行き先は、慶長5年に起きた関ヶ原の合戦、天下分け目の古戦場にいざ決戦の地へと爺婆が威勢込んで、総勢31名で出掛けました、お天気も良く、怪我人もなく、最高の旅でした。

関ヶ原合戦で、戦没者の慰霊碑、と天下分け目の合戦を歌った歌碑、「ああ関ヶ原」作詞谷口玉泉。作曲石坂まさと。
慶長5年9月のなかば、霧雨破って人馬は進む、東軍西軍命をかけて、天下分け目のああ関ヶ原。西も東も御旗は一つ、勝って見せたい正義のあかし、響くはホラ貝白刃の中で、夢と意地とのああ関ヶ原。風が動けば時代も変わる、人の心もくるくる変わる、天に預けた男の勝負、祈るノ-モアああ関ヶ原。(此の様な歌碑が有った)。
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関ヶ原の合戦は、当時の武将が我が国を統一を願っての天下分け目の合戦、東軍の大将は徳川家康、西軍の大将は
石田三成で統一の御旗を奪い合いの大合戦で有った。

関ヶ原ウオ-ドランド入場料は、¥.800で戦いの姿が人形で現されていた。
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入り口に鎮座して居た甲冑武将。

実物大の作り物。
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庭園に処狭しと合戦の様子が刳り広がっていた。
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此の様に、彼方此方と、白刃の刃が飛び交っている。


この姿は目を伏せてしまう、顔首2頭、野蛮ですね、争い事は、御法度。

徳川家康の軍配は、厳しい物であった。


国土統一と綺麗事を言ってますが、争い事は見難い物ですね。

此処で、一件落着次の画は、おちょぼ稲荷へ移動しました。

おちょぼ稲荷の本殿手前の台に油揚げを供えていく、油揚げ一把¥.300成り。



おちょぼさんの名物玉家の串カツこの時は食べて居る客は居ないがこの数分前までは串カツを齧り付いていたご婦人が
多く居ました。

おちょぼ稲荷の一の鳥居。

このバスで観光を為てきました、総勢31名、コロナの検査が厳しかった。
令和4年11月26日(土)投稿。