快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み身近の被写体を撮り歩く暇爺。

私事ですが、妻が6月15日に入院先にて、永眠致しました。

2021年06月18日 09時16分54秒 | 日頃の写真新活動

享年84歳で、他界いたしました、入院中の看護は見るのも辛かった、酸素吸入為ていたが、呼吸の荒さに、変われる者なら変わって遣りたかった、元気な頃は、何も思わずに生活を為ていたが、

今、思えばもっと相手の気持ちを察して、一緒に平穏な生活を為て居たかったと、胸がいっぱいです。

昨日、葬儀を、済ませました、早く休息を為ていたかった。長くブログをお休み為ていて、失礼しました、精神安定しだいブログを再開します、宜しくお願い致します。

私より早く逝くのは、寂し者のですね、元気で居た頃は、何も考えず生活為ていましたが、いざ別れと為ると、悔いが残って胸がいっぱいです

家族葬で行いました、本人の意向で親戚には、高齢者が多いので、迷惑かけれない、生前の遺言でした、「コロナ」の件を思ってご遠慮させて頂きました、

私も6月2日に肺気腫の診断を受け、ショックの中不幸が起き傷心為て居ます

令和3年6月18日(金)投稿。

 


6月1日本光寺からあじさいの里へと回って紫陽花三昧の一日だった、あじさいの里は、5月31日迄は、入場禁止でした、6月1日が紫陽花まつり初日でした。

2021年06月02日 14時22分15秒 | 日頃の写真新活動

今年のあじさいの里の紫陽花見学は、一方通行に指定されていました回れ右は出来ない、紫陽花見学が、規制されていました、コロナの所為でしょうね、固まっては×、大声は禁止、静かにお淑やかに見学・・・・・体温測定、マスク着用。

 此の階段が、初めの一歩の、一方通行です。

  

 此処が、池の前の、鉢植えの紫陽花陳列場所。

                   右前方が三河湾

 昨日は、霞が掛かっていた、紫陽花は良く咲いていた、

 幸福の鐘が鳴り響いていた、大声が出せないので、ストレス解消でしょうね?。

此の階段が、最終出口・左側が、登り専用、今年はあじさいの里で回るコースが決められている。

令和3年6月2日(水)投稿。

 

 

 

 

 


梅雨の空き間の今日から6月朝寝坊しての、お出かけ、今日も道を間違えて、ウロウロ為て時間のロスが多かった。

2021年06月01日 20時43分35秒 | 日頃の写真新活動

本光寺へ着いたのが、12時を回っていた、毎年撮影に行って居ますが、本堂の方角で工事の騒音で、落ち着いてシャッターを押せない雰囲期、本堂の大改修工事期間は、3年を要す、今日御朱印を頂いてきました。

本光寺さんの参道、

山門を潜れば、本堂が見えない、工事の足場の資材が見える。

松平家の墓所の石柱「文部科学省」の印が見える。

本光寺の言われが記されている。

以上、本光寺さんに咲いて居た紫陽花。

5代・松平忠利公が奉ってある祠。

今日は、本光寺さんのブログで、明日は、紫陽花の里のブログを書きます。

令和3年6月1日(火)投稿。