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石見の伝説と歴史の物語−130(観応の擾乱−3)
39.観応の擾乱 越智伊賀守が直義に思いもよらぬ提言をした。 「このままでは何とも仕様がない、ここは思い切って一旦吉野朝に下って、身の安全を確保してから、体勢の挽回を考えたらど...
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石見の伝説と歴史の物語−131(観応の擾乱−4)
39.観応の擾乱 39.6.尊氏の帰京と離京 とにかく、足利直義は南朝に降伏して、高師直・高師泰兄弟に対抗する勢力を築こうとした。 その直義は一旦、大和国越智(高市郡高取町)...
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石見の伝説と歴史の物語−132(観応の擾乱−5)
39.観応の擾乱 39.8.打出浜の戦い 打出(うちで)は、兵庫県芦屋市東部、宮川流域、六甲山地南麓から大阪湾へかけての段丘・沖積地にあたる地域である。 足利尊氏は、ここ打出...
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石見の伝説と歴史の物語−133(観応の擾乱−6)
39.観応の擾乱 39.9.尊氏と直義の和睦 39.9.3.高兄弟の滅亡 観応2年/正平6年(1351年)2月26日に、和睦が成った尊氏は上洛の途についた。 高...
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石見の伝説と歴史の物語−134(観応の擾乱−7、三者鼎立−1)
39.観応の擾乱 39.9.戦後処理 尊氏は播磨から上洛し、義詮は丹波の石竈から上洛し、直義は八幡から入京した。 三人はすぐに会って、和平のしるしに酒宴をもうけた...
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石見の伝説と歴史の物語−135(三者鼎立−2)
40.三者鼎立 40.3.直義、京を逃れる 自分の領地に帰っていった尊氏派の武将が謀反を起こすという噂が広まった。 「太平記」では その年(観応2年/正平6年(1351年)...
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石見の伝説と歴史の物語−136(正平一統の破断−1)
41.正平一統の破断 このころ、南朝の最高指導者は北畠親房(「神皇正統記」の著者)であった。 親房は最初から、尊氏も直義も信用しておらず、ただ南北朝合一のために利用する気であっ...
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石見の伝説と歴史の物語−137(正平一統の破断−2)
41.正平一統の破断 41.3.足利直冬と山名時氏 41.3.1足利直冬の存在 観応2年/正平6年(1351年)2月、尊氏は直義と和議を結ぶが、高師直・師泰兄弟は直義方に殺害...
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石見の伝説と歴史の物語−138(正平一統の破断−3)
41.3.石見の宮(2) 暦応元年/延元3年(1338年)胡簶局(やなぐいのつぼね)は、兄の三隅兼連を頼って花園宮満良親王の若宮皇子(後の石見の宮)を安全に養育しようとして...
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石見の伝説と歴史の物語−139(足利直冬(2)−1)
42.足利直冬(2) 42.1.直冬石見に入る 文和2年/正平8年(1353年)6月に直冬は南朝に降伏した。 南朝は時氏の奏上により、直冬を大将(総追捕使)とし、尊氏討伐を決...