読書も好きなのに、お手軽なスマホに夢中すぎる。
面白い…と聞いて久しぶりに本を手にした。
「コンビニ人間」
普通…とは…
定型発達…
子どもの発達を勉強していると、ちょくちょく自分にも我が子にも親、兄弟にも「生きづらい」と言われるような個性の一面を思い浮かべることがある。それぞれの個性をどこかに当てはめるのは無理があり、それが発達障害につながるかは生きていく過程や場面で変わる。
良いことばではないが白黒つけられないことから灰色の「グレー」ということばを使うことが多い。大人になって社会に出ていろいろな場面で自分の至らなさに気づき、グレーを自問自答することはしばしばある。
そんな私も社会経験を積むうちにいつの間にか、普通=定型に生きていくことを身体に叩き込んできたことにこの本によって気付かされた。大げさな表現になってしまうが、社会の一員として無意識のうちに個性をなるだけ出さず、はみ出さないようにしている。私がそうさせてしまったのか、すでに娘たちもそのようにしているように見えるし、それが成長の証として、無意識のうちに喜ばしいとさえ思っているのだ。
しかし、息子だけは違う。彼は私の守ってきた安心、安全という道から、常に抜け出し、好きなように好きなことをして生きている。彼はいつもやりたいことは我慢せずにやってきた。そう言うと聞こえはいいが、やりたいことのために家族はずいぶん傷ついたし、我慢ができない子でもあった。思えばいろいろな事があったのに、叱ったり宥めたりしたことばでは「定型発達=普通」を擦り込もうとしていたのかもしれない。彼がしたい事をホローできなかったのか、それともホローは最初からいらないものであったのか…
そう言いながらも、彼が定型の職に就きちゃんと奨学金の返済をして、国民年金を納めてくれないか…と 定型…!?をかなり強く私は求めている。
私には「定型」を無意識に目指す行動修正みたいなものが染色体に組み込まれているのかもしれない。
いや、そんなことは、私にとって当たり前のことなのに、この本によって、難しく考えすぎて私がおかしくなっているのか…
定型を常に目指して凝り固まった私はなかなか変わらない。もしかして「定型」を意識の中から失くすことで新しい何かが見えてくるかもしれない。「定型」から外れる?そんな事ができるのか!?これもまた、私に課せられた課題のようにも思えてきた。「コンビニに人間」奥が深い。