芋の歴史は1605年に琉球王国の使者が中国からサツマイモを
持ち帰ったことで、本州に先駆けて琉球全土で栽培が
はじまり、その後1609年に琉球王国は薩摩藩に支配され
この時にサツマイモの栽培が薩摩藩に伝わったというのが
サツマイモ日本伝来の有力な説の一つである。
薩摩から全国に伝わったことからサツマイモという
名称がついた。
芋伝来の話では、イギリスのウィリアム・アダムスが
途中寄港した琉球の那覇港でサツマイモを知り、
平戸に持ち帰って栽培をはじめた。
そんなサツマイモをの栽培をさらに盛んに
させたのが青木昆陽という人物で
青木昆陽は享保の飢饉に際して八代将軍吉宗に
よって登用された人物で飢饉のときの代用作物として全国に
栽培を広めたと歴史に記されている。
その功績によって青木昆陽は「甘薯先生」と呼ばれている。
度重なる飢饉を救ったお芋さん。
そもそも中国から沖縄に伝わって、薩摩に渡ったことで
「サツマイモ」とは納得いかない。
1594年 長真氏旨屋(ちょうしんうじシオク)という
宮古の人が、琉球に貢ぎ物を届けて
宮古島に帰る途中、逆風で中国に流された。
ちょうどこの年にルソン島から中国に芋が伝わり栽培が始まった。
旨屋(シオク)は中国に3年間滞在して芋の栽培を学び、
宮古島に戻ってきた。
そして宮古島では芋が主食となり、旨屋は芋の神様と
して祀られている。
サツマイモで商標登録されていないのであれば、
ミヤコイモとして登録すべきだと思う。