今日の「キリストの聖体」の祝日に孫二人が初聖体のお恵みを受けることができた。コロナ禍で延び延びになっていたが、やっとたどり着けたということでホッとしている。
孫たちは所属教会が別なので、朝早く雨の中を勇んで出かけた。6名の子供たちが初聖体だった。男女3人ずつだったようだ。初聖体は一応現在は7歳前後ということになっているようだが(1)、今日は小学2年生から5年生までの子供たちだった。コロナ禍はこんなところまで影響を及ぼしているのだろう(2)。
ご聖体をいただく前に最初の告解がある。今は罪の赦しというらしい。子供たちはご聖体は待ち遠しかったようだが、告解はなんのことかよくわからなかったようだ。初聖体は秘跡だが、その前に赦しの秘跡を受けなければならない。そのための準備と勉強は子供にとっては大変なようだ。驚いたことに今は勉強はオンラインでもなされているようだ。面倒を見るシスターもさぞかし大変なことだろうと思った。
ごミサの後お祝いのパーティが開かれ多くの方が出ておられた。神父様やシスターをはじめ教会の関係者に心から感謝したい。
【初聖体】
注
1 初告解・初聖体が7歳前後からと定まったのはつい最近のことらしい。1910年の教皇ピオ10世の秘跡聖省令が根拠ということらしいが、西欧中世では15歳前後だったらしい。といっても地域や時代によっては7歳前後のこともあったらしく、きちんと定まったのは最近のことのようだ。
日本では、初聖体は通過儀礼ではなくて、七五三より大事ですよということになっているが、カトリックをあまり知らない人に対しては通過儀礼と言った方が説明はしやすいのかもしれない。この後に来る堅信にまでたどり着けるかどうかはまさにお恵みがなければ難しいからだ。難しいと言えば、初聖体にこぎ着けるのも親御さんにとっては大変なことだろう。親御さんの喜びは想像にあまりある。
2 なぜ7歳前後なのか。歴史的経緯は別として、普通の説明は、7歳になれば「理性」が備わってイエスが誰か理解できるようになるからだという。また、初めての告解が必要なのは「罪」の意味がわかるようになるからだという。これは神学的には興味深い説明だ。つまり、理性と贖罪が初聖体の基礎になっているようだ。
わいわいと賑やかに騒ぎたい今時の子供たちに罪の説明は容易ではないだろう。シスターたちも苦労するところだろう。ところが最近は初聖体の勉強ではこの「罪」観念を教えることが重視されているという。贖罪よりは救済の方を強調してほしいところだが、ここにも最近の日本の教会の姿勢やバチカンの意向の変化を垣間見ることができそうだ。