などの経験者。喜望峰の荒波を乗り越えてきた話を、つい昨日の
出来事のように話す。大漁すれば、1航海で2階建ての家が建つ
ほどのお金が転がりこんできたそうだ。
「那覇でよ、一晩に1,000ドル飲んださぁ」と自慢するオジィ。
当時、サリーマンの給与は100ドルで1ドルあれば、街まで出てきて、
映画を見て風呂に入って、ソバを食べて帰れたと言う。
オジィたちの復帰前の話を聞いていると昔話を聞いているより
おもしろい。
「俺は元、指名手配犯だったさぁ」エッ!犯罪者・・・・?
本土の工場に出稼ぎに行った彼女に会いたくて、沖縄から奄美、
九州、そして本土へと密航したと言う。
「美ぅらさん(美人)だったよぉ~」
「密航と言う犯罪を犯してまで会いに行ったほどだから、一度、
会いたかった」と言えば、「今、家にいるさぁ」なんだ、オバァとの
ノロケ話かい。
1972年5月15日、沖縄本土復帰、38年前まで本土へ行くには
パスポートが必要だった。簡単な手続きでパスポートはとれたそう
だが、お金もかかるし家族に内緒と言うわけにはいかなかった。
裏ルートで本土へ渡った人も少なくなかったそうだ。
元、指名手配犯か・・・ 交友関係には気をつけねば・・・
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