つれづれなるママ 似!?

夫婦と23歳の長男・21歳の双子の娘+猫にゃんとの暮らしの日記

名犬ちびどん

2013年08月30日 | 思い出

自宅から車で30分くらいのところにある 祖母の家の下で 父は喫茶店をしていて

幼いころは店の裏にある 応接間で よく過ごしていた

祖母の飼っていた 凶暴な犬が 亡くなって しばらくしたころ

泥棒が入りかけたので また番犬が必要だという話になり 犬を飼うことになった

当時 コリーやシェパードがドラマやアニメで活躍していたので

そんな 賢い犬が来ることを勝手に想像していた

お店のお客さんが

「新聞屋さんの犬が赤ちゃんを産んだから 少し大きくなったらあげる」と 話がすすんでいき

わたしは わくわくして待っていた

そして とうとう約束のその日 一緒にもらいに行くことになった

車の助手席で 待っていた私の膝に ポンとおかれた その犬は

見たこともない 茶色のふわふわの犬だった 「犬?」

想像とは まったくちがって  耳がたれていてちょっと間抜けな顔だった

けれども 愛嬌のあるその子犬をみんな すぐに大好きになった

私は 毎日 店の番犬を 家に連れて帰ってもらえるよう

父に頼みこんだ

父はその子犬を手提げ袋に隠して家に入り 一瞬残念そうにする私を見た後 ぴょこんと出すのを楽しんでいた

名前は私が考えると みんなに 言いはり

「ジョン→マーク→ドン」・・・といろいろ呼んだけど ぜんぜん振り向かない

だって みんなが 

「チビ」って呼ぶから・・・

だから わたしだけ

「ちびどん」って 呼んでた

私が結婚するちょっと前に亡くなってしまったちびどん

 
めっちゃかわいかったな~ ちびどん

父と娘のカーチェイス

2013年08月18日 | 思い出

中学生だった頃 わたしにも もれなく 反抗期がやってきて

高校生くらいまでは 父のことが 大嫌いだった

父はとっても 変わっていて さびしがりやで ウソつきで 自分勝手で 

母には冷たくて それでいて 自分の子どもが大好きで

こどものような人だった

じゃりんこチエに出てくる チエちゃんの父テツのような人が 私の父

父のそんな わがまま人生に 最後まで ずいぶん家族は振り回されたけれど 

自分が愛されていたおかげか 父の事は 歳を重ねるごとに 大好きになっていった


けれどもそんな性格の 父なので 私が結婚するなんて 寂しくて つらくて 耐えられない

どんな人であっても 結婚に 大反対することは わかっていた

初めて結婚を意識した今の夫さんは ごく普通の人だけれど

少しでも話をすると 聞いていないふりをしたり 違う話をしてゴマかしたり

もちろん結婚も大反対で 娘かわいさのあまりに 理由もなく 夫さんを毛嫌いしていた

けれども 父はゆっくりと話し合いができる 性格でもないので
 
私は着々と 母と結婚の準備をすすめていた

そして最終的に ある程度 つめたところで 双方の両親を会わせ一気に話をすすめてしまう作戦をとった

もう この話しのことは十数年も前になるのだけれど・・・

夫さんのご両親と私の家族が初めてお店で顔合わせをする当日

父と母を迎えに行くと お店の場所も知らないのに 父は頑として 自分の車で行くといい出した
すでに 挙動不審で プリプリしている


仕方なしに 私は自分の車を運転して 父と母の乗った車を 先導する形で お店まで 行くことになった

バックミラーを見ると 父の顔がめっちゃ怒っている しかも 赤信号でアクセルをふかしたり 

国道を蛇行運転をしていたかと思ったら 

急にスピードをあげて 私の車を追い抜いたり ゆっくり走ったり

まったくもって 運転免許があるだけに こどもより性質が悪い

私も 相手方との約束があるので 連れて行かなくては いけないし 

この日を逃したらもう 父はつかまえられない気がして

父の車を追い抜いて 前に割り込んだり 必死だった

親子でのカーチェイスの結果 しぶしぶ お店までついたけれど

父はまったく しゃべらない

挨拶も 肯く程度しか できない

いつも 常識とはかけ離れている父だけれど この時はちょっと 自分の運命を呪ったような気がする

ずっとヒヤヒヤしていたので食事もまったく覚えていないけれど 

夫さんの お父さんがなんとか 話をして 父が肯くを繰り返して終わった・・・ような

ような・・・というのも 話の内容までもほとんど 覚えていない

どんなに思いだそうとしても お店についたことや親子でカーチェイスしたことくらいしか 記憶にないのだ

そんな 愛すべき!?3歳児のような父とも もう会えなくなって7年たった 

昨日も 亡き父の話が出ると 母は愚痴っていたけれど

何かにつけ おもしろい人やった

たくましく 育ててくれてありがとう お父さん (^人^)

恩師の簡じぃ

2013年03月27日 | 思い出

もう ずいぶん 前のことになってしまったけれど

中学に入学することを とても 楽しみにしていた私

私服の小学校だったので 制服にも憧れていたし

「先輩:後輩:部活動」

テニス部に入り ラケットを持って 学校に行くのが かっこいい~

キラキラ輝かしい毎日を想像していた・・・実際は 真逆で 何かと 痛い目にあった中学校生活だった

さて 入学した その日 教室に入ると 

やってきた 担任は いきなり じぃちゃん先生だった 8クラスの8組で みんなと 校舎も違っていた

他のクラスは わりと普通の先生だったように みえたけれど

後々「簡じぃ」と名付けられた 担任は ほとんど 笑わないし淡々としていて 小学校の先生とは大違い 

中学の先生は そんなものなのかと ずいぶん びっくりした

簡じぃは 常時 無表情だった気がする

そして 静かに 厳しく いきなりの先制攻撃を始めた

それはまず 「起立・礼・着席」の猛特訓からだった

学級委員が「起立」というと すぐに 立たなければいけないのだ

普通のことのように 思うけれど それは 軍隊の様な1秒を切る 早さでなければならない

もちろん だれひとり そんなことは 初めてだったので やり直しの連続だった

一人でも遅れると 全員がやり直しで できない子は名指しされる

名指しされたら みんなの視線をあびるので ちょっと ふざけたい男子も 

繰り返し やりなおしがかかるので 終わらない挨拶に 全員がウンザリする雰囲気の中 

すぐに 完璧にできるようになった

正直 みんな 陰ではぶぅぶぅ 文句を言っていた

そんな 個性的な先生のクラスにも 慣れた6月半ば

私は 肺炎になって 2週間ほど 学校を休んだ

その間 まだまだ 小学校気分の私は 一切勉強などしていなかったので

学校へいくと 授業がまったく わからなくなり ついていけなかった

期末テストも泣けるくらい 散々だった

運動も当面 禁止されていたので 球技大会も出られず 教室で 骨折した友人と 

あまりのたいくつさに 黒板をピカピカにしていたら

突然 簡じぃが やってきて 「そこに座りなさい」というなり黒板に 数学の問題を書きだした

何回も 何回も 問題を書いて 間違った答えでも 淡々と続けた

そのうち 理解して 答えられるようになると さっさと 出て行った

友人は 「なんで 今 数学やらなあかんねん」といっていたが

とにかく わかるようになった私は 嬉しかった

肺炎になる前 学校で しんどくなった私が 掃除の時間に座っていた時も

簡じぃに 見つかり てっきり 叱られると思ったけれど 「しんどいのか」と淡々と言い 叱られなかった

コミュニケーションなどは それ以外 覚えていないくらいなので なかったように思う

中学2年になって クラス替えがあったけれど

すぐに 条件反射で立ってしまうのは 8組全員が経験したと思う

そして だらだら 立つ みんなを見て 自分が恥ずかしくなったけれど

全員が立つまで始まらない挨拶を 待つ間 いらだちも あった

あの 特訓はなかなか いいものだ・・・とさえ思った

いろいろな 先生がいたけれど 「簡じぃ」は 私の中で 別格だ

どうして おられるのかなぁ

 

結婚記念日

2013年03月10日 | 思い出

あれから十数年もたったのだ・・・

たくさん 写真を撮っていた時もあったけれど
 
今は顔もたるむし ボディもだいぶとふくらみ 写真は避けるようになった・・・

結婚する時に買ってもらった 両面ハッチのカウンターつき食器棚

今は 「アイランドキッチン」だとか 「対面式キッチン」が当たり前なので

そんな家具を売っているのを 見なくなったけれど

当時は とっても ステキに見えた

けれども 少し前から 扉がガタガタいっているかと思ったら

ついに蝶番が 折れて 扉が外れそうになり あわてて同じ蝶番を 買いに行ったら もう廃番で売っていなかった

突然外れたら ガラスが 危険なので 思い切って 扉を外すことにした

すると 当たり前なのだけれども オープン食器棚に なった

反対側の蝶番も もう 折れかけているので それも外した

・・・案外 使いやすい...

けれども地震の時は かなり 危険である

今年に入って 家のひさしも なぜか 折れて 半分落ちかかっている

どうやら スーシが 登った可能性が・・・これは 本人が否定しているので今のところ疑惑がかかっているだけ

明日は とんちゃんが 修理するらしい

月日がたつと いたむ ところが あちらこちらに出てくるものですね・・・