私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

5月末に全国で真夏日を、6月に入って各地で猛暑日を記録、更に北海道でも史上最高の猛暑を記録した。

2014年06月05日 | 自然現象の異変

 

 

5月22日近くの池にカルガ

モ親子の姿を見かけました。

私は毎日、この池でラジオ体操をしています。

カルガモの親子連れを見るのは、数年ぶりで

その愛らしさは、体操を楽しいものにしてくれました。

ところが、カルガモ親子の姿は暫らく無くて、心配しましたが、

冒頭の写真は、25日の昼頃に撮影しましたが、

子供5匹だけで親が付いていません。

子は、私が最初に見たのは6匹でした。

親は、その日以降も姿を見せません。

子は、親が居ない散歩に危険を感じてか、草むらから出て来ません。

2枚目の写真は、6月になって見つけ、撮影しました。

心配した通り、カルガモの子は4匹になっていました。

無事飛び立って行けるのを、見守って行きたいと思います。

日本に発生する異常気象については、また、この次に

書きたいと思います。

蘇生


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。