さて、みなさん。
アパルトヘイトをご存知ですか。
南アを語る上で、決して避けて通れない人権問題。
忘れた方は、中学校もしくは高校の教科書を見てください。
最近の教科書は、ほとんどアパルトヘイトに関する記述がないらしいのですが‥。
それは、それで。
「アパルトヘイト=南アフリカの人種隔離政策」と
試験用に丸暗記した方も多いかと思います。
日本の社会科の授業では、これ以上深いことを教えません。
実際、私もそうでした。
アパルトヘイト(Apartheid)とは、
南ア白人たちの言語、アフリカーンス語で、「隔離」という意味。
南アフリカ共和国における白人と非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーシアなどからのアジア系住民や、カラードとよばれる混血民)の諸関係を差別的に規定する人種隔離政策のことを指します。
アパルトヘイトについて(wikipediaより)
アパルトヘイト時代は、
南アフリカの負の時代と黒人たちが呼ぶように、
白人によって、黒人の人権が認められなかった時代です。
黒人たちは、居住地を限定され、
自分の居住地以外の場所に行く場合は、
たとえ国内移動でもパスポートの携帯を義務付けられていました。
今日は、そんな時代の南アフリカの教育の話。
白人政府は、1953年にバンツー教育法を制定しました。
(バンツーとは黒人という意味)
この法律は、
「低賃金で労働力を提供でき、白人優位を自然に受け入れられるような
黒人の子どもを育成すること」を実質的な目的として作られました。
そのため、
①理数科教育は、英語またはアフリカーンス語(白人言語)で教えられた。
②白人、インド人、カラード、黒人の各人種担当の機関が、
独自の教育系資格を付与し、学校設置基準をもっていた。
(予算は、あくまで白人の議会が握っていた。)
その結果、
理数科教育は、英語で教えることを求められたため、
子どもたちは、数学そのものより言語で苦しむ場面が多々見られた。
(これはいまも変わっていない気がします。)
また、黒人一人当たりに占める教育費の割合が、
白人のそれより10分の1程度に抑えられていた。
その後、アパルトヘイト時代が終わりをつげ、
南ア新政府は、1996年に、南ア学校法を設立して、
これらの教育的な差別を撤廃しました
差別は撤廃されたけれども、
約40年も続いた人種隔離政策の後遺症はすぐには消えません。
特に理数科教育は顕著で、
現在でも充分な資格や能力を持たずに学校にいる、
黒人理数科教員が大量に残ることになったわけです。
以下は、参考資料です。
日本の高校からの質問に答えます①先生の学歴
日本の高校からの質問に答えます②アパルトヘイト後の学力
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今日は、
学校の事務員たちのターム休みについて。
南アの学校で勤務する人たちは、
校長、教頭、一般教師、
事務員、用務員(GeneralWorker)、守衛(いないケースもある)です。
このうち、
一般教師は、ターム休み中、学校に来る必要はありません。
しかし、校長、教頭、事務員のうち、
誰かは学校にいることを求められます。
そこで、大概の学校には、事務員がいます。
何をしているかというと、
州教育省に提出する書類の入力作業です。
日本ほどではないにしろ、
南アの学校の書類の数も決して少なくありません。
学校によっては、先生ごとにパソコンがある場所もあれば、
事務員用のパソコンしかなく、
全ての入力作業を事務員が一人か二人で行わなければならないこともあります。
また用務員さん(GeneralWorker)も備品の点検作業に追われています。
教室の清掃や壊れた机、椅子などをチェックします。
彼らの仕事が、学校に大きな活力を与えると思っているので、
私もたまに学校に行って、仕事のお手伝いをするようにしています。
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