カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

神の支配とはなにか ー エッセンス(4)

2020-06-06 11:17:59 | 教会

 第3章は、「イエスの教えと行動」と題されている。7節から構成されており、本書の中核部分のようだ。イエスの宣教活動と、そこでの
教えを説明している。神の国(支配)の到来という教えの説明が中心となる。

1 イエスの宣教のはじめ

 ここでは、洗礼者ヨハネの登場、イエスの水による洗礼、宣教開始の第一声、そして突然のイエスの出現に驚く人々の反応が説明される。

イエスの洗礼の話は、マルコ1:10-11 を一緒に読むことから始まる。そして、イエスの第一声は印象深いものだった。
洗礼者ヨハネがヘロデ・アンティパスに捕らえられた後、イエスは宣教活動を始めたとマルコ福音書は書いている。27年頃らしい。
その第一声とは、

    「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1・15)

 時が満ちるとは、神の国とは、近づくとは、福音とは、なにか。小笠原師は早速詳しい説明を始める。ここではそれらを紹介する余裕は
ない。大事なことは、このイエスの言葉に、人々が「群れをなして駆けつけた」ことだ。突然耳に響いた言葉に驚き、耳を傾け始めた
のだ。
 だが、かれらは、圧政からの政治的解放と新しい王国の建設を期待した。ところが、人々は、自分たちの期待とは異なることをイエスが
話していることを知ることになる(1)。


2 イエスが伝える福音のイメージ

 イエスが伝えた福音とはどんなものだったのか。師はそのイメージを「神の支配(国)の到来」と呼ぶ(2)。イエスは「神の支配」を
喩えを持ってイメージをあたえていく。

①神の支配とは「隠された宝」だ(マタイ13:44)
②神の支配は「成長していく出来事」だ(マタイ13:31-33)
③神の支配では「種をまく人」はそれぞれだ(マタイ13:3-9)

 イエスは、神の国(支配)とは、国家とか制度とか領土ではないという。それは 「実に、あなたたちの間にある」と言う。
「間にある」とは原文では「あなたたちのただ中にある」に近いらしい。「ただ中」とは道徳や倫理でもない。「お互いのかかわり」
なのだという(3)。

 

(東方教会の十字架 一番上の横木はイエスの罪状(INRI)

 

3 イエスの行動とさまざまなエピソード

 福音を説いて回るイエスは特徴的な行動を取る。「病気の治癒」だ。イエスは数々の病気を治す。今風にいえば「奇跡」をおこす(4)。
これは、「病気は罪の罰」という当時の考え方をイエスが退けたことを意味する。悪霊が取り憑いて病にかかる、それは罪を犯した
結果だ、という考え方を否定して、イエスは「子よ、あなたの罪は赦される」と宣言する(マルコ 2:1-12)。

 師は、イエスの律法主義との戦いの例を懇切丁寧に説明していく。

①マルコ 2:18-22 断食についての問答
②マルコ 7:1-16 昔の人の言い伝え
③ルカ 6:1-5 安息日に麦の穂をつむ
④ルカ 11:37-54 ファリサイ派の人々と律法学者への非難
⑤ルカ 13:10-17 安息日に腰の曲がった婦人をいやす

 数多くのイエスの病の治癒行為の中で最も印象的なのは、マルコ5:25-34 だという。「娘よ、あなたの信仰があなたを
救った」。神の国がこの女性のなかで成就したという。
 信仰とは聖書ではピスティスの訳語で、本来の意味は全面的に信頼するとか、自分自身を相手に委ねることを意味するという。
古い日本語での「たのむ(頼む)」という言葉に相当すると言う(5)。

 ついで師は、「信仰」の具体的な中身について説明する。4つの聖句を取り上げる。

①「安心して行きなさい」(「行きなさい 平和のうちに」)
②「イエスは・・・深く憐れまれた」
③「心の貧しい人々は幸いである」
④「疲れた者、重荷を背負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい」

 師はこれらを詳しく解説しながら、信仰とはイエスに全面的に信頼を寄せることであり、救いとは神からの解放の働きかけ、
人のうちに引き起こされる平安の恵みのことだと述べる。

4 イエスの使命と「父」である神

 イエスは、人々のあいだで自分の話に驚きが広がっていくのを見てどう思ったのか。つまり、イエスは自分をどう思っていたのか。
イエスの弟子たちは、イエスが王国を打ち立てた時、だれが一番偉い地位につくのかと議論していた。その時イエスはふっと自分の
本心を打ち明けたようだ。

「人の子(私)は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来たのである」
(マルコ 10:45)

 師はここで「贖い」(リュトロン)という概念を詳しく説明する。現代日本語では、贖う(あがなう)と償う(つぐなう)は相手に
かけた損害の埋め合わせをするという意味でほぼ同じことを意味する。ところが、聖書の世界では、贖いとは、奴隷を開放して自由に
してやること、奴隷解放のために身代金を支払うこと、を意味する。贖いとはもっと重い意味を背負った言葉として使われている。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」
(ヨハネ 3:16)

 師は、イエスが神をアマライ語で「アッパ」と呼びかけることの驚きを語る。神をパパとかお父さんと呼びかけるとはどういうことか(6)。
しかも、弟子たちにも「主の祈り」を与え(マタイ6:9-13)、神を「アッパ」と呼ばせる。神を父と呼ぶとは、イエスは自分と
神がどういう関係にあると思っていたのか。これは、三位一体論などという難しい話ではなく、イエスは、遠い昔預言者イザヤが告げた
「苦しむ僕」(イザヤ42章)として自己規定していたと思わせると言う。


 

1 興味深いのは、師が、「霊」、「神の国」、「天の国」、ルアーハとプネウマなどの概念を丁寧に説明していることだ。「理解を
深めるために」の欄では、聖書における「霊」が「息吹」や「風」を意味しており、ルアーハ(ヘブライ語)・プネウマ(ギリシャ語)
の訳語として不適切だと主張している。師は、訳語を「息吹き」に変更することを提案している。この傅で言えば、「聖霊」は
「聖息」となる。悪くはない訳語だと思う。
2 師は、この節で、注やコラムを使って、「神の国」概念を事細かに説明する。ギリシャ語の「パシレイア トゥ セウ」は、「神の
支配、神の統治とその恵みが及ぶ領域」という意味で、パシレイアを「国」と訳すと「国家」のイメージと重なってしまい、「支配」と
訳すと「上からの抑圧」というイメージを与えてしまう。ともに訳語として不適切だが、ここでは「支配」の訳語をとるという。支配と
いう日本語には、支配される人間の側の同意が含意されているからだろうか。
3 現代風にいえば、「関係」とでもいえようか。神の国とは、人間関係のひとつのありようだ、ということのようだ。
4 師によると、奇跡とはなにかおどろおどろしい魔術的出来事のことではない。聖書のギリシャ語では「セメイオン」と
書かれているだけで、日本語ではたんに「しるし」と訳されると言う。つまり、それらは、イエスが福音の真実性を示すためにおこなった
しるしであり、「その目撃者を信仰と悔い改めに促すため」に行ったものだと言う。
5 師は、浄土仏教信仰では「彌陀をたのむ」とは、自分の力を当てにすることなく、ひたすら阿弥陀如来に自分を委ねることをさすと
例を引いて説明している。師は浄土思想、阿弥陀信仰を高く評価しているようだ。日本の比較思想の分野では、浄土教とキリスト教を比較し、
その類似性や差異性を指摘する議論が多いが、結局は大乗仏教とキリスト教の比較だ。上座部仏教とキリスト教の比較にあまり関心が
向かないのは、比較思想と比較哲学の区別が明確ではないからなのだろうか。
6 イエスが神を父と呼ぶことは、神が父親のイメージで、つまり、男性のイメージで把握されていることを示す。神は男性か女性か。
これは、歴史的にも、また様々な宗教で議論されているテーマだが、聖書でいえば、当時のイスラエル社会が父権制社会であったことを
示している。ちなみに、日本のキリシタン時代の「主の祈り」(「ばあてるのすてる」 Pater noster)では、父は「親」と
訳されているという(天にましますわれらがおん親」 原文は「天に御座ます我等が御親、御名を貴まれ給え」)(コラム13 114頁)。

 

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イエスは誰に話しかけていたのかーエッセンス(3)

2020-06-04 10:57:23 | 教会

 第2章は「イエスをめぐ歴史的な背景」と題されている。ここでは、イスラエル民族についての簡単な説明と、イエスが誕生した頃の
イスラエル社会の特徴が素描される。イエスがどういう世界に生まれ、誰に向かって話しかけていたのか、を説明している。よく知られた
話ではあるが、小笠原師の整理の仕方が興味深い。

1 イエスに至るまでの長い道のり

 イエスを理解するためには、ユダヤ教についての知識が必要であるとして、師はユダヤ教の説明から入る。
まず、イエスラエルは民族名、ユダヤは宗教名、パレスチナは地域名 としておこう。イスラエル民族のルーツはアブラハムで、神は
「ヤーヴェ」と呼んでいた。イスラエル民族はBC1250年頃の「エジプトからの解放」という出来事を通して深い神体験を持つ。
ヤーヴェはモーゼを通してイスラエルの民とシナイ山で「契約」(1)を結ぶ。神は、自分がイスラエルの神となることの見返りに
イスラエル人が「神の民」になるよう命じる。強烈な選民意識の誕生である。


(嘆きの壁)

 

 第二イザヤ(2)によると、BC6世紀頃、メシア(救世主)到来の期待が高まる。やがて、民族解放のメシアではなく、人々の罪を負う
「苦しむメシア」像が生まれる。そしてこれはやがてBC2世紀頃には死を乗り越える「祝福のメシア」像に変化していく。
イエスはこういう歴史的背景の中で生まれる。

2 イエスの時代

 イエスが生きた時代のイスラエルの社会の様子が素描される。当時の地中海世界とヨーロッパ大陸はローマ帝国の支配下にあった。
ローマ帝国(3)は共和制の時代から帝政の時代に入っていた。イエスの時代、パレスチナは中・南部はローマ総督ピラトが統治し、
北部のガリラヤ地方はユダヤ人のヘロデ・アンティパスが領主として統治していた。イエスは南部のベツレヘムで生まれとされるが、
これはおそらく後世の伝説らしい(4)。育つのは北部のナザレという寒村である。両親はヨゼフとマリア、大工または石工として
育ったらしい。ガリラヤ出身と言うだけで危険視されていたようだ。

 当時のイスラエル社会は政教一致で、議長の大祭司の下の70名の議員からなる最高法院(サンヘドリン)が支配していた。主に、
祭司貴族はサドカイ派、指導者はファリサイ派で占められていた。そこでは「神殿」と「律法」が二本の柱で、神殿はサドカイ派、
律法はファリサイ派が支配していた。政治的解放を目ざす「急進派」(5)と、砂漠に退き、ひたすら信仰に生きようとした
「エッセネ派」(6)の人々がいた。洗礼者ヨハネやイエスはエッセネ派だったという説が強いらしい。

 

(IHS イエスはギリシャ語でイエスースと発音され、この語の最初の3文字をローマ字表記にしたもの イエスのイニシャル)

 不思議なことに、イエス誕生の話はルカ福音書2:1-14に書かれているだけである。ルカは「イエスの誕生物語」を詳しく語る。
この文章では、ルカの喜びようがそのまま伝わってくるようである。

 イエスが話しかけたのは圧政に苦しむこういうイエスラエルの虐げられた人びとであった。イエスの教えは単なる観念論、道徳論ではなく、
こういう「地の塵の民」(アム・ハアーレツ)と呼ばれた貧困層ー寡婦・孤児・娼婦・盲人・身体障害者・皮膚病患者などーであった。
かれらはその不幸のゆえに、神に呪われた者、汚れた罪人として厳しい差別を受けていた。イエスが語りかけたのは貧困者層であった。

 


1 聖書の世界では、契約とは、対等に責任を負い合うという現代的意味ではなく、神の一方的働きかけに人間が応えるという恵みの関係の
ことを意味する。契約概念の特殊性、聖書的意味を、理解しておきたい。
2 普通、第1イザヤ書は1-39章、第2は40-55章、第3は56-66章と言われる。第1イザヤは前539年のバビロン捕囚の
終焉前後、第2イザヤはバビロン捕囚解放後、第3イザヤは前6世紀頃のエルサレムの神殿再建が背景のようだ。特に第2イザヤでは
4つの「主の僕の歌」が歌われる。メシア自身が人々の罪を背負って苦しむ僕(しもべ)として描かれる。
3 ローマ帝国は、世界史上、最も長く続いた帝国である。共和制時代は前6世紀末から前27年まで。100年に及ぶ内乱のあと
前27年頃帝政に移行する。2世紀初めが全盛期で、最大版図を達成する。4世紀末に東西に分裂する。西ローマ帝国は5世紀末に
滅亡するが、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は15世紀まで存続する。800年のフランク王カール大帝の戴冠を西ローマ帝国の復興と
みなすなら、神聖ローマ帝国(962-1806)は19世紀まで続いた。
4 小笠原師は、「クリスマス」についての詳しい説明の中で、どこで生まれたかという話より、「低くされている人々の中で生まれた」
点を強調している。
5 急進派は「熱心党(ゼロータイ)」と呼ばれた。イエスの弟子のシモンは熱心党だったようだ(ルカ6:15)。
6 エッセネ派はファリサイ派の一派だったらしく、独身主義・平和主義を貫いた。後のキリスト教の修道生活のルーツとなったという。

 

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心の渇き ー キリスト教のエッセンス(2)

2020-06-02 09:37:04 | 教会

導入

 本論に入る前の「導入」部分である。タイトルは「キリスト教信仰のエッセンスを学ぶーより善く生きるための希望と道しるべー」と
題されている。これからの学びのための「視点」が述べられる。知識としてのキリスト教ではなく、より善く生きるための道しるべとしての
キリスト教信仰を学ぶことが強調される。

 より善く生きるとはどういうことか。師は、聖書から4箇所を取り上げる。マルコ8:36(イエスに従う者),テトス3:1-7(信徒
の務め),フィリピ2:6-11(模範であるキリスト),ヨハネ1:1-2(神であるみ言葉) だ。どれも短くはないが、参加者全員の
読みあわせから始まるのであろう。最初から聖書の説明だ。結局、イエス・キリストとの「関わり」が人に大きな「変化」を引き起こし、
「心の渇き」が満たされるということが説明される。

 「信仰」が「心の渇き」を満たすものとしてまず説明される(1)。心の渇きは、マズローの「自己実現の欲求」論を使って
説明される(2)。心の渇きは科学では満たされないと説かれる。

 信仰は心の渇きを癒やし、救いを求める祈りのことだという。小笠原師の信仰観がにじみ出ていて、読んでいて心地よい。

第1章 なぜ「キリスト教」というのか

1 祈る人間

 第1章は「宗教とはなにか」という問いから入る。極めてオーソドックスな導入だろう。オーム真理教事件やスピリチュアル・ブームを
例にとりあげ、現代日本では宗教についてマイナスのイメージが強いことが指摘される。他方、習俗化した宗教的伝統(七五三や
お盆など)には敬意を払うことの重要性が説かれる。日本の「宗教的伝統」や「宗教的儀礼」を重視する視点は小笠原師の特徴的な
宗教観といってよさそうだ(3)。


(教会・寺・神社)

 

2 なぜ「キリスト教」と言うのか

 キリスト教とは、一言で言うと、「イエスはキリストである」と信じる宗教のことである、と説明される。
では、なぜイエスというありふれた普通の名前を持った人が「キリスト」(メシア・救い主・救世主)と呼ばれるようになったのか。
これを学ぶことがキリスト教を学ぶということの意味であると説明される。

 小笠原師の導入は成功していると思う。信仰を「心の渇きを癒やすもの」として説明しようとしている。これはキリスト教関連の入門書や
説教ではよく使われるたとえのようだ(4)。渇きには体の渇きと精神の渇き、肉体の渇きと魂の渇きがある。肉体の渇きは水で癒やすが、
また喉は渇く。では、霊魂の渇きはどう癒やしたら良いのか。師が引用したヨハネ福音書4:13・14をもう一度読んでみたい。

「この水を飲むものは誰でもまた渇く。しかし、私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(協会共同訳)



1 信仰の定義にはいろいろあるだろう。『カトリック教会のカテキズムでは』、「信仰はまず、神に対する人間の人格的な帰依です。
これは同時に、神が啓示されたあらゆる真理への自由な同意を伴います」とされている(222、#150)。わかりやすい訳文だ。
『カトリック教会のカテキズム・要約』では、「神を信じるとは、時分自身を神に委ね、神が真理そのものであるため、神から啓示された
あらゆる真理に同意しながら、神ご自身に帰依することです」(151-152,176-178,#27)と定義されている。
ちょっとくどい印象が残る。
 こういう定義を無味乾燥だとか抽象的だとかみなすなら、信仰を「心の渇きを癒やすもの」として説明するのは現代の日本人には
ピンとくるのだと思う。なお、数字はDS。教会の『文書資料集』の番号で、かなり細かい話になる。
2 A・H・Maslow (1908-70) アメリカの心理学者。「欲求段階説」(5段階説または6段階説)を唱えた。
人間の行為・行動の動機には5(6)種類の欲求がある(生理的欲求・安全欲求・所属欲求・承認欲求・自己実現欲求・自己超越欲求)。
これらの欲求は階層構造をなしているという。「自己実現欲求」は第5段階とされる。師がなぜここでマズローを援用するのかは
説明されていないが、本書が自己実現論やエリクソンのアイデンティティ論がが流行っていた頃に構想されたことを示しているのかも
しれない。マズローの心理学は精神分析学と行動主義心理学の統合理論とされることが多いが、基本的には人格の発達段階説のひとつだ。
3 これは東京カトリック神学院系の司祭養成の特徴なのかもしれない。日本カトリック神学院が昨年東京神学院と福岡神学院に別れ、
司祭養成期間も7年に伸びた。日本のカトリック教会にはこういう面でも地殻変動が起きているのかもしれない。
4 たとえば、関口教会の入門講座では、Sr.中島(マリアの宣教者フランシスコ修道会)は「共感・絆・渇き」というテーマから
講座への導入を始める。なお、これはネットを使った入門講座である。対象は幅広いので、対面式の入門講座とは強調点が
異なってくるのかもしれない。

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