平成21年3月24日に書いた4月のFMICSです。
私の大好きな絵本からでした。
いま読み返して感じたところに赤を入れました。
あるところに一本のりんごの木がありました。木は、いつもやってくる元気な子供が大好きで、楽しい遊び場や、涼しい木陰や、おいしいりんごの実を与えていました。少年を喜ばせることが木の幸せでした。ある日、大人になった少年はりんごの木に「お金が欲しい」とお願いをしました。すると木は、お金はないけどりんごをもぎ採ってお金に換えたらいいと提案します。「家がほしい」といえば枝を与え、材木にしたらいいと提案し、「舟で遠くに行きたい」といえば、自分を切り倒し、幹で舟を作ってはどうかと提案します。
りんごの木はとうとう、切り株だけになりました。
長い歳月がたち、すっかり歳を取った男(少年)が切り株のところにやってきて「もう何も要らない。座って休む静かな場所さえあればいい」といいました。
木は喜んで、男を切り株に腰かけさせました。
「おおきな木」シェル・シルヴェスタインさんの絵本からです。いま読んでもこの本から、深~い「無償の愛」を感じます。
親の愛ですよね。保護者の方にオススメする大好きな絵本です。先日も友人と飲んでいてオススしていました。
絵本には、りんごの木が少年に何かを与えるたびに「きは それでうれしかった」という決まり文句が書かれています。終盤に一箇所「きは それでうれしかった・・・」この後に「だけど それは ほんとかな」という一言があります。私たち大人が忘れかけていた大切な「何か」を気づかせてくれる絵本です。
この「だけど それは ほんとかな」が重要なポイントなんですよ。
ここをなかなか気づけない方が多くて、自分も反省しています。
親の立場からこの本を読むと、りんごを取るために木によじ登り自分でお金に換えさせ、すべての枝を切り落とし自分で家を建てさせ、木を切り倒し舟を造らせたことがとても魅力的です。最後に切り株に座って、「静かに休む場所がありさえすればいい」と気づかされます。これぞまさに人生の究極の「教え」だと感じました。
最近の多くの親は、りんごを取ってお金に換えて子どもに渡し、家も舟も完成されたものを与えるのが愛だと勘違いし、大切な「教え」を忘却したようです。
言い方を変えると魚を食べさせるのではなく。
魚を取る方法を教えなければです。
文部科学省は初等中等教育の現場を危惧して、「生きる力」と称したと思いますが、いまだ具体論が示されていません。「生きる力」とは自ら動き、発見して、気づかなければ養うことはできないと思います。そのために必要な教師の姿勢は、子ども達を見守る勇気を持つことです。
なんでも上から目線で教えたがる教員には難しい話ですね。
東京学芸大学の名誉教授の松原元一先生は「教師は子どもからすべてを学ばなければならない。そのことに気づかない人がほとんどだ。教師は子どもを教えようとし過ぎている。そこが問題である」と指摘しています。
東大の教授の言葉には重みがありますね。
これから教員を目指す方には、気付ける教員になっていただきたい。
大学が初年次教育やリメディアル教育を実施することはとても重要だと思います。「だけど それは ほんとかな」学生が自ら気づいて動き出さなければ、大学教育の意味がないのではないでしょうか。与えられるより、自ら創造できる力を涵養する空気をキャンパスに充満させたいものです。
これが差別化ではないでしょうか。
生き残るためにはこの「空気」作りが重要です。
なかなかワッカラナイダロウナ~