私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

新原発規制基準について、熊本地震(マグニチュード7.3)から検討してみたい。

2016年04月19日 | 政界

  

私は、先回のブログ投稿で川内原子力発電所の安全基準について、福岡高裁宮崎支部の再稼働差し止めを求めた仮処分を棄却した決定を支持して、事故リスクをゼロにすることではなく、ゼロに近づける社会通念上の高水準でよいとしました。

福岡高裁宮崎支部の棄却決定の前には、大津地裁において運転差し止めを認め、東日本大震災や福島原発事故に関して対策を見落として過酷事故が発生したとしても、致命的な状態に陥らないようにする規制基準を策定すべきだとしました。

大津地裁の決定で、福島第1原発事故では、発電の効率性を持って甚大な災禍と引き換えにすべきでないのに、事故原因の究明は不十分で、人類の記憶や記録にある事項を見落し、致命的な状態に陥らせない思想に立ってないとしています。

大津地裁の決定は更に、新規制基準は使用済み核燃料ピットの冷却設備の危険性対策が不十分であるとしています。

核燃料ピット崩壊時の漏れ水は技術的なことで、対策可能でありますが、福島原発事故の原因究明は、炉心の状況が未だ明らかでない以上、明確な対策を示せないのは、やむを得ないのではないでしょうか。

事故防止で大切なことは、電力会社では近隣住民、国であれば国民の生命、財産を守ることです。

この場合に守るべきは原発の周辺住民の安心、安全であって、事故の影響が及ぶ範囲全てではありません。そうでなければ、電力会社や国の施策は維持できません。

熊本地震(M7.3)発生後、政府は震源地に一番近い全国で唯一稼働中の九州電力川内原発は、震源地から90キロ離れていて安全は確保されており「発電をこのまま止める必要はない」としました。

原発は通常半径50キロ以内で震度4以上の揺れが観測された場合、国に状況を報告することになっています。

原子力規制委員会は、18日に臨時会合を開いて、震源が南西方向に移っても川内原発の安全性に影響がないと確認しています。

また、断層帯が南西方向に活動を移して、M8.1地震が起きたとしても、四国電力伊方原発で観測される揺れの強さは150ガル程度で問題がないとしています。

原発は、一定以上の揺れが観測されると原子炉を自動停止する仕組みになっており、川内の場合は原子炉建屋に隣接する補助建屋の地下で、水平方向で160ガル、垂直方向で80ガルに達すると自動停止する設計になっています。

川内原発では、14日以降の観測値は最大でも数ガルで余裕があり、九電は運転を続けています。高裁宮崎支部は先の決定において、この基準地震動(最大の揺れの強さ)を「極めて合理的」と判断しています。

今回の熊本地震では、2つの断層帯が合体して起こした影響で強い余震を繰り返しています。

宮崎支部の判断に疑問を感じる意見は多いと思いますが、地震が多い日本では発生の危険の低い火山の噴火災害は「社会通念上」無視できるとしました。これは永い歴史の中で作り上げて来た過去の想定で判断されたものです。

熊本地震は規模も発生メカニズムも過去に例がない過大な地震だとしても、原発では立地には慎重な吟味がなされています。

新規制基準において耐震性が確保されており、地震以外の破局的噴火の可能性も少ない以上、運転を停止する理由とはなりません。

原発稼働判断と廃棄判断を同一視しては日本の資源の確保も望めません。短期間の脱原発を望むのであれば、実現性のある計画案を示さなければなりません。

新規制基準の合理性については、同じことは書きません。                 前回の私のブログ投稿を見てください。

蘇生


原発新基準の合理性についての民意と電力会社の差異

2016年04月07日 | 国のエネルギー政策

 

国宝・犬山城のさくら 

福岡高裁宮崎支部は、川内原子力発電所1,2号機の周辺住民から再稼働差し止めを求める仮処分の抗告審で、地裁の決定を支持し、住民側の抗告を棄却しました。高浜原発3,4号機の運転差し止めを認めた大津地裁の仮処分決定と正反対の結論を出しました。

宮崎支部の決定理由は、川内原発が新規制基準に適合するとした原子力委員会の判断は妥当としました。

新規制基準は、耐震設計の目安となる基準地震動(可能性がある最大の揺れ)を上回る地震が起きるリスクはゼロではないと指摘しつつ、耐震安全性の確保から新基準を見ると極めて高度の合理性がある体系になっているとしました。電力会社や国側に立つ安全性、合理性です。

新規制基準について大津地裁の決定は、対策の見落としにより過酷事故が生じたとしても、致命的な状態に陥らないようにする基準を策定すべきだとしています。こちらは周辺住民や脱原発の立場です。

この立場の違いは基準地震動に危惧する点がある場合に、どの程度まで安全を確保するかにあります。宮崎支部は社会通念上、事故リスクを限りなくゼロに近づける安全性まで求められていないとしましたが、大津地裁は津波対策や避難計画が十分でなく、人格権が侵害されているとしています。

この二つの立場は理解できますが、この対立を埋める策は難しく、東日本大震災後の福島原発事故の復旧を遅らせ、脱原発を進めるにしても無駄に火力発電所を新設し、再生可能エネルギー化普及も進まず、化石燃料に頼っている状態では原発を無くすることはできません。

日本の様な小さい国は、過酷災害や大洪水が起きる可能性大です。といっても地震と津波が重なった震度8以上の巨大震災は、被害地には千年か万年に一度に起こるかどうかです。

いつ阿蘇山大爆発や、南海大地震が起きるかしれませんが、そのための対策は、国民が今考えている対策で充分でないかと思います。52基の原発を全部止めても、国内に原発がある以上、稼働してなくても放射能が無くなる訳ではありません。

その対策や更なる安全基準は、事故リスクをゼロにすることではなく、ゼロに近づける社会通念上の高水準でよいのです。

16メートルの防波堤や30メートルの高台への住民移転、更に30キロメートル離れた住民の避難計画などは、造られたものもありますが莫大な費用を使って、多くは無駄なるだけです。

どうして無駄になるかは書きません。各自で考えてください。宮崎支部の「社会通念」には不満があるかもしれませんが、体験したことのない大震災に大騒ぎするのでなく、事故リスクをゼロにするのは理想でしかではなく、もっと冷静になって、考えて行くことです。

原発を考える時は、事故対策だけでなく、ウラン廃棄物の処理策、CO2対策、国のエネルギー対策全般を一緒に考えてほしいと思います。

いま世界で起こっていることを見れば、多重テロ、難民移動、民族主義、共産帝国主義、格差社会のどれを取っても、問題は拡大するだけで、解決する見通しはありません。

ドイツの寛容政策に僅かな望みを持っても、欧州は長くは続かないと思います。

世界中の人びとが、金と投機に走り、富を得て、今や世界の3%の人に世界中の資金が流入しています。各国は難民を吸収しえず、祖国へ送り返しています。

世界は欧米を始め、富んでいた国も超格差社会になって来ました。

今朝の新聞にも英首相、ロシア・ウクライナ大統領、中国主席の親族、アイスランド首相といずれも高名な政治家が株を買い、租税回避地の会社に巨額の資金を投資した疑惑が出て来ました。

租税回避地タックスヘイブンとは、税金の安い国のことで、そこに会社を設立して、収める税金を低くして富を蓄える税金逃れの行為です。

この実態を暴いたのは世界中の記者の集まりが手にしたパナマ文書だったのです。

世界中の政治家の多くが自国民の生活のことを考えないで、政治的立場を利用して、政治家個人の限度を超えた富を得ようと奔走をしています。

格差社会はこうして世界に広まっています。この様な政治家を見習ってはいけません。

弱い庶民は、金や物は欲しがらない。貧乏を楽しむ。競争はしない。スピードを求めない。走らずゆっくりする。経済指標など気にせず、早寝、早起きしましょう。

そうすれば難民になることもありません。他人を大切にして、外国人と仲良くします。

これで世界は平和になり、格差は無くなって行きます。

蘇生

 

 


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。