平成23年9月28日にFMICS用として書いたモノです。
加筆は赤で入れています。
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8月31日から始まった、読売新聞の教育ルネッサンス「大学と保護者」の中から、気になる話を紹介したい。
平成23年8月31日のことです。
入学式に同伴する親が目立つようになったのは、どの大学でも同様だ。入り口の大学受験から、出口の就職まで、わが子へのかかわりを深める親たち。早稲田大学や法政大学でも、親から「サークルで帰りが遅いが、そんなに夜遅くまで活動しているのか」と心配する問い合わせや、「恋愛で三角関係になったので解決してくれ」他大でも「単位不足で卒業できない。こうなる前に親に知らせろ」など要求される。保護者への対策をしなければならない大学事情が載っていた。親が子供の自立を妨げていると感じるのは私だけではないはずだ。まして学生が「コミュニケーション能力」がないといわれているのは、過保護な親子間に原因があり、それを増長している大学があるといえる。
この類の親が年々増え続けているのが現状です。
最近ではビジネスに限らずどんな世界でも「コミュニケーション能力が重要」ということがひっきりなしに言われている。そんなとき重視されるのは、「伝え合う力」、「向き合った相手と信頼関係を築くこと」や「多くの人と強調する関係をつくれること」が求められているのと思うのだが、上記のように親と学生の関係を見ると、この親の関与が激しくて「コミュニケーション能力」が涵養されるとは思えない。個人的には「コミュニケーション能力」は、成長する過程の中で自然と育まれてきたと思うのだが、そうなっていないのが実情だといえる。
手の出しすぎ、考えさせずに答えをすぐに教えてしまう親の多いこと。
ここで少し遡って、平成21年3月に文部科学省と厚生労働省から刊行された「保育所や幼稚園と小学校における連携事例集」の子どもの育ちの必要事項の中から、「(3)課程編成・指導方法の工夫」保育所保育指針の「(2)教育にかかわるねらい及び内容」の「エ言葉」の狙いとして、「①自分の気持ちを言葉で表現する楽しさを味わう。②人の言葉や話などをよく聞き、伝え合う喜びを味わう。③日常生活に必要な言葉がわかるようになるとともに、絵本や物語に親しみ、保育士や友達と心を通わせる。」があげられている。まさに「コミュニケーション能力」の原点を捉えていると思う。これを読む限り、「コミュニケーション能力」は、保育所や幼稚園と小学校の間にしっかりと確立されていてよいはずなのです。
この通りに進んでいれば現状は起こるはずがないですよね。
しかし、現実は「言葉」を味わったり、心を通わせたりすることができない学生が増えている。大学には、問題点は見えている!対策もわかっている!けれど具体的に何をどうすればよいのかが見えていない。目先の学生確保に惑わされ、過保護親子に振り回されている。まさに、高等教育現場が過保護を「やめられない♪とまらない♪」かっぱえびせん状態に陥っているといえる。現状を打破するためにFMICSで語り合いましょうよ!
ここのオチは自分ではまあまあ気に入っていますが、いかがでしょう。
やっぱりだめですか。
こりゃまた失礼いたしましたっと。
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