機会があって沢田研二の映画を観てきた。わたしは別にジュリーのファンだったわけでもないし、ヴィーガンでもないが、絵がきれいな映画だということで覗いてきた。ジュリーは老いたが、沢田研二は健在だった(1)。
この映画は水上勉のエッセイが原案で、1年前の映画らしい。わたしは小説はほとんど読まないので水上勉は名前しか知らない。主演は沢田研二。75歳。かってのアイドル歌手。アイドルがどのようにして壮年期を乗り越え、そして老年期を迎えるのか、キャリアーの過ごし方に興味があった。
映画のストーリ(2)はどうということない。主演の沢田研二もなにか変わったことをするわけでもない。信州の山奥での自給自足生活を24節季を通してきれいに、丁寧に描く、というものだ。水上勉もこういう生活を試みたことがあるらしい。
この映画の第一の特徴は映像の美しさだろう。1年の季節の変化を丁寧に追っている。奥信濃の山の景色がすばらしい。撮影には一年半かけたという。
第二の特徴はこの映画はいわばヴィーガンのグルメ映画みたいなことだ。精進料理に代表される禅宗の食生活(粗食・菜食)を描いているようで、「点座教訓」(道元和尚)が繰り返し紹介される。料理が好きな人が見れば学ぶことが多いのかもしれない。
全体として現代の視点から見れば一種のノスタルジー映画でなにか懐かしい気分にさせてくれるが、なにかを特に声高に主張したり、菜食主義を訴えたりしているわけではなさそうだ(3)。
むしろ、かってのアイドル歌手がきれいに年齢を重ね、俳優として静かに演じていることに強い印象が残った。
【澤田研二】
注
1 ジュリーといっても、いま話題のジャニーズのジュリーではない。
2 初老の作家ツトムはひとりで愛犬と信州の山荘で暮らしている。9歳の頃に禅寺へ奉公に出され精進料理を学んだ経験から、自ら野菜を育て山菜を採り料理をする。その日々の生活を原稿に記していく。時折、ツトムの担当編集者で若い恋人の真知子がツトムのもとを訪れ、ツトムの振る舞う料理を美味しそうに食べる。ツトムは13年前に亡くなった妻の八重子の遺骨を納骨できずにいる。
八重子の母のチエのもとを訪ねたツトムは、八重子の墓をまだ作っていないことを咎められた。のちにチエは亡くなった。チエの葬儀はツトムの山荘で営まれた。真知子も東京から駆けつけ葬儀の準備に追われた。
葬儀が終わり、ツトムは真知子に山荘に住むことを提案する。真知子は考えさせてと応じたが、この後、ツトムは心筋梗塞を患い倒れる。案じて同居を申し出る真知子。だが、死について深く考察するようになったツトムはそれを断った。
夜、死を覚悟して眠りについても、朝は変わらず訪れる。チエと八重子の遺骨を湖に撒くツトム。後日、真知子が別の若い小説家との婚約を報告に来た。祝福して帰したツトム。雪が積もった山荘で丁寧にこしらえた膳を前に、「いただきます」と手を合わせるのだった。(引用は映画配給元)
3 ただ、ご飯を頂くときに「いただきます」と言いながら「手を合わす」動作が禅宗の作法だという点は強調されている。映画のラストシーンもこれだ。言われてみれば、食事のとき手を合わす動作は近年急速に広まって、最近は小学校の給食の時にも学校によっては行われているらしい。さすがお箸を持ちながら手を合わすことはないようだが。わたしは、禅宗の信徒でもないのになぜそんな動作をするのかといぶかしい気分があるが、あたらしい食事マナーだといわれればああそうですかとしか言いようがない。そのうち外国からの観光客にも広がっていくのだろうか。