私は3月1日に八十路を迎え、貧乏と平穏無事な人生を懐かしく振り返っています。

私は生まれたとき育った土地と建物を戦時中飛行機場に接収され、4歳では父を戦闘機で、15歳には母を肺結核で亡くしました。

成長、早さ、富み、多忙、消費を見直そう

2014年05月07日 | 貧乏の中の幸

 

写真は愛知県半田市の亀崎潮干祭 

ゴールデンウイークの最終日は快晴だったので、

黒松のミドリ摘みをしました。

ポッケトラジオのイヤフォンを聞きながらの作業でした。

落合恵子さんと音楽家大友良英さんのトークは、

大友さんのチェロに乗って、穏やかな話口、人情味ある話に

作業も進みました。

他国の紛争に積極的支援を準備するとか、経済の成長、

技術の向上、早さを競う、不要な生産、無駄な時間、 

 どれを取っても、敗戦を経験した日本人が、貧乏の中で培った

忍耐力、団結力からすれば、今以上の豊かさは必要ではなく、

求めれば人間性を喪失し、肉親や、近隣の情愛は薄れるばかりです。

高橋さんも、大友さんももう少しゆっくりした時間を

過ごしていきたいと結んでいました。

急がないで、しっかりと自分の生活を見直す時間を持ちたいと思います。

蘇生


日本人の平均寿命80.67歳を超えました。中高大学校同級生はまだ半数以上います。戦争を知る老人は、日本について語る場が無くなりました。

憲法は、アメリカのマッカーサーに準備してもらったかもしれませんが、一院制を二院制に、土地を国有から私有に替えたのは帝国議会草案でした。 議会の審議では自衛戦争の放棄は草案の中にあり、吉田首相も正当防衛や、国の防衛権による戦争もしないと壇上で明確に述べていました。 草案は、衆議院は反対八票の絶対多数で、貴族院の満場一致で可決しました。 ただし、衆議院では九条二項に「前項の目的を達するため」を加えて修正しました。二項は戦力を保持しないとしており、後に、自衛のための戦力が議論されることになりました。 憲法改正から68年の昨年は、安保法改正で国会や、法律家、若者、お母さんが、戦争を意識させるとして、議論されるようになりました。 平和は、日本だけでなく、世界中が戦争をしない国にしないと続きません。しっかりと政治を見て行きたいと思います。