3-5 恵みの媒介者なるマリア
マリアに関する教義は神学的には多方面にわたる。神の母説はキリスト論に、無原罪の御宿り説は原罪論に、被昇天説は終末論に密接に関わっていた。そしてこの「恵みの媒介者」説は「教会論」に深く関わっている。
マリアの「霊的母性」の教えは、マリアが願いの取りなし手、恩恵の仲介者であるとの信仰を強めた。そして、マリアは信仰者の共同体である教会の母であると敬われてきた。だが、マリアがキリストの「協贖者」(Coredmptrix)であるとの考えはまだ教義として認められていない。現代マリア論の最大の焦点のようだ(1)。
①私たちにとってのマリアとは
伝統的にマリアは信仰者のためにとりなす媒介者、取り次ぎ手、代願者 medeatrix とされてきた。こういう表現は使徒信条の「聖徒の交わり」という言葉に通じる。「聖人の通交」が祈りにとって自明なら、マリアを媒介者と呼ぶのは当然のことだとされる(2)。
マリアとわたしたちの関係は、教義ではないが、教会の伝統として、「マリアはわたしたちにとって恵みの媒介者である」とされる。
②イエス・キリストこそが「唯一の媒介者」ではないのか
マリアは恵みの媒介者だという考えに対して、常に異論が出されてきた。イエス・キリストのみが神と人間の間の唯一の媒介者ではないのか、というものだ。これは当然の反論で、教会は、イエス・キリストのみが唯一、真正のの媒介者で、他の媒介者などは考えられず、マリアですらその地位にはない、とずっと教えてきた。では、マリアが恵みの媒介者だというのはどういう意味なのか。
K・ラーナーは二つの大きな理由を指摘している。
A)人間は互いに関わり合う「協働者」である
私たちは救いについても互いに関わり合っている。私たちはパウロが言ったように「協働者」である。お互いの救いのための媒介者同士である。
B)教会共同体と「聖徒の交わり」
聖徒(天に属し、救われて、真に贖われた人々)が媒介者なら、一人一人が他の人のためにどれほど深く、徹底的に、意味深くあり得るのか、われわれが兄弟姉妹のためにどれほと救いの媒介者になりるるのか、が問われてくる。
③マリアは媒介者(取り次ぎ手)である
だから、マリアがいかなる意味で媒介者たりうるのかといえば、マリアの媒介者としての役割が「救済史的意義」を持っているからだ。彼女は、私たちのために、私たちの救いのために、神の恵みから救いを受託した。救済史的意義とはこういうことである。
言い換えれば、マリアの役割はイエス・キリストに最も近い者として、私たちの代願者であるということにある。だからマリアの「フィアット(なれかし)」は「永遠のアーメン」と言える。
④教会の母マリア
人間は互いに関わり合う存在で、教会共同体も互いに交わる場である。教会はマリアの霊的母性を認め、信者の母、教会の母とする(3)。これは第二バチカン公会議の教会憲章第61項ではっきりと宣言されている(4)。マリアは、全人類の母、真の命の母、キリストの兄弟姉妹である者の母とされる。
マリアの霊的母性は、マリアが「母」であることの3つの過程(懐胎・出産・養育)に対応して、、3つの役割からなっているという。
①懐胎:神の母
②出産:教会の母
③養育:恩恵の媒介者
マリアの霊的母性は中世以来様々な表現で明らかにされてきた。
①新しいエバとしてのマリア
②十字架のおけるマリアの協力
③キリストの体の首
こういう言葉で、マリアの霊的母性は語られてきたようだ。
そして、「マリアの時代」とも呼ばれる19世紀から20世紀初頭にかけて、近現代の教皇たちも、マリアについて様々な表現で発言している。
ピウス9世(1842~78) 無原罪の御宿りの教義宣言
レオ13世(1878~1903) 受肉と十字架に関わることにより、信者の霊的再生に協力
ベネディクト15世(1914~22) マリアは救いの協力者という使命を持つ
ピウス11世(1922~39) 共贖者(きょうしょくしゃ Coredemptirix)という称号
ピウス12世(1939=58) 被昇天の教義宣言
⑤恩恵の仲介者マリア
マリアの「母」としての役割のなかで第3番目が祈りの取り次ぎ手、恩恵の媒介者という役割だ。
マリアに助けを願う祈願の祈りの最初のものはすでに3世紀にギリシャ語で書かれた祈り Sub tuum praesidium のなかに見られるという。教父時代後期と中世にはマリアを取り成し手とする信心と祈りは定着していったという。近現代の教皇たちもマリアの取りなしの力を強調していた。
第二バチカン公会議では、マリアについては独立した一つの文書にすることが求められた。しかしエキュミニズムへの悪影響が危惧され、議論は紛糾したようだ。結局、マリアについては教会についての文書(教会憲章)に組み込まれることで決着した。同じく、マリアをイエス・キリストの「協贖者」(Coredmptrix)として公認せよという要望もエキュニムズへの悪影響ありとして認められなかった(5)。
このようにマリア論は伝統的にはキリスト論だったが、第二バチカン公会議以後は教会論として位置づけられることになった。マリアを恩恵の仲介者とする伝統が、共贖者と呼ぶ主張が、教義として成立するかどうか、注意深く見守っていきたい。
なお、日本の司教団は聖母崇敬の望ましいあり方を教書の中で説明している(6)。これはヨハネ・パウロ2世が1987年に交付した回勅『救い主の母』をまとめたものだ。日本の信徒向けの教書だけあって、マリア信心の行き過ぎに対する警戒心が表明されている。たとえば、「一人よがりの信心、自己満足を求める信心、教会の主流から離れる信心は避け、また特に、聖母信心をいわゆる”ふしぎな出来事”と結びつけようとする傾きには警戒しなければならない」と述べている。マリア崇敬は日本でも根強いが、行き過ぎると聖母出現説に傾きやすい(7)。日本の司教団の立ち位置がよくわかる。
リパの聖母 恵みの仲介者 の出現(フィリピン)
涙を流す聖母像 (秋田市)
注
1 光延師は『主の母マリア』の中で、媒介者、仲介者という訳語を相互互換的に使っている。ここでも特に区別しないで使うことにする。また、師はマリアを恩恵の媒介者として教義として宣言することに肯定的な意見をお持ちのように読めるが、イエズス会司祭としてあからさまに主張することはできないようだ。
2 この辺の表現は少し抽象的なので、教会や神学の知識が無いとわかりづらいように想える。特に位階制をもつキリスト教の教会は、他の宗教、たとえばイスラム教や仏教には見られない独特の制度なので日本人にはなじみがない。教会とは一般的に言えばキリスト教徒がつくる共同体だが、組織形態としては、①監督制 ②長老制 ③会衆制 と区別することが多い(八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』など)。カトリック教会の組織を監督制の一つと見なすとしても、そしてイエス自身が教会を創設したとは言えないにせよ、使徒継承の伝統を持つので、教会論一般では理解が難しい点が多々あるようだ。
3 この議論も複雑だ。簡単に言えば、教会の中にマリアを見るのか、それとも、マリアの中に教会を見るのか。マリアを教会のかたどりとするのは古代からの伝統だが、それはマリアの受諾はマリア自身の「自由と信仰と従順」の故だとされてきたからだ。
4 「神のみことばの受肉とともに永遠の神の母となるべく予定されていた聖なる乙女は、神の摂理の定めにより、この地上においては、神である贖い主の優しい母、独自のしかたでだれよりも献身的な伴侶、主の謙虚なはしためであった。マリアは、キリストを懐胎し、生み、育て、神殿で父に奉献し、十字架上で死んでいく子どもとともに苦しみ、ひとびとの超自然的いのちを回復するため、従順、信仰、希望、燃える愛をもって救い主のわざに全く独自なしかたをもって協力した。こうしてマリアは、恵みの面において、われわれにとって母となった」(『第二バチカン公会議 教会憲章』2014 これは中央協議会による新しい公式改訂訳文である)
5 エキュメニズム Ecumenism 教会一致とか教会一致運動とか訳される。プロテスタントではWCC(世界教会協議会)の成立などを契機に「世界伝道運動」の一環として理解する傾向があるようだが、カトリックでは、第二バチカン公会議で「エキュメニズムに関する教令」が出されて以来熱心に取り組んできた。諸宗教の神学の発展もその成果の一つだろう。だが21世紀に入り、新しい神学の登場、福音派の台頭、聖公会や正教会の変化などを背景に、衰退期に入ったようだ。教会の中で教会一致という言葉はまず聞かれなくなった。マリア論に限っても、マリアの特権、無原罪と被昇天の教義などの点で、カトリックとプロテスタントの違いがますます強調されるようになってきているようだ。
6 『聖母マリアに対する崇敬ー1987年「マリアの年」にあたって』 (1987年8月15日 日本カトリック司教団教書)
7 聖母出現は現在まで918件が報告されており、ほとんどが19・20世紀のものだという。1858年のフランスのルルドでのベルナデッタへの聖母出現と無原罪の御宿りの告知や、1917年のポルトガルのファティマの聖母出現は第1次・第2次世界大戦を予言したことでよく知られている。日本でも1867年の津和野・乙女峠の聖母出現、1973年の秋田市の涙を流す聖母像は多くの巡礼者を集めている。だが、教皇庁が公認した例は20数件にすぎないという。聖母出現は「私的啓示」とされ、新約聖書に記された「公的啓示」とは区別されている。