私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

日本の暴君、安倍首相は3年前のアーミテージ・ナイ報告書で、平和憲法を粉砕。

2015年09月22日 | 政界

 

南濃町津屋川のヒガンバナ

憲法擁護の公明党を3か月で説得して、自衛隊を憲法9条に違反する専守防衛から海外派兵へ、個別的自衛権から集団的自衛権に、武器輸出禁止三原則の変更を手続き的にも違憲である閣議で決定しました。

そして、国会では衆参両院での4か月間審議で二一〇時間かけましたが、政府の答弁・説明では衆院での提案説明とかなり異なって、論点や疑問が更に深まりましたが、野党、学者、各界有識者、多くの国民を納得させることなく、与党は強行可決しました。

参議院の特別委員会以降の国会審議をテレビで放映されましたが、違憲立法の強行可決は、国会議事手続き上も採決になっておらず明らかに無効です。

参院本会議では特別委員会議長は法案が特別委員会で全て可決されましたと報告していますが、委員会可決が無効なものを、参院の議員は誰一人もこれを無効を主張せず、議長の指示で淡々と投票札を持って壇上に投票していました。

深夜の採決でテレビを見ていなかった将来を担う子供や、未成年者は将来において、現自衛隊員は今日にでも平和憲法第九条に反する安保法案によって、米国が戦争する相手国に対し、日本の安全が侵される恐れがあれば、海外に派遣されます。

表題に「日本の暴君、安倍首相」というのは、集団的自衛権を持つ自衛隊は、既に三年前に「アーミテージ・ナイ報告書」が作成されていて、日本に対して安保法を求めていたことがわかりました。安倍首相はこの報告書を教材に安保法を作成しました。

国会の質疑でも、特定秘密保護法により国会に提出することもありませんでした。党員にも、国民にもこの存在を知らせず、首相の独断ですべてを決めていたのです。国の将来を決める憲法に関する大きな決断を、国民に図らないで秘密裏にしました。

今度の安保法案を成立させる緊急性は、イランの核開発問題で欧米と核協議が成立して、当面は、機雷除去も原油確保の心配もなくなった時期でした。自衛隊の海外派兵も、どうして集団的自衛権が必要なのか、国会で明らかになりませんでした。

安倍首相の独断専行性、自民党過半数議席が「自らの権力」にダブってしまったのです。昨年の米国議会訪問での演説で、アメリカに迎合するスピーチを得意満面の笑みで、国会での成立時期まで明確にしたのです。総理大臣として自国の国会無視も甚だしいものです。

米国議会は、このスピーチにはびっくりしたでしょう。日本の首相はこの程度なのか。安倍首相は男を下げていまいました。

それが法案成立二日後に報告書が出て来ました。首相は国会においてアーミテージ・ナイ報告を見ながら国会で答弁をしていたのです。この報告書に反することは言えないので、答弁がしどろもどろだったのです。

この安保諸法案は国会を解散して廃案にしなければなりません。

自民党は解散しませんし、内閣不信任決議も野党少数では衆院通過が困難です。特別委員会採決無効と法案自体が違憲を理由に安保法諸案を無効とする訴訟を裁判所へ提起することです。

訴訟には国民運動と弁護士連合の協力が必要です。国民の手に民主主義を取り戻しましょう。

蘇生

 


能力を過信し、進歩にしがみつき戦争を続ける米国に、どんな未来を見て集団的自衛権を結ぶのか。

2015年08月03日 | 政界

 

 本巣市 長屋神社馬駆け祭り

冷戦終結後、米国は、朝鮮戦争では引き分けたが、ベトナム戦争、アフガニスタン紛争、イラク戦争と負けが続いている。そんな米国と集団的自衛権を結び、欧州有志連合に入って行く理由が解かりません。

米国が過去の3つの戦争にきちんとした和解又は条約締結締結をしていないのに、今ここで米欧有志連合に参加することで、戦争相手国との関係で例え武力の行使をしないとしても、危険な関係になることは明らかです。

既に、ドイツはフランスとの間で、世界大戦におけるナチス政権に関し近隣関係処理を図り、アフガニスタンに国際治安支援部隊を派兵しました。その結果、50人以上の兵士を犠牲にしました。

日本は今年4月の日米ガイドライン改定により、自衛隊が外国へ派遣する範囲を拡大しました。国会において新安保法案が成立すれば、次は自衛隊に犠牲者が出ます。

思想家鶴見俊輔さんが亡くなりました。イデオロギーにとらわれない評論家ですが、日米安保条約にも反対でしました。ベトナム戦争の逃亡者の援助活動で「ベトナムに平和を市民連合」を結成して、中心的に活動されました。

鶴見俊輔さんは、「無名の庶民(岩礁)が大好きで、「岩礁」は勇気があり、追従することがなく、尾もならず、人を皆殺しにすることがありません。しかし、進歩にしがみつく米ソは、同じエリートです。戦後の日本も同じでした。自分の能力を過信しています。エリートは正しい答えを所有できるとの思い込みがあるからです。」として、新安保法案には真っ向から反対でした。

昨年5月7日の私のブログhttp://blog.goo.ne.jp/kikusono16310で「成長、速さ、富、多忙、消費を見直そう」で高度成長、時間短縮、不要な生産、無駄な消費を止め、人間性の回復を求めました。競争や資産は人への優しさをなくします。

鶴見さんは「弱い平和主義者は、憲法第9条は米国から与えられたもので、自ら得たものでないと言っていますが、岩盤である庶民は戦争により人を「殲滅」させることはできない強い第9条の平和思想家です。」と述べて、国際紛争を集団的自衛権の解釈の変更で、武力の行使を認める様なことはできないとしています。

昨日のNHKテレビ「捕虜たちの戦争」を見ました。南東アジアで捕虜となった入隊2年の日本陸軍士官は、米情報局の取調官が、捕虜士官に対して逮捕された印象から尋ねました。「自分が参画した戦争について、どう思っているか、軍隊でやっていたことを話してください。」

日本軍の様子を通訳官に話す気持ちがあるか尋ねますが、捕虜士官は最初は何も答えませんでした。そのうちに徐々に、この戦争について、自分が感じたままを取調官に話すようになります。

日本軍隊の状況、自分のやってきたことは、敵である取調官に話すことは日本兵として許せなかったので黙っていたのですが、軍隊が行っていた戦争の理不尽な、指示、行動を寧ろ正確に伝えて、これをやめさせる事ができるのでないかと考えるようになります。

レコードに吹き込まれた通訳官の尋問内容は、米軍が戦争を早く止めさせるには、どうすべきかを詳細に、聞き出していきました。この情報は、直ちに戦地で戦っていた日本兵にビラとして撒かれました。

この捕虜士官は、終戦までは米情報局通訳官として情報収集に参画しいましたが、終戦後は米国で生活した後、日本に帰国しましたが、家族には戦争について一切、何も話をしないで亡くなりました。

捕虜になって、刑を受けた人、自殺した人、施設で死亡した人、釈放されて帰国した人いろいろですが、戦争によって受けた心の傷は如何ほどであったか、考えれば考えるほど、戦争は残酷な問題を勝ち負けに関係なく、生き残った人に苦悩を与えるものだと思いました。

原爆投下の日も間もなく来ます。7月4日NHKまいあさラジオで原爆投下70年にあたり広島・長崎の原爆投下に対する世論調査結果を発表していました。その調査結果を正確に記憶していませんでしたので、インターネットで確認したが、ニュース検索結果はありませんでした。

この報道はまた揉消されてしまったのか、奇異な感じです。私の記憶では広島市、長崎市と全体の結果として、米国の広島への原爆投下を許せないとする者、仕方がなかったとする者について尋ねましたが、広島市では、許せないとする者が、40%を超えていましたが、仕方がないとする者より、少なかったことに吃驚しました。

広島・長崎への投下について、長崎と全国の調査結果では、原爆投下は許せないとする意見でした。しかし、戦争被害の大きさを示す、原爆投下の被害状況を考えても、広島において被害感情の風化が始まっていることには、いささか寂しいものを感じました。

戦後70年となり戦争を経験しない人ばかりになって、戦争を知らない総理大臣の出現したことで、70年前の戦争が再び現実的な問題として語られ始めました。街頭行動の高校生や大学生が心配ですが、新安保法案は違憲として反対しているのを見るといじらしさを感じています。

蘇生

 

 

 

 

 


戦争は人の生涯に何を残すか。各務原台地の記憶。

2015年06月09日 | 政界

6月9日の夕焼け 70年前の熱田の大空襲も綺麗でした。

昨日は6月9日でした。70年前の各務原台地とその南方の名古屋市の上空に見た光景を8歳だった私の記憶に基づき伝えます。

昼間でした。空襲警報が鳴り家族は避難をしたのか、私の近くには誰もいませんでした。西方の金華山上空から各務原飛行場に向かって、4機の飛行機が飛んで来きました。低いところを飛んできて突然、飛行機の窓から身を乗り出して機関銃を発射させましたので、先を見ると道路にいた人が撃たれて転倒しました。

私の頭上を飛び去って行った飛行機は、後方の警察署の屋根に作られた物見台すれすれに飛んだので、物見台で警戒に当っていた警察官は、危険を感じて階段を降りようとして足を踏み外し落下しきました。飛行機は飛行場に飛び去りましたが、間もなく飛行場に黒煙が上がりました。

その日の夕方、南方の名古屋上空を見ると、夜で飛行機の姿は見えませんが、B29爆撃機から赤鉛筆の芯を折って大量にばら撒く様子を見ました。30キロ離れていましたが、子供心にキレイだなぁと思いました。後で分かったことですが、熱田大空襲で2千人の死者が出たようです。

各務原には飛行場のほか航空支廠、川崎航空機、三菱重工業といった軍需施設がありましたが、6月22日と6月26日の2度にわたるB29による1トン爆弾攻撃で、工場・施設ともに全てが破壊、焼失してしまいました。1トン爆弾は、飛行機場に近い私の家の北と南200メートルに落とされ、各1個直径5mの大穴を作りました。

6月22日だったと思いますが、爆弾攻撃の後、警察署長の息子と一緒に、警察のトラックに乗せてもらって、飛行機場の周りの被害状況を見に行きました。当時、学徒動員で多数の人が働いていましたから、避難したと思われる100人近くの工員の屍が、道路にごろごろしていたのを見ました。

その後も、岐阜市をはじめ周辺に焼夷弾攻撃が続きましたが、私は7月に入り恵那の親戚へ預けられ学童疎開をしました。

私はまだ元気に生きていますが、私の父と祖父は各務原に飛行場ができるまでは、農業をしていました。田畑は飛行場の用地として国に提供し、父は航空支廠に勤めるようになりました。その父は、大東亜戦争が始まった昭和16年に、飛行機整備工としテスト飛行した際に、墜落事故により33歳で死亡しました。

収入源が無くなった母は、近くの工場で働くことになりますが、過労で結核に罹ってしまいます。パス・ストマイの治療薬は高価で生活保護者には使えず、7年後に39歳で亡くなります。その年に私は、中学を卒業しましたので、就職して公務員となります。そして夜間高校に進学します。

幼少期は、ひどく悪い環境にありましたが、両親健在の同級生と比べ、自立心が強く、理性・善悪識別力に富んでいましたから、先輩・友人に恵まれました。成長期は大学も夜間に進み、体調を崩して、母と同じ結核に罹りましたが、私は薬のお陰で、2年間の療養により、精神力はさらに強くなりました。

長々と自分史を書く心算はありません。戦争で私のような苦労をすることがない生活が大事です。どんな戦争をしてもだめです。集団的自衛権など戦争責任を認めるならとんでもないことです。

真珠湾、満州、中国、南洋諸島、沖縄、広島、長崎、熱田は嫌です。どの戦争も勝つためにしました。少しでも火の粉があるところへは、勝っても、負けても自衛隊は出かけないでください。

学者・弁護士の多くが、新安保法案は武力行使ができるから違憲だと政府を批判しています。これに対して、政府見解は新3要件により武力行使は認められるとしています。武力行使は戦争です。戦争は何時だって双方に正当な意図があります。

武力行使が認められる3要件は、戦争をする為の一方的な都合であって国民の生活を守るものとは思えません。

74年前に戦争を始めた軍人と政治家の子孫は、兵隊と国民300万人を犠牲にした責任を忘れてはいけません。今の自衛隊と現政府が代わって考慮すべきことです。

私の人生は、68年前に制定された憲法と共にあります。私が死んだ後まで、憲法第9条は「解釈の変更」や「改正」をしないでください。

蘇生

前半国会が終了した2か月間に、野党は新聞紙面を飾ったことがありましたか。後半国会では野党に活気

2015年04月18日 | 政界

 

雨の中の日吉大社山王祭

アベノミクス国会、財政赤字を続ける予算案、戦後70年の談話、平和憲法の存立に最も重要な安全保障と、明確な論点が沢山あったのに、新聞の一面トップに毎日のように現れる安倍総理に対して、野党第1党の民主党を始め、勤労者や低所得者の代弁者である社民、共産党はこの2か月間何をしていたのか。

国会論戦はTVで中継していました。しかし、誰がTV中継を見ていると思いますか。安倍さんが新聞の一面に出た翌日には、野党の党首の反論、首相会見に対する意見、国民の祝い事であれば野党もそれに乗って、新聞の一面を飾って首相の独壇場を阻止しないといけません。

そうしないと、政界において今、何が大切で、何が問題になっているのか、国民には全く分かりません。政府は国民世論は我にありとして、元気がない野党は怖くありません。政府が怖いのはメディアです。人気は急落することがあるからです。

政府は、メディア各社に政府の政策に対する批判をしないように伝えました。朝日新聞社とNHKの報道の在り方に介入したのです。言論や報道の自由は、政権といえども一切抑圧できないのです。それでも、メディア各社はそれ以後、抑圧を恐れて政権に神経を使っています。

国民はTVで国会論戦を見る気になりません。前半国会での首相のヤジを巡る問題、農水相の「政治とカネ」問題、首相は国会で自衛隊を「我が軍」と呼んだり、首相のTBSの番組での発言したことについて、野党から「報道の自由で禁じられている政府圧力だ」との追求を受けて、首相は「自分の考えを述べるのは言論の自由だ」と答弁しました。

言論の自由は、国民に国の権力に対して保障されたもので、権力を持っている首相には全く必要がありません。献金問題や経済対策の追及には、民主党政権時代を持ち出して追及をかわしたりしています。これが国政を預かる最高決定機関である国会の審議です。市町村議会でもあまりないお粗末な内容でした。

国会も安倍首相の独り舞台が続くようでは、国会後半の論戦が思いやられます。

最初に挙げた国民にとって大切な生活や安全保障の問題、近隣諸国との関係改善、過激派組織ISについて、解かりやすい議論をして欲しいと思います。

集団的自衛権の行使については、後半国会で審議されると思いますが、中国と韓国、北朝鮮との関係を大事にして行けば、憲法を無視してまで集団的自衛権の行使を拡大して米国の機嫌を取ることはないと思います。

米国はキューバに対して、テロ支援国家指定解除を承認しました。キューバ敵視政策の転換で今後、両国の国交正常化が進むと見られています。しかし、米国の世界的な力は、軍事的にも経済的にも低下しており、お膝元との友好を図ったのです。しかし、ISやロシアに対して有効な政策を進めることはできませんし、米国による世界中の紛争の安定化は難しいでしょう。

米国にのみ頼ることは、危険です。安倍首相訪米前に日米関係の将来像を考えてみよう。

朝日新聞「日曜に思う」で星浩特別編集委員が投稿しています。星氏が外務省条約局長、北米局長、事務次官だった元外交官栗山尚一氏にインタビューした際に、栗山氏は「日本は経済、軍事、情報といった分野でも、米国との実力は開くばかりで、力の差は大きく、「付き合いにくい」のだ。日本が米国との友情を築くには、日本がアジア諸国と上手く付き合うことだ。日本は米国とは違う丁寧な外交を進めて米国に一目置かれる存在になることだ。それには日本が近隣諸国と和解して歴史問題を乗り越えることが欠かせない。」と述べています。

私がこのブログで述べて来た通りです。近隣関係を最優先して、日本の軍事力を強化することは止めもしょう。中国が軍事力を強化しているから、日本も強化して、世界へ自衛隊を派遣することは、戦前に日本が戦争を始めた時と同じ考え方です。中国も歓迎しません。

歴史の教訓として、戦後の近隣との和解、70年の反省こそ大切です。

蘇生


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。