カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

イスラム教における神学と哲学の対立 ー イスラム教概論14(学び合いの会)

2021-07-27 18:17:12 | 神学

7月も学び合いの会の参加者は多かった。15名はおられたようだ。コロナ禍のなか猛暑が続き、東京オリンピックも始まってテレビ漬けになりがちだが、コツコツと学ぶことを楽しむ同好の士が多いことは励みになる。

 今日のテーマは、イスラム教におけるカラーム論(神学)、タッサウフ論(神秘主義)、スイヤーサー論(政教一致) と多岐にわたったが、どれもカトリック神学との比較に力点が置かれていた。S氏のカトリック神学観を垣間見るようで興味深かった。

 極めて一般的に言えば、キリスト教では神学の位置づけは高い。キリスト教は神学とともに発展したともいえる。他方、イスラム教は実践的・倫理的性格が強く、神学の位置づけは低く、法学として発展したともいえそうだ。
 とはいえ、イスラム教でも、自らの信仰を基礎づける努力は、思弁神学として異端視されながらも、続けられる。その努力は、敢えて言えば、スンニ派では「神学的」基礎付けに向かい、シーア派では「哲学的」基礎付けに向かったようだ。神学と哲学を対立的に捉える視点は、キリスト教的には生産的ではないが、イスラム教を理解する上では有効な視点のように思えるがどうだろうか。哲学好きのカト研の諸兄の批判を仰ぎたい。


Ⅶ 神学 ー カラーム

1 カラームとはなにか

 カラームとはなじみのない言葉だが、イスラム教における「思弁神学」のことだという。イスラム教では多の宗教に比べて神学の重要性が低いことはつとに指摘されるが、どういうことなのだろうか。

 カラーム al-kalam とは、元来、ことば、議論、思弁、論証の意だという。カラームの訳語は「神学」、哲学は「ファルサファ」(フィロソフィアに由来)と呼ぶようだ。
 イスラム教では、神の本質をめぐる「神の唯一性」が主要テーマであったことから、イスラム教神学は「神の唯一性の学」(イルム・アルタウヒード‘Ilm al-Tawhd)ともよばれるという。つまり、カラームとは論証をこととする「思弁神学」のことを意味するようだ。
 元来、イスラム教は実践的性格を持ち、その教義の平明であるために、コーランやハディースの文字どおりの解釈を重視する保守的な学者や民衆は、神学的思弁や論証は不用であると考えていたようだ。たとえ正しい信仰をを弁護するための議論であっても、ビドア(異端)であるとして否定する傾向が根強かったという。

 S氏はここで、オーソドックスな「神学」論を紹介する。神学には以下の3分野があり(1)、イスラム教神学はこの中の第二番目の実践神学の範疇に入るという。

①教義学:信仰を知的に説明する分野
②実践神学:信仰の実践と倫理的生活に関する分野
③護教論 :信仰の正しさを攻撃から擁護し弁明する分野

 イスラム教はコーランとスンナに基づく信仰の実践を重視し、思弁を異端として否定的に扱う傾向があるという(2)。つまり②の実践神学が重要であるが、これはカラームではなく、イスラーム法学が扱う分野だという。カラームは①と③、つまり、教義学と護教学を扱うという。これは、神の言葉であるコーランを人間が限られた知性であれこれ勝手に解釈し、説明することへの不信感が強かったからだという。従ってカラームは異端に対する護教論の性格が強かったという(3)。

2 カラームの発生の要因

 本来の意味でのカラームの発生は8世紀頃のムゥタジラ派とともに始まるらしいが、それ以前の背景が重要なようだ。

①ハーリジー派への対策(4)
 ハーリジー派は、敬虔なムスリムなら誰でもカリフになれる資格があると主張し、自派以外の人間は罪を犯しているとして現体制を否定した。この主張に対しムルジア派は信仰と行為を区別し、現体制を容認した。ここにまずムルジア派のカラームが生まれる。

②自由意志節と予定説の対立
 コーランには予定説(5)と自由意思説の両方の思想が書かれており、どちらが正しいのか論争が起きた。初期イスラムではジャブル派のように顕著な予定説が受け入れられていたようだ。他方自由意志を強調したのはカダル派と呼ばれたらしい。

③聖典解釈の問題
 コーランやハーデスは一種の「詩」であり、神学書ではない。そこには相互に矛盾する箇所が見いだされる。文字通り解釈するのはハンヨーウィー派、表現は比喩だと見なしたのがジャクム派と呼ばれたようだ。

④異教徒との論争
 キリスト教徒やマニ教徒との論争がおこる。論争の中でギリシャ哲学がカラームの中に入り込んでくる。

3 ムータジラ派とカラームの成立

 このような難問を一貫した体系の元に解決するためにカラームが生まれてくる。伝統主義者は理性と啓示の矛盾について理性的判断を放棄し、啓示をそのまま受け入れようとした。これに対し8世紀前半のワーシル・イブン・アターとアムル・イブン・ウバイド、ムータジラ派は理性による説明を重視し、9世紀には真に思弁神学として、カラームとして、登場してくる。人間の自由意志を重視し、人間の不正や悪は神とは無関係だとした。アッバス朝カリフ・マームーはこの派を公認するが、やがて異端とみなしていく。
 10世紀の半ばになると、イスラム世界にはスンニ派とシーア派が異なったイデオロギーとして明確な形で定着してくる。スンニ派はコーランとハーデスを絶対的な「神意」とし、倫理と社会秩序の究極的根拠とみなした。これに対しシーア派はコーランとハーデスを「宇宙論」の根拠とみなし、そこから哲学的意味をくみ取ろうとした。神か、宇宙の絶対者か。スンニ派とシーア派はしばしば対立した。世界観の確立を欲する哲学者たちの多くは、シーア派神学のもつ宇宙論的傾向に親近感をもち、シーア派に接近する。このためにスンニー派の神学者たちは、哲学に対しいっそう激しく攻撃を加えるようになる。神学と哲学の対立である(6)。


(イスラム哲学に影響を与えたアリストテレス)

 

 


1 S氏のここの部分の説明は簡単だったが、簡単な話ではないので少し補足しておきたい。
 カトリック神学では、神学全体を教義学(キリスト論・教会論・人間論)と実践神学(典礼・倫理・霊性・教会法)に分け、歴史神学や聖書神学、宗教哲学(諸宗教論・啓示論など)はマイナーな位置づけのようだ(阿倍仲麻呂『カトリック神学の体系』)。S氏は、カトリック神学の概要を別に紹介している。次回にでも触れてみたい。
 プロテスタント神学では、神学は組織神学・実践神学・聖書神学・歴史神学に大別され、中心は組織神学となる(組織神学という用語はsystematic theologyの訳語のようだ。もともと歴史神学と対比される用語らしく、神学を歴史的に見るのではなく体系として見るという意味らしい。体系的な神学ということか)。組織神学はその中に教義学(dogmatics)・弁証学(護教学 apologetics)・倫理学(ethics)の3部門を持つという(北森嘉蔵『キリスト教組織神学事典』中の組織神学の項目)。
 日本語の日常用語では護教論とは否定的な意味で使われる場合が多いので、なにか別の訳語が欲しいところだ。護教論とは元来はキリスト教の真理を外に向かって弁証する学問を意味する。日本のプロテスタント神学では弁証法神学、さらにはバルト神学のことを指す場合が多いようだ。
 S氏はここで日本のカトリックの護教論の代表例として岩下壮一師の名前を挙げていた。確かに岩下神学はネオトミズムそのものだが、カトリック護教論の代表と見なして良いかどうかは議論が分かれるところだろう(『カトリックの信仰』『信仰の遺産』『岩下壮一全集』)。
2 S氏は、「そもそもイスラムの教義は比較的簡単、単純であり、多くの思索活動を要しない」と述べているがこれは少し言い過ぎであろう。教義が単純であるからこそ、日常生活上の倫理や実践との整合性が常に問われてきたともいえないだろうか。
3 配付資料には「教義の体系化による異端に対する護教論」とある。これは紛らわしい表現だ。教会やウンマ内部の異端を論破する学問は「論争学 Polemik」と呼ばれ、「護教学 Apologetik」とは区別される。弁証学(護教学)は批判の対象を外部に求める。
4 ハーリジー派(ハワーリジュ派)とは、イスラム教成立初期に生まれた党派。第4代正統カリフのアリーとマーウイアの争いの際にアリーの妥協的姿勢に反発して離脱した強硬な過激派。
5 予定説とは救われる者と救われない者があらかじめ決まっているという考え。スンニ派とシーア派では理解が異なるらしく、現在は、スンニ派では予定説を認め、シーア派は予定説を拒否するという。
6 敢えて言えば、イスラム神学はスンニ派、イスラム哲学はシーア派が好んで使う用語といえようか。イスラム哲学はギリシャ哲学を用いてイスラムを解釈した。アラビア経由でヨーロッパに伝えられたアリストテレス(前384-322)はやがてキリスト教神学を大きく変えていく。12世紀のスコラ哲学はここにギリシャ哲学の深い刻印を受ける。また、イスラム哲学はイスラム神秘主義(スーフィズム・タッサウフ)と結合して、シーア派の世界で独自の神秘哲学(ヒクマ)として発展していく。現在のイランはいまだその渦中にあるようだ。

 

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