タッサウフ(タサッウフ) Tasawwuf とはイスラム神秘主義のことで、欧米では一般に スーフィム Sufism と呼ばれる。特定の教派というよりは一つの思想運動らしく、イスラム諸国には現在も様々なスーフィズム系「教団」が存在しているようだ。
歴史的には、9世紀以降のイスラム教の世俗化に反発する改革運動として生まれ、修行によって神との神秘的一体化を目指す運動として発展したようだ。現在はその修行の方法(音楽や舞踏)が注目されているという。思想的に政治的権威を認めないためにイスラム各国の政府からは危険視されているというが、他方、イスラム国のようなイスラム原理主義をとらないためにイスラム教の反テロリズム思想として注目されてもいるようだ。スーフィズムは拡大発展しつつあるのかもしれない(1)。
イスラム教の神秘主義思想はどのような特徴を持つのか(2)。イスラム教はユダヤ教やキリスト教と比べるとより「合理主義的」宗教だと言われる(3)。かってM.ウエーバーは宗教社会学のなかでイスラム教の「社会層」を「騎士団」と「スーフィー(神秘家)」とみなした(4)。イスラム教は「戦士宗教」であり、「救済宗教」ではないと説明している。イスラム教の神秘主義とはどういうものなのか(5)。S氏の説明をみてみよう。
1 タッサウフ 神秘主義
タッサウフとはイスラム神秘主義のことで、欧米ではスーフィズムと呼ばれる。
スーフィとはアラビア語で、「羊皮の衣」を纏い、清貧のうちに禁欲的に生きている者、すなわち神秘家のことをさす。修行僧と呼んだ方がわかりがよい。タッサウフもスーフィーを語源とする言葉だという。スーフィズムは修行の方法であり、当初は哲学とは関係なく発展した(6)。
【スーフィズムの修行】
①自己の行為を形式的・倫理的に神の命令に一致させること
②内面的に自己を神から隔てる一切のものを取り除くこと
つまり、シャリーアとスンナを厳守するだけではなく、様々な禁欲的修行によって現世の執着を断ち切り、ひたすら神を求める。具体的には、不断のコーランの続唱、礼拝、祈り、瞑想。
【修行者の神秘的段階】
①回心 ②律法遵守 ③隠遁・独居 ④清貧・禁欲 ⑤心の戦い ⑥神への絶対的信頼
修行者は、尊師の指導を受けながら段階を上げていく。神が心を完全に圧倒し尽くし、自己を全く意識しない忘我の境地に至る。神との神秘的合一体験と無上の喜びがくる。
2 スーフィズムの展開
スーフィズムは歴史的にはキリスト教、ネオプラトニズム、インド思想などの影響を受けて発展してきたが、元来はイスラム教の内部問題への対応策として生まれてきた。
内部問題とは、ムスリム全体の俗化、シャリーアの形式主義化、神学的見解による神の非人格化、ウラマーの形式主義化などのことであり、これらの問題への反動として生まれた。
時として内面性を強調しすぎるために、シャリーア(イスラム法のこと、コーランやスンナなど)を無視する者も出てきてウラマー(イスラム法学者)の批判を招き、スーフィとウラマーの関係は緊張した(7)。スーフィーの理論家たちは自分たちが決してシャリーアの反する者ではないと弁護するも、批判を避けるためにもっぱら修行論の世界に専念していった。具体的には「詩」や「踊り」によって自分たちの境地を表現するようになった。他方、形而上学思弁により表現しようとする者も出てきて、スーフィズムはイスラム哲学に近づいていく。
(スーフィの旋回舞踏)
注
1 トルコでは建国当初は活動が禁止されたようだが、現在はますます活発化しているようだ
(真殿琴子「スーフィズムはなぜ人々を惹きつけるのか」 https://www.toibito.com/column/humanities/science-of-religion/1774)
2 キリスト教においても神秘主義思想は大きな影響力をもっているが、だからといってカトリック神学の中では不安視され、マイナーな位置づけしか得ていないと思われる。プロテスタント神学の中では居場所すらないのではないか。
3 ムハンマドはキリスト教の「三位一体」説は非合理的だと批判した。かれは代わりに「神の唯一性」(タウヒード)という教義を導入し、キリスト教に対抗しようとしたとも言われる(嶋田穣平『イスラム教史』1978)。
だが、ウエ-バーはイスラム教には「ユダヤ教の合理主義を育てた決疑論的思考訓練が欠如している」とし、イスラム教における聖遺物崇拝の浸透・呪術の浸透がイスラム教徒を「本来的な生活方法論から」遠ざけてしまったと述べている。下記参照。
4 M.Weber 『宗教社会学』「経済と社会」 第2部第5章 武藤・園田・園田訳 創文社 1972 第12節第5項「イスラム教の現世順応性」 少し引用してみよう。
「イスラム教は、一方では神学的・法学的な決疑論の成立と、啓蒙的ないしは敬虔主義的な哲学的諸学派の成立によって、他方ではインドに由来するペルシャのスーフィズムの浸透と、今日なおインド人からの非常に強い影響を受けている托鉢修道団の形成によって、その波及範囲を大きく広げてきた・・・禁欲的な諸宗派は存在していた・・・それは軍事的騎士団の禁欲であって、決して修道士的禁欲でもなければ、いわんや市民的な禁欲的生活態度の体系化といったものでもない」(376頁)。ウエーバーには古代ユダヤ教論の後のイスラム教論を完成させる時間は残されていなかった。残念なことである。
ウエーバーによれば、世界宗教はそれを支える基本的な「社会層」によって特徴付けられる(なお、社会層とはマルクスの社会階級とは異なる概念で、階級・身分・党派からなるとされる)。単純化していえば、儒教(受禄者身分)・古代ヒンズー教(世襲カースト)・仏教(托鉢僧)・ユダヤ教(民族の知識人層)・キリスト教(遍歴平職人と市民)・イスラム教(騎士団とスーフィー)。かれらが各宗教の規定的社会層をなしていたという。
5 神秘主義 mysticism もいろいろな類型があるのだからその定義も多様だろう。広辞苑は「神・絶対者・存在そのものなど究極の実在に何らかの仕方で帰一融合できるという哲学・宗教上の立場」と説明している。「キリスト教辞典」は「自己や世界の根拠(神・仏)との一致体験」のことだが、キリスト教神秘主義は「人間と神との人格的一致」のことで「神秘的一致」と同義であると説明している。
6 この修行法が哲学と出会うのは13世紀に入ってからであり、そこからイスラム神秘主義哲学が生まれてくる。井筒俊彦はこの修行法を仏教(真言密教)と類似していると述べている。たとえば、スーフィズムには「ズイクル dhikr」と呼ばれる修行法があるが、これは「思い出す」という意味らしく、アラーの名をひたすら繰り返し唱えることをさすようだ。仏教でも簡単な祈りをひたすら繰り返し唱える(井筒俊彦『イスラーム思想史』1982)。カトリックの「ロザリオの祈り」も同じようなものかもしれない。
7 ウラマーとカリフの関係も複雑なようだ。ウマイヤ朝が倒れてアッバース朝になると、政治的支配者のカリフと知識人であるウラマーは協力し始める。アッバース朝は支配の正当性を求めてウラマーに近づき、ウラマーは単に宗教的権威だけではなく政治権力を求めた(裁判官など)。やがてウラマーはイマームの選出方法を巡ってスンニ派とシーア派とに分かれてくるが、スンニ派はカリフは「大イマーム」として認め、シーア派では認めない。シーア派ではウラマーの独占が続く(ちなみに革命後のイランのホメイニ師はイマームである)。