カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

中国の影 ー ポスト・コロナの五島列島巡礼の旅(3)

2020-10-19 15:36:27 | 教会

 今回の旅では何人かの地元のガイドさんにお世話になった。たまたまか、みな信者さん(カトリック)だった。詳しい説明の端々に垣間見えたのは、「中国の影」とでも呼びたいような中国へのおびえのようなものだった(1)。

1 交通手段

 さまざまな乗り物を使わないと五島列島の観光はできないようだ。飛行機、バス、タクシーは当然として、小さな海上タクシー、高速艇、フェリーが島々を、つまり教会と教会をつないでいる。たとえば、頭ヶ島天主堂は小さな専用バスに乗り換えないとたどり着けない。観光バスは入れない。

 どの島にも電車はない。完全な車社会だ。軽自動車の世界だ。ガイドさんは「スズキの世界」と言っていた。乗っている車で誰かがわかるのだという。大型の観光バスは狭い道を塞いでしまい、追い越しもできないために、島では嫌われ者だという。
 大きな橋がやっとひとつ架かったと言うが、同じ島の中でも各集落は孤立しているようだ。クルマがなければ交流は難しかったであろう。だからこそキリシタンは生き延びられたのかもしれない。

2 生業

 主要な産業は水産業のようだが、観光への依存度も高いようだ。今回のコロナの打撃は大きいという。漁業と言ってももはや鯨はとれない。鯨御殿は昔話のようだ。普通の漁業も壊滅状態だという。漁場に出かけても魚は獲られた後で水揚げにならないという。漁師になろうとする子どもが少ないようだ。五島は「鯨の街」だったが、今は観光客は誰も覚えていないのではないだろうか。私も知らなかった。

3 過疎化

 日本中どこでも進んでいる現象なので珍しいことではないが、この旅では特に強く印象がのこった。幼稚園、小学校、中学校が軒並み生徒数ゼロ。立派な建物だけが残っている。なにか別の用途に使われている様子もない。統廃合といえば聞こえが良いが、子どもの姿が見えない村や街は不気味だ。子どもが高校に入る年頃になると、長崎市など島外にでて寄宿舎に入ってしまう者が多いという。しかも「母親つき」でだ。いづれ父親が後を追うのも時間の問題だという。

 コンビニやスーパーはある。どれもローカルなお店だ。だがガイドさんの冗談によれば、「セブンはない。マックはない」という。長崎市へ用で出かけると、帰りのお土産は「マックのハンバーガー」だという。ハンバーガーは地元でも売っているのにだ。そういえば喫茶店も見なかった気がする。

4 文化

 われわれは五島列島というが、実はそういう実体はないという。観光案内書などによると五島列島の人口は7万人とか書いてあるがそれはあまり意味がないという。五島は「上五島」と「下五島」の二つの文化圏に分かれているようだ。経済的にも、行政的にも一緒になれない。文化が異なるのだという。方言や通婚圏の話も出たが、キリシタン時代にも違いがあったのであろうか。カトリックは上で3割、下で1割くらいだという。教会は約50もあるそうだ。とくに中通島(上)には25もの教会が集中しているという。地震はない島なので小さな教会でももつようだ。

 五島列島というとなにか大きな島が五つあるような印象を与えるが、実際には150以上の島があるのだという。数世帯しか住んでいない島も数多くあるようだ。だがガイドさんによれば、「無人島にはできない」という。だれかがどこか外国から入り込んできてしまう恐れがあるからだという。こういう地元の人の感じる心理的圧迫感はわたしは話を聞くまで想像すらしていなかった。

(若松港)

 


 五島は、世界遺産の観光の島、キリシタンの島、巡礼の島だけではなかった。国を護る島だった。今回の旅は、五島の静かな、安全な生活が続いていって欲しいと願う旅であった。



1 これは別に私が中国嫌いだとか、五島のカトリック・ガイドさんが偏見を持っているという意味ではない。誤解がないことを願う。

 

 

 

 

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