油ケ淵の花しょうぶは、まずまずでした、以前よりモノクロに嵌り、花しょうぶ以外も映してきました。
如光堂、普段は如光堂を気にもせず、素通りしていたが、この日は、いやに気かかりカメラを向けました、如光さんが囁いたかも(笑)
如光は奇跡の出生の人、世にも不思議な事も在るんですね。
如光の石像、後に書きますが、如光の生い立ちは、いまだ不明のままです、其の、如光が、実は正体がはっきりしない、案内板でも、『応永24年4月15日幼き嬰児藻屑の中に惣然顕る、この池の辺を通る、村老奇異の思ひ拾ひあげ、養育するに凡てなし給う・・・』とあり、油ケ淵に惣然と現れたと言うのです「如光弟子帳」と云う物も残っており確かに実在した人物では有るが何処で生まれたのかは、謎である。 「愛知史跡巡り」より。
報恩燈
如光堂に以上の物が祀られていた。如光は、ひょっとすると、水運業と関係が有るかも?蓮如上人が大谷派の本願寺が比叡山に襲撃された時に、大金を積んで比叡山を黙らせた事からも・・・・・。
如光は後に岡崎の上宮寺の住職であり上宮寺の教線を西三河中に、拡大した人です。
油ケ淵の花しょうぶの現状、
綺麗な咲である、
花付きは、5月にしては良い方だ、6月に成れば期待できる。
本光寺・油ケ淵何方も時期早々ですね、暇爺の失敗でした。
だけども中にはこんなに綺麗に咲いて居るのも有る。
花しょうぶは杜若に比べると、優雅な姿に好感が持てる。
応仁寺の石段足が不具合なので石段は登らず、応仁寺は、蓮如上人ゆかりの地、 「愛知史跡巡り」
から抜粋、碧南市応仁寺は、蓮如上人が、京都を追われ逃げ延びた先で有名です、1468年(応仁2年)蓮如上人は比叡山延暦寺の僧に追われた後弟子の如光の案内で出身地、西端に来ました、この時に蓮如は、西端道場を建て、ここを拠点にして、三河地方の教線拡大を図りました、
応仁寺はもう一つ有名な事が有ります、住職、寺族・寺男、留守番小間使いが、居ない、村持ちの寺
昔から、無住職です、東畑蓮如さんのように村全体の人達でお守りする寺です、(本願寺名古屋別院)東海の蓮如さん、蓮如上人が京都から逃げて此の西端に来たと言う事を伝え聞いた北陸の門徒が遣ってきて、蓮如上人を守ろうと、北の道場の、周りに堀を掘ったそうです、二つの堀は、加賀堀・越前堀、(今から凡そ500年前)なんという事でしょう、遠く北陸から、蓮如上人を守るために、三河の地まで来たと言う事です、信仰とはすごいものですね、その堀が現在の菖蒲池です。
令和2年5月30日(土)投稿。