第9章に入る。タイトルは「新約聖書に見られる教会制度の確立」である。教会は、父と子と聖霊によるものではあるが、人間の集まりでもあるので、組織化がおこる。教会の職階制がどのようにして成立していったのか。新約聖書の描写から整理する。
Ⅰ 使徒の権威と教会の制度化
1 教会は使徒の権威によって成立した。最初の教会は使徒の教えと指導によって統一を保った。教会にとり「使徒性」は本質的である。
2 使徒の教会から使徒的教会へ
使徒がいなくなった後、後継者が使徒性を継承した。使徒の教会(eclesia apostolorum)から 使徒的教会(aclesia apostolica)へと転換が起こる。使徒の権威を土台として規制が始まり、組織化がすすむ。教会が制度として確立し始める。
3 教会は「神の家」とされる
コリントⅠ・Ⅱは神の家が神の民であると説く。エフェゾ2:20~22 は、教会は使徒の上に建てられた家だという。
あまり読まれることのない Ⅰテモテ3:15 ほつぎのようにいう。「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です」(協会共同訳)。
4 使徒性の委託の連鎖がある
神からパウロへ パウロからテモテへ(Ⅰテモテ1:11) テモテから他の教会指導者へ(Ⅱテモテ2:2) へと使徒性が伝えられる
5 指導体制と按手
教会の指導体制が、統治形態が作られてくる。
監督 Ⅰテモテ3:1~7
執事 Ⅰテモテ3:8~12 (奉仕者)
長老 Ⅰテモテ5:19~
普通、監督は「司教」、執事は「助祭」、長老は「司祭」と読み替えられるようだ。これは教会の組織の在り方として「監督制」と「長老制」の区分につながる。職制ともいわれる。「監督」と「執事」が、つまり司教と助祭が「監督制」を構成し、「長老」が「長老制」を構成していく(1)。
この指導体制の構成要素に「按手の制度」がある。監督(司教)によるこの按手の制度によって使徒性が切れ目無く受けつがれてゆく。「使徒継承」と呼ばれる。具体的には祝福・聖霊の授与・病気治療などをさす。
(祭服)
Ⅱ 奉仕職の制度化
当初は教会の役務はカリスマの奉仕職であった。使徒・預言者・教師(使信を伝え・解釈し・説明する者)たちだ(Ⅰコリント12:28)。やがてこのカリスマによる奉仕職は制度化された奉仕職へと変化していく。
Ⅲ 制度的職制の発端
監督(エピスコポス)と執事(ディアコリス)はもともとはヘレニズムの制度であり、長老(プレシビュテロス)はユダヤ的制度であった。
使徒行録6:1~6によれば、7人の執事はみなヘレニスタで、主の兄弟ヤコブは長老の長だった。やがてこのヘレニズムの制度とユダヤ的制度が混合して、「司教ー司祭ー助祭」という「職階制」が生まれてくる。
Ⅳ 教会の制度化の3要素
したがって教会の制度化には三つの要素があるという。
①ケリュグマ(福音の教え)
②信仰の秘義(秘跡と典礼)
③奉仕職
教会の制度化はこの三つの側面で進んでいったという。岩島師は、制度化を福音の精神からの逸脱とする議論は誤りで、制度化は教会が存続するためには必然だと強調する。これは次章のカトリック教会の職階制批判に向けられた言葉のようである。
第10章は「イエス・キリストによる教会の設立」と題された短い章である。内容はK・ラーナを使ったR・ブルトマン批判(2)である。
①R・ブルトマンの説:教会の制度化は霊的秩序からの堕落であり、職制は本質的なものではない
②K・ラーナーの反論:キリスト教の歴史性からして、救いの制度的仲介の必要性がある
岩島師は、新約聖書期の教会の職制化は、教会の一種の「自己決断」だったという。生前のイエスが「聖職者位階制」を定めたわけではない。だがそれは啓示によって惹起され、歴史的に形成されてきた。だから教会は本質的に職制を持つ。そして教会はイエスの復活の土台の上に建てられたのであり、「その意向からも実質からもイエスをその創立者と見るのが適切である」という。
注
1 これも論じだしたらキリが無い。長老制は一般的には「段階的な合議制」をとる。監督制は「監督」が「執事」の上にあるという制度。カトリック教会のみならず、東方教会、聖公会、ルター派にもみられる。組織は位階制となる。
エピスコポスは英語では bishop であり、日本語では、司教・主教・監督などと訳される。カトリック教会は司教と訳す。これは職位だが、長老制では長老は職務であって職位ではないとされる(長老制では長老が牧師の任免権を持つ 監督制では信徒は司教・司祭の任免権を持たない)。
現在ではこの職制なり教会統治は、①監督制 episocopacy ②会衆制 congregational ③長老制 presbyterian の3種類にに大別するのが一般的だ。監督制はカトリック教会のように司教のみが運営にあたる、会衆制は聖職者による統治を排し信徒による直接的な統治を目指し、長老制は牧師と信徒代表である長老が共同でおこなう。聖書に基づく教会の在り方に最も近いのは長老制だとしたのはカルヴァンである。プロテスタントでは長老派は改革派の一部という理解もあるが、別だという説もある。「ウエストミンスター信仰告白」をとれば、イギリスやスコットランドでは長老派教会は改革派とは別になるようだ。
(教会統治の類型)
出典は八木谷涼子『なんでもわかるキリスト教大事典』2012 41頁
2 R・ブルトマン(1884-1976)はバルトとならぶ20世紀を代表するプロテスタント神学者。福音書の「様式史的研究」は、聖書研究の「非神話化」の方法と呼ばれているようだ。
K・ラーナー(1904-1984)はカトリック神学者。「無名の(匿名の)キリスト者」論であまりにも有名。第二バチカン公会議を主導した。特に日本の司祭や神学者に与えた影響力は圧倒的だと言われる。粕谷甲一師はその代表だろう。