Ⅱ 翻訳のプロセス
1 パラテキスト
今回の聖書協会共同訳は新共同訳の改訳ではなく、原文からの全く新しい翻訳だ。この新たな翻訳作業は、「パラテキスト」(ParaTExt)という翻訳支援ソフトを使ってなされたという。このアプリは画期的なものらしく、訳語の調整、修正、ルビの入力など完全なデジタル入力が可能なものだという。作業は、「聖書協会世界連盟」という組織のサーバーにすべて送られ、翻訳者は自分のパソコンをこのサーバーに同期させながら作業したという。今回の翻訳はインターネットの発達がなければ実現できなかったわけだ。
2 原語担当者と日本語担当者
今度の聖書が新共同訳と大きく異なるのは、日本語担当者の比重が非常に高かったことらしい。原語担当者と日本語担当者の数の比率で言うと、新共同訳のときは9対1だったが、今回はなんと7対3だったという。歌人や詩人を新たに加えたことなど、「美しい日本語」を目指すという姿勢が貫かれたようだ。
3 翻訳者委員会
翻訳者委員会は各書ごとに作られ、編集委員会は、「五書・歴史書、詩書・預言書、続編、新約」の4部門に分かれて組織されていたという。柊神父様は、「五書・歴史書」の「翻訳者兼編集委員」だったようだ。「訳語検討会」という作業部会が旧約・続編・新約ごとに編集委員会の下に設けられ、重要な役割を果たしたという。例えば、「いなご」という言葉が「ばった」に変更されるなど、動植物や宝石などの訳語の変更がけっこうあったようだ。
Ⅲ 翻訳について
1 最近の旧約聖書学の反映
旧約聖書学は現在「正典的アプローチ」(正典的解釈)と呼ばれる新しい方法が主流になりつつあるようだ(1)。新共同訳の翻訳がおこなわれた1970年代は、いわゆる「歴史的・批判的方法」が中心で、伝承史や編集史の資料批判が主流であった。資料仮説ではいわゆる「JEDP説」(文書仮説)が中心だったが、やがて1990年代には否定され始まるなど大きな理論的転換が起こったという(2)。21世紀の正典的アプローチはこういう論争の中で登場してきたものらしい。いづれにせよ、今回の翻訳は旧約聖書学の理論的発展を取り入れているところに特徴があるという。
2 重要な訳語の変更
多くの訳語の変更の中で、最も重要なのが、旧約における「ツァラアト」の訳語と、新約における「ピスティス・クリストゥ」の訳語だという。
①「ツァラアト」
かって「らい病」と訳されていて、やがて「重い皮膚病」と訳し直されていたが、今回は「規定の病」とさらに訳し直された。規定の病といわれてもなかなかピンと来ないが、「律法で規定された病」という意味で、訳語には聖書学的根拠があるという。これにそって「癒やす」も「清める」に改められているという。この訳語が定着していくかどうか興味深い。
②「ピスティス・クリストゥ」
これも神学者、特に聖書学者のあいだで決着がつかない神学上の大問題らしい。「キリストへの信仰」か「キリストの真実」かという問題らしいが、「信実」、「真実」、「信仰」などの訳語が可能らしい。神学的にはいわゆる「義認論」の問題なので、パウロ問題になる。協会共同訳は「キリストの真実」で合意に達したというが、これは「信仰による義認」というパウロの立場を否定するものではないという。
Ⅳ 今後の課題
あらゆる聖書翻訳は刊行後すぐに批判にさらされる。協会共同訳も学会レベルではもう批判的議論が始まっているようだ。岩波訳聖書の改訂版がでれば、批判的議論はもっと激しくなるだろうが、これは翻訳の宿命だろう。協会共同訳が将来改訂されるのか、または全く別の新訳が出されるようになるのか、岩本氏は「全く未定である」と述べている。
以上が岩本氏の報告の概略である。配付資料(論文)にはさらに別の論点が言及されているが、紹介はここまでが限界だろう。
報告の後、質疑応答が熱心におこなわれた。名称(略称)の問題、カトリックとプロテスタントの力関係の問題、スコポス論、義認論、と質疑は多岐にわたった。岩本氏が、丁寧に、しかも慎重に答えておられたのが印象的だった。
この講演はわたしは全く知らない世界の話だったので、出席できてよかったと講演会の主催者に感謝の気持ちで一杯である。
注
1 私は全く門外漢だが、聖書テキストを全体として捉える手法らしく、訳語も原語に対応させることを重視するらしい。例えば、新共同訳での「神に従う人」は「正しき者」に訳し直され、「恵みの御業」は「義」と訳し直されているという。こういう訳語の変更も聖書学の理論の発展を反映しているのだという。「御使い」が「天使」に戻されるのもその流れなのだろうか(黙示録5:11、出エジプト記3:2など)。
2 文書仮説(Documentary hypothesis)とは、モーゼ五書がモーゼによって書かれたのではなく、もともとバラバラの文書が後でまとめられたという説らしい。JEDP説はその基礎になる考え方でここから色々仮説が生まれたようだ。1990年代にはほぼ否定されたと言うが、基本的視点は今も生きているのであろう。カトリックでは「高等批評」という言葉も聞く。『ウィキペディア(Wikipedia)』レベルの話ではなく、かなり専門的な仮説らしい。考古学の素養を欠くわたしは全くわからない。