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1月21日(金曜日)
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外壁工事の足場がとれて、すっきりした。
6時半散歩に出るときの空は薄暗く今日は昨日より冷たいこの時期”月は西に満月の翌日で真ん丸く輝いている、陽は東から”上がってきた。
昨日の白鳥の飛来地と鹿島古墳群と蠟梅
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白鳥の飛来地として有名な「深谷市川本地区」の
荒川河川敷に役100羽程度ののハクチョウが飛来してます。
しかし
2008年から、鳥インフルエンザの影響などを
考慮して、餌付けが禁止されてます。
餌付けをしていないために、ハクチョウは河川敷の草むらでしきりに
野草を食べています。
今回もお二人の係の方が河洲の草をかたずけていました。
以前野火があったり犬の持ち込みで白鳥が寄り付かなくなったことがあったが
今は皆さんが承知でマナーを守っている。
10時半位になってから10人くらいの方が見学に来た。
餌やりが禁止されてからは鴨の類が大幅に減っている。
合併以前は「川本町の白鳥飛来地」として知られていましたが、
合併によって深谷市です。
*私が20日の日に愛用?の双眼鏡で数えたら44羽であった。
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すぐ近くに「鹿島古墳」もあり、散歩コースにはうってつけです。
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古墳とは今から千七百年前から千四百年前頃に
この地域の有力者を埋葬するために造られた墓で、
土を高く盛り上げて、その内部に遺骸を埋葬する場所が設けられています。
古墳の形は、平面形から前方後円墳や円墳、方墳などと様々な形がありますが、
鹿島古墳群は円墳だけで構成されています。
この様に小さな円墳が密集する古墳群を特に「群集墳」と呼び、
鹿島古墳群はその規模から県内を代表する群集墳です。
鹿島古墳群では、遺骸を埋葬する施設として荒川の河原石を積み上げた
長さ四メートル、幅二メートル前後の楕円形の石室が築かれています。
また、出入りできる入り口が設けられ、こうした石室を
横穴式石室 と呼びます。
この石室には遺骸とともに生前使用していた太刀や弓矢、刀子などが副葬されました。 鹿島古墳群では太刀などの武器具が多く出土しています。
また、墳丘の表面は河原石で飾られており、築造された当時は草や木に覆われた現在 のイメージとは異なった、白く輝く荘厳な姿であったようです。
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鹿島古墳群
荒川中流域における古墳群で、分布は川本 鹿島、本田、江南 押切の
範囲に及び河岸段丘上約二キロメートルにわたっている。
現存する古墳五十六基は、小円墳がほとんどで荒川に近い古墳には埴輪を持っているものがある。
昭和四十五年に圃場整備事業に伴い県教育委員会により二十七基の古墳が発掘調査されている。
主体部は荒川系の河原石を用いた若干胴の張る横穴式石室で玄室には
棺座を設けたものも見られた。
天井、奥壁は緑泥片岩を使用していた。
玄室と羨道の比は、二対一となり三十センチメートル(漢尺)の
定尺となるものが認められている。
出土遺物には、玉類が少なく、鉄鏃、直刀、刀子、耳環などが多く出土している。
古墳の年代は奈良時代初期の住居跡の上に古墳が構築されているものがあり、
七世紀初 頭から八世紀初頭にかけてつくられたものと推定される。
古墳の埋葬者は、在地において先進的な役割を果たした豪族であろうと思われる。
荒川旧流域を代表する最も保存の良い古墳群で、埼玉県古墳文化の地域研究の上で
貴重なものである。昭和四十七年三月二十日、県の史跡として指定されている。
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更に古墳群と河川に沿って記念樹の蠟梅の木が沢山植え込んである。
今が盛りと芳香を漂わせている。
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散策通路の畑には立派なネギが育てられていた。
結構両脇を深く掘るものだ!なあ~。
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