快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み身近の被写体を撮り歩く暇爺。

公園散歩この時期は花が少ない中探して映してきました

2016年10月23日 18時12分24秒 | 公園・風景・その他

冬桜が咲いていました、

山茶花の花がひっそりと咲いていた

木陰にホトトギスが控えめにに咲いている

ガゼリアが晴れやか
に咲いていた
コスモスは終わりを告げていた

コスモス畑の向こうに赤い電車が走ってきた


金木犀の香りが微かに漂う

2016年10月17日 15時15分58秒 | 我が家の植木の現状
昨夜の雨で金木犀の蕾が膨らんで微かな香りが漂う、明日にはもっと香る事だろう。

1~2画は、金木犀の蕾、

3画は、金木犀の全体

4画は、金木犀のマクロ撮影、

5画は、ミニ薔薇、我が家の春明と楽しませてくれる、
    この薔薇は挿し木で発根したものです、

金木犀の香りが微かに漂うの画像

金木犀の香りが微かに漂うの画像

金木犀の香りが微かに漂うの画像

金木犀の香りが微かに漂うの画像

金木犀の香りが微かに漂うの画像



半田赤れんが建物

2016年10月03日 13時02分05秒 | ノンカテゴリ
昨日は地域の祭礼で4時に市民館に行かなければならないので、半田の矢勝川の彼岸花を見る時間がなかったので、半田榎下町にある半田赤レンガ建物『旧名称、カブトビール半田工場』に立ち寄り小一時間ほど時間を費やした、
1898(明治31年)基礎設計をドイツのゲルマニア機械製作所、実施設計を妻木頼黄(つまき.よりなか)が手掛けた、丸三麦酒のビール工場であった、第二次世界大戦中1944(昭和19年)に中島飛行機製作所の衣糧倉庫となり
戦後は1948年(昭和23年)7月には日本食品化工のコーンスターチ製造工場の1部(主として製品保管倉庫)として1950年(平成6年)9月に同工場は操業を終え1996年(平成8年)3月に半田市に、土地と建物を譲渡した。
又、現在までの間に東南海地震、三河地震、半田空襲、等に見舞われるも現在でもその姿を残しており、半田空襲の時P-51 戦闘機から受けた機銃掃射の傷跡が現在でも壁面に残っている(セメントにて補修してある)
2004年(平成16年)7月23日にはハフテンバー棟、創建時主棟、貯蔵棟の3棟が国の登録有形文化財に、2009年(平成21年)2月23日には経済産業省より近代化産業遺産の認定をうけた、2015年(平成27年)7月18日観光施設と、リニユーアルオープンした、オープンごは、指定管理者として(株)JTBプロモーションが管理運営を行っている。記事wikpediaから抜粋。

1画は、赤レンガの正面後方に見える高い棟は5階建て

2画は、手前壁面に機銃掃射の銃魂があった、

3~4画は、展示品、

5画は、1画の裏面、

半田赤れんが建物の画像

半田赤れんが建物の画像

半田赤れんが建物の画像

半田赤れんが建物の画像

半田赤れんが建物の画像



半城土天満宮祭礼

2016年10月02日 21時18分14秒 | ノンカテゴリ
今日は、半城土天満宮の祭礼と共に文化祭が行われた、祭礼は例年通りの催しであったが文化祭では手芸、絵画、写真、書道、と所狭しと展覧してあったが、何れ劣らぬ力作であったが、目に留まった作品に、胸を打たれた、
『戦争の為に子を産む母はいない』この母は、8人の子供を授かったが、4人の子供が、戦争に駆り出された、残った4人は小学生で生き延びたと記してあった、私も当時を思い出して、胸が熱くなった,
最近の世界情勢から・・・憲法9条の改正が、話題になっているので、また日本が戦争に加担するような事があるならば、この作品を侮れないのでは。

1画は、子供神輿、
2画は、神社でお楽しみビンゴ券の販売、
3画は、ビンゴ権を買い求める人の列、
4画は、半城土天満神社の鳥居正面
5画は、文化祭の書道作品、

半城土天満宮祭礼の画像

半城土天満宮祭礼の画像

半城土天満宮祭礼の画像

半城土天満宮祭礼の画像

半城土天満宮祭礼の画像