快談爺流離日記

思いの儘に記す自然を好み身近の被写体を撮り歩く暇爺。

高齢者講習が従来のシステムが変更に為った、高齢者も免許更新狭き門に為った。

2021年05月12日 18時36分10秒 | ノンカテゴリ

今日刈谷警察署で高齢者講習を受けてきました、今度から講習は各警察署で行い、運転実習は、最寄りの自動車学校で行う様に変更がありました、前回までは、一度で済んでいた講習も、二度足運ぶことに為り、暇老人にも、きついお仕置きです、

左の様な通知書が来、日にち指定で、指定時間一〇分前に来場と指定がある、今日一人一〇分前を間違えて一〇分過ぎに到着、きついお叱りを受けていた、高齢者の事故の多いことを、教官がappeal為ていた、「高齢者は自動車」運転は控えよと言わぬばかり・・・・・・返納を仄めかす、三〇分講習¥.750でした、次の自動車学校の実習が、幾らか?。

我が家に咲いている花、あまりくらい話ではと思い花の写真を貼りつけました。『ホットリップス』別名、『マリリンモンローの唇』とも言う。↑

 『姫緋扇』(ヒメヒオウギ)この花は強いこぼれ種で雑草の如く増えています。↑

令和3年5月12日(水)投稿。

 


半田赤れんが建物

2016年10月03日 13時02分05秒 | ノンカテゴリ
昨日は地域の祭礼で4時に市民館に行かなければならないので、半田の矢勝川の彼岸花を見る時間がなかったので、半田榎下町にある半田赤レンガ建物『旧名称、カブトビール半田工場』に立ち寄り小一時間ほど時間を費やした、
1898(明治31年)基礎設計をドイツのゲルマニア機械製作所、実施設計を妻木頼黄(つまき.よりなか)が手掛けた、丸三麦酒のビール工場であった、第二次世界大戦中1944(昭和19年)に中島飛行機製作所の衣糧倉庫となり
戦後は1948年(昭和23年)7月には日本食品化工のコーンスターチ製造工場の1部(主として製品保管倉庫)として1950年(平成6年)9月に同工場は操業を終え1996年(平成8年)3月に半田市に、土地と建物を譲渡した。
又、現在までの間に東南海地震、三河地震、半田空襲、等に見舞われるも現在でもその姿を残しており、半田空襲の時P-51 戦闘機から受けた機銃掃射の傷跡が現在でも壁面に残っている(セメントにて補修してある)
2004年(平成16年)7月23日にはハフテンバー棟、創建時主棟、貯蔵棟の3棟が国の登録有形文化財に、2009年(平成21年)2月23日には経済産業省より近代化産業遺産の認定をうけた、2015年(平成27年)7月18日観光施設と、リニユーアルオープンした、オープンごは、指定管理者として(株)JTBプロモーションが管理運営を行っている。記事wikpediaから抜粋。

1画は、赤レンガの正面後方に見える高い棟は5階建て

2画は、手前壁面に機銃掃射の銃魂があった、

3~4画は、展示品、

5画は、1画の裏面、

半田赤れんが建物の画像

半田赤れんが建物の画像

半田赤れんが建物の画像

半田赤れんが建物の画像

半田赤れんが建物の画像



半城土天満宮祭礼

2016年10月02日 21時18分14秒 | ノンカテゴリ
今日は、半城土天満宮の祭礼と共に文化祭が行われた、祭礼は例年通りの催しであったが文化祭では手芸、絵画、写真、書道、と所狭しと展覧してあったが、何れ劣らぬ力作であったが、目に留まった作品に、胸を打たれた、
『戦争の為に子を産む母はいない』この母は、8人の子供を授かったが、4人の子供が、戦争に駆り出された、残った4人は小学生で生き延びたと記してあった、私も当時を思い出して、胸が熱くなった,
最近の世界情勢から・・・憲法9条の改正が、話題になっているので、また日本が戦争に加担するような事があるならば、この作品を侮れないのでは。

1画は、子供神輿、
2画は、神社でお楽しみビンゴ券の販売、
3画は、ビンゴ権を買い求める人の列、
4画は、半城土天満神社の鳥居正面
5画は、文化祭の書道作品、

半城土天満宮祭礼の画像

半城土天満宮祭礼の画像

半城土天満宮祭礼の画像

半城土天満宮祭礼の画像

半城土天満宮祭礼の画像



敬老懇親会と余興

2016年09月17日 20時32分33秒 | ノンカテゴリ
一周間の前の日曜日に、当地方に刈谷市福祉義協会の協賛で敬老会を催してくださいました、私も敬老組でご招待いただきました。
我が家のPCも敬老組の為体調優れぬ為ブログを約半月休みをもらいました久々のブログ投稿で、ウインドウ10に変えたので、不慣れの為難儀をしました。

1~3画、半城土敬老会の懇親会と余興の様子、

敬老懇親会と余興の画像

敬老懇親会と余興の画像

敬老懇親会と余興の画像