何かはわからないが、「6信5行」がその中核であろう。しかもその根本教義は「アッラーのほかに神なし」につきるようだ。つまりシャリーアだけが法源となる。
4 櫻井秀子 「イスラーム法学のダイナミズムの根源に関する一考察 ――法学派の形成過程を中心として――」 総合政策研究第21号(総合政策研究大学院)2013
5 ワッハーブ派はシャリーアを厳格に遵守する復古主義的なスンニ派。一夫多妻制のため王族は現在1万人を超えるという