8月31日 (土曜日)
遺族会研修旅行③ 三陸鉄道
昨晩27日は、美味しい料理をいただき
28日天気の良い中をお見送りの御挨拶をうけながら海辺に向かって旅館とお別れ。
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土砂崩れの被害あとなど見受けられない御所湖を見ながら久慈に向かう。
久慈道の駅にて休息。天気最高。
あまちゃんの
ポスターがいたる所に貼られている。
NHKに取り上げられると、その効果は絶大だなあ~!
もっとも復興に向けての企画でもあったろう。
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JR久慈駅横の三陸鉄道に乗車
久慈から宮古の路線だが、単線で結構揺れる。
。
あっちこっっち修復作業が行われたんだろうが何処が終わっているのかは・・わからない。
海を見下ろすと漁港の堰堤の修復も進んでいるんだろうか?
海は青く穏やかであるが、これが津波が起こると牙をむくんだ!
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普代駅で下車して北山崎へ向かう。
今回のメイン観光地。
歩いて展望台へ日射しが強い。
リアス式海岸の素晴らしい眺めだ。
下の第2展望場所に降りたは良いが、帰りはキツイ登りだ・・
足腰の調子の確認も兼ねてゆっくり登り降りをしてみた。
汗びっしょりだ。
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又バスに乗り込んで田野畑に向かう。
途中で普代村の奇跡の防潮堤のお話と水門を車窓から観る。
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震災津波の時の記事や写真を集めた。
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岩手県普代村の奇跡 3000人の村の堤防があの津波をはね返した
高さは共に15.5メートル。東北一の「防潮堤と水門」が村を救った。
岩手・三陸海岸の北部にある普代(ふだい)村。
漁業が盛んな人口約3000人の村だが、
2011年3月11日午後3時半すぎ、巨大な津波が襲いかかった。
「高台から見ていましたが、津波がものすごい勢いで港に押し寄せ、
漁船や加工工場を一気にのみ込みました。
バリバリという激しい音がして、防潮堤に激突。
みな祈るように見ていましたが、波は1メートルほど乗り越えただけで、約1000世帯が住む集落までは来ませんでした」(普代村漁協)
津波が来る前に、港に船を見に行った男性が行方不明になっているが、
防潮堤の内側にいた人の被害はゼロ。
住宅への被害も一切なかった。高さ15.5メートル、全長130メートルの「防潮堤」が、村人の命を救ったのだ。村の北側には、同じ高さの水門(全長200メートル)があるが、
こちらも川を勢いよく上ってきた津波をほぼはね返し、小学校を守ったという。
普代村の隣、田野畑村(人口約4000人)には、高さ8メートルの防潮堤が2つあるが、津波を抑えられず、死者・行方不明者40人、全半壊533戸の被害が出ている。“高さ15.5メートル”の防御力は絶大だが、なぜ普代村に2つも造られたのか?
「防潮堤は1970年に約6000万円(当時)をかけて造った。
水門は35億円(同)で、84年に完成しました。
普代村は1896年の明治三陸大津波で1010人の死者・行方不明者が出た。
1933年の津波でも約600人が死傷しました。
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戦後、
和村幸徳村長が
『2度あることは3度あってはいかん』と県にひたすらお願いし、建設の運びとなった。かなりの費用がかかるので、当時は『他のことに使えばいいのに』
『ここまでの高さは必要なの?』といった批判もたくさん受けましたよ(苦笑)。
きっと今は天国でホッとされているのではないでしょうか
村ではボロボロに壊れた漁港や養殖場の修復作業が進められているが、
一方で、堤防に手を合わせたり、故・和村村長の墓に線香を供える人が絶えないという。
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同じような記事
岩手県普代村に設けた防潮水門などが東日本大震災で効果を発揮。
同村の中心部や集落を大津波から守った。
3月30日時点で行方不明者は1人出ているものの
死亡者はゼロ。住宅への浸水被害も出ていない。
三陸海岸に面した普代村は、普代川に沿って中心部を形成している。
1896年に発生した明治三陸大津波では、1000人以上の死者や行方不明者を出している。
この明治三陸大津波を対象に、普代川の河口から約300m上流に建設したのが普代水門。水門の高さは15.5mで、長さは約200mとなっている。岩手県が高潮対策事業の一環で総事業費35億6000万円をかけて建設した。完成したのは1984年。
普代水門は遠隔操作で水門の開閉をできるようになっているが、
操作中に地震の影響で停電。一部を久慈消防本部の職員が手動で操作して、
津波の到達前に水門を閉めた。
津波は到達時に水門を越えたものの、水門から約200m上流付近で停止。
水門の上流側に設けた管理用の橋が破損したが、住宅などに浸水の被害はなかった。
さらに同村の太田名部地区では、太田名部防潮堤が効果を発揮した。
同防潮堤は高さが15.5mで、長さが約130m。1970年に完成した。
津波は防潮堤の高さ約14mの位置で止まり、背後の集落に被害はなかった。
普代村では住宅への浸水被害はなかったものの、水門や防潮堤の
下流側で水産加工場が全壊するなど、漁業施設に大きな被害が出ている。
行方不明となっている1人について同村は、
「船を心配して海岸側に向かったときに被災したのかもしれない」と話している。
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この河口に建つホテル羅賀荘で昼食を
山からホテルの全景を
このホテルは3階まで浸水sたそうである。
今はすっかり綺麗になって営業している。
ホテルからの海の様子は・・すぐ海なので津波をまともに受けたらしい。
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被災時を想像しながらの食事
ホヤの二杯酢と・言われなければわからない烏賊の味に似ている
マンボウの湯引きを酢味噌でいただき、ビールも入ってやや気分良し。
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これから浄土ヶ浜へ・・・・・・・むかう。