カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

信徒は司牧者を育てて欲しい ー 阿部仲麻呂師指導の黙想会

2023-11-19 21:32:50 | 教会


 2024年の待降節第一主日は今年の12月3日なので(1)、当教会では11月の18・19日に黙想会がもたれた。コロナ禍で黙想会も長い間開かれなかったのでわたしは久しぶりの参加だった。

 黙想会と言えば修道院かどこかに泊まってするものと思っていたが、現在は日帰り黙想会とかいろいろな形の黙想会があるようだ。今回は二日がかりで、一日目は講話赦しの秘跡(告解)とごミサ、二日目は通常のミサの後の第二講話という構成だった。

 黙想会はかならずなにか黙想のテーマが与えられるが(2)、今回は「フィリピの信徒への手紙」の第1章第2章を読むことだった(3)。わたしは一日目は出られなかったのが残念だった。今日は講話だけで、通常のミサの後だったので、参加者は多かった。ほとんどの方はミサの後そのまま残っておられたようだ。

 指導司祭は阿部仲麻呂師(サレジオ会)。著名な神学者だがまだ50代半ばの若い神父様だった。わたしは師の『使徒信条を詠む』(4)で多くを学んだので、楽しみにしていた。講話でのお話しぶりからは、神学者から連想されるなにか気難しい印象はなく、むしろ、穏やかと言うよりは朴訥という雰囲気であった。小一時間立ったままずっとマイクを握っておられた。いろいろなところで黙想会の指導をしておられるという。

【阿部仲麻呂師】

 

 

 講話はフィリピ書の解説と言うよりは、そこらか師が読み取られたポイントをいくつか整理して話されたというものであった。

 最初は黙想会での祈り方の説明があった。黙想会に出るとかならず「生き方が変わります」と言われた。なんのことかと聞き耳を立てたら、フィリピ書第2章は第5節~11節の「キリスト賛歌」が歴史的にも神学的にも大事なのだという(5)。キリストは信徒の模範であるという話しなのだが、具体的には、祈りには、①降りる祈り、と②登る祈り、があるのだという。降りるとは、イエスの受肉(誕生)であり、へりくだりであり、謙遜のことだという。登るとはイエスの復活のことであり、挙げられることだという。

 今回は待降節を前にして①の降りる祈りについて縷々説明された。教皇フランシスコの話、シノドスの話し、幼児洗礼と成人洗礼の違いの話しなど、お話しはいろいろあった。原稿を読んでおられるわけではないので話題はあちこちに飛んだ。どうもポイントは子どもを育てた経験を持つ親(信徒)は、親として「愛」や「憐れみ」(昨日のテーマだったという)を理屈抜きで知っているので、子どもを育てた経験の無い司牧者(司教や司祭)をむしろ導いたり、育てたりする努力をして欲しい、というものであった。あまり聞いたことのないお話しだったので皆さん熱心に聞いておられた。

 聞きようによっては司牧者批判にも聞こえるが、阿部師が修道会司祭で教区司祭ではないからかもしれない。司教や司祭が信徒にああしろ、こうしろと命令ばかりして、信徒はなんでも司祭の言うことに従っているだけではだめですよ、むしろ信徒が司教や司祭を育てる気概を持って欲しい、というふうに言われているように聞こえた。ときどき冗談を加えた講話は興味深く、なんどか皆さんの笑いを誘っていた。東京カトリック神学院での講義もこういうなごやかなものなのであろう。次回はご専門の基礎神学の話しを聞きたいと思った(6)。



1 つまり、教会暦で言えば来年2024年度は始まるのが遅い。今年は11月27日だった。
2 黙想は、座禅などと違って、考えたり、祈ったり、なにかに心と意識を集中させる。マインドフルネスなどの瞑想とは意識を集中させる対象が異なる。座禅はキリスト教的に言えば観想(Contemptation)に近く、黙想(Meditation)とは区別されるようだ。
3 ピリピ書(文語訳聖書の訳語)はパウロの書簡の中でも4番目に古い手紙で、54年頃書かれたらしい。フィリピ(ピリピ)というのは街の名前で、マケドニアのフィリピ2世に因んだものだという。フィリピの教会は異邦人(ユダヤ人ではない人、つまりギリシャ語を主に話す人々か)が中心だ。著者がパウロというのは確定しているようだが、内容から見て3通の手紙が一通にまとめられたものらしい。
4 阿部仲麻呂『使徒信条を詠む』2014 教友社 466頁の大著である このブログでも内容を紹介したことがある
5 長いので引用しないが、要は、キリストを「模範として」生きなさい、ということらしい。
6 基礎神学とは組織神学の一分野で、特に初期キリスト教時代の弁証論を取り扱うようだ。キリスト教弁証論とはキリスト教に対する非難を弁証する議論で、バルトらの現代の弁証法神学とは一応区別されるようだ。

 

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