Ⅶ マリアの出現
1 マリアの出現(1)は中世以来数多く伝えられている。だが世界的に大きな影響を及ぼした出現は19世紀から20世紀にかけて起きた。主な出現を挙げてみる。
①カトリーヌ・ラブレーへの出現:1830年 パリ 「不思議なメダイ」の起源(2)
②ラ・サレット(南仏の地名)での出現:1846年 2人の子どもにマリアが出現した
③ルルドのベルナデッタへの出現:1858年 ルルドの水により病者の奇跡的回復がみられ(ルルドの泉)、毎年数百万人の巡礼者が訪れるという 最も有名な奇跡といわれる(3)
④ファティマ(ポルトガル)での出現:1917年
⑤その他教区司教により真実と認められたもの
ボンマン(フランス 1871年) ボーラン(ベルギー 1932年)
バヌー(ベルギー 1933年) 秋田(日本 1973年)(4)
フインカ・ベタニア(ベネズエラ 1976年)
なお、メジュゴリエ(クロアチア 1981年)は承認されていない
2 教会の態度
①教会はマリアの出現の可能性を否定しない(5)
②しかし真実であるか否かの判断には極めて慎重で、承認を否定したケースが多い
③判断の基準は、出現を見た人の人柄とマリアのメッセージの内容だという。内容的にキリスト教信仰に反するもの、ふさわしくないものは拒否される
④公的啓示は使徒たちの時代で完了しており、マリアの出現はあくまで私的啓示である よって信者に信仰の義務はない
注
1 出現 apparition とは、信仰の対象である霊的存在(聖母や聖人など)が目に見える形で現れることをいう。顕現とも言う。「幻視」は実在しないものをみることだが、出現はみたものが目の前に実在するという。マリアの被昇天の教義ではマリアは今も生きていることになるのでいつどこに出現してもおかしくないと説明される。マリアの出現の相手(見た人)はクリスチャンに限らないようだ。
2 聖母マリアがラブレーに示したお告げをイメージしたもの。無原罪の御宿りのメダイとか奇跡のメダイと呼ばれる。メダイを身につける人への聖母の保護が約束された。そのためペンダント代わりに持っている人が多いようだ。
不思議のメダイ
3 ルルドの泉の水により不治の病が治った例が数多く報告されている。教会が公認したものだけでも68例にのぼるという。
ベルナデッタ・スビルー(1879年35歳で没 写真に撮られた最初の聖人とされる)
4 秋田の聖母マリア 秋田市の修道会「聖体奉仕会」の修道院で1973年に出現した 以後101回の「涙の奇跡」(第1回目は1975年1月14日)がみられたという。この涙は人間の体液だと鑑定されているようだ。 当時の伊藤庄治郎司教は1984年に「奇跡としての超自然性を否定できない」と発表し、1988年にバチカンのラッチンガー教理省長官(現名誉教皇ベネディクト16世)はこの声明を受理している。
秋田の聖母像
5 マリアの出現は奇跡とされるが、奇跡の認定は列聖・列福調査の時に問題になるようだ。奇跡の認定は、精神的変化だけではなくなんらかの物質的・身体的変化があり、それが自然科学的には説明不可能であることが証明されねばならないという。
マリア信心に熱心な信者さんでもマリアの出現だけは「まぁーね」と言う人が多い。奇跡の真偽そのものよりも、それが教会内にもたらす対立・分裂が問題だという意見もあるようだ。光延一郎師の『主の母マリア』にはマリア出現に関しては一言の言及もない。神秘主義神学者のジョンストン師ですら、出現はおろかマリアへの言及は著作のなかですらごくわずかだ。神学者としての矜持だったのであろう。