私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

死について考える

2014年08月01日 | 元気な老人

 

お盆が近くなって、死について日頃、考えていることに

少し触れてみたい。

私は、大学では唯心論でなく、唯物論を学んだことがあり、

人が死んだら、埋葬式であろうと、火葬であろうと、土や気体や

骨となって、精神的機能は失われてしまうと考えていました。

77歳の私は、の墓の管理組合長をしていますが、

私が墓に入ることに特別の意識を持つことなく、死後は

五代続いた先祖代々の墓に、自分の骨を入れてもらって

家族だった先代の骨と一緒に、土や灰になるまで過ごして行く。

それが、濃尾震災、太平洋戦争とその戦後を生きてきて

助け合った家族共同体の狭い安住空間・墓だと考えています。

私は、死が怖いとか、苦しいとか、長生きをしたいとは

考えていません。

今健康で、第3の人生を楽しく送っていますので

何か突然に死が到来するかもしれませんが、

私の死が、妻や子を不幸にすることはありませんので

安心して、墓に入ることができます。

心配なのは、世界のこと、日本のことです。

日本社会の現状を見ると、平和と人権・生命倫理が

大きな転換期に入って来ました。

「経済成長がなければ、社会保障は破たんする。」

これ以上のゴミや、CO2を増やして成長が必要でしょうか。

「体の一部が使えなくなったら、臓器移植や細胞移植する。」

世界の人口が70億人、人口爆発が続いています。

人の生命も、医療技術の進歩も大切ですが、

自己管理が可能な人のみが技術の享受し、

生きるだけの人に、これを与えてよいのか。

「憲法が禁止している軍隊の海外派兵を、集団的自衛権の行使で

あればできる」  自衛隊員を死の危険に晒すのでしょうか。

これからは平和の中に、平穏な死を迎えられるよう過ごしましょう。

蘇生


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。