一歩前へ

秋草誠のブログ
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高血圧だって?

2015-04-22 15:05:00 | なんだかな

驚いちゃうな~

最近、血圧が高いので心配になって医者にいったら

体重を下げれば大丈夫

降圧剤はいらないともいわれ安心しています。

血圧手帳を毎日、記入するようにいわれました。

平均すると140/90ってとこです。(まさに改定後の高血圧です)

 

がぁ

 

さすがに150の100なんていうときもあるので心配でした。

それで本屋さんをのぞくと

高血圧は薬で下げるな!


浜 六郎先生の本が目に飛び込んできたので、早速読んでみました。

 

1997年当時は、上160/下95以上を「高血圧」としていたが、2000年に改定された新ガイドラインでは、140/90以上を高血圧として投薬治療を開始する、と定義し直した。また、引き下げ目標はさらに低く、130/85未満としている。2004年の改定で、さらに引き下げたれた。」と書かれています。

 

ありゃりゃ

2000年以前の高血圧の数値はなら私は高血圧じゃないじゃないですか!

このガイドラインの改定により

多くの人が降圧剤のお世話になっていると書かれています。

 

降圧剤を飲んでいる方、必読です。

 

勉強しないとえらいことになるような気がする本に出会うことが出来ましたよ。


環境が変わると、行動が変わる!

2015-04-21 13:33:25 | 学校

昨日、ある会に参加して進路指導の先生から面白い話を聞くことが出来た。

 

その高校は校舎を新築し、教室はスケルトンになったという。


その効果が面白かった。

 


なんと生徒達の遅刻が激減したという。

 


そして、教員も時間通りに授業を始める人が増えたという。

 


廊下を歩いているのが見えるので、生徒も教員も行動が変わったというスゴイ話でした。

 


素晴らしい環境にはオチがあり、それは着替えと入試時は困るというものでした。

 

そりゃ困るでしょ。


でも、そういうことならこれから、ドンドンスケルトン教室を増やせばいいと思いました。


どうしても、聞けなかった話は、寝ている生徒は減りましたか?

 

という質問を躊躇してしましました。


これは教員の力量が作用するので環境と関連するか、わかりませんから。

 

ね!!


和トレのすすめ

2015-04-14 08:43:51 | FMICS

平成23年12月21日に平成24年1月のFMICS用ににかいたモノです。

タイトルは脳トレが流行っていた頃だったと思いますので、影響されています。(笑)

それにしても、あれから少しも変わっていないというより、もっと酷くなっているような気がします。

読み返して、赤で突っ込み入れました。

 

自分の子供の成長過程を振り返ってみると、私たち、大人が間違った空間を作っていたような気がします。小学校低学年の頃、友達と仲良くしなさいという一方で、〇ちゃんは出来るのにどうしてこんなことも出来ないのと怒っている親をよく見かけていました。その子は、高学年になると「俺はどうせ勉強ができないから」と勉強することを簡単に逃げるようになりました。小学校4年生頃になると、塾に通っている子供に学校の授業をバカにして、先生の言うことを聞かない子がいました。当時、勉強が出来ない子は、仲間外れにされていたこともあったと思います。言いたいことを言うと、協調性がないと言われ、我慢しなさいと怒られ、喧嘩もできない場になっていたので、気持ちがドンドン萎縮してしまったと思います。KY(空気よめない)という言葉に振り回されて、他人といる時には必ず、「こんなことを言ったら、嫌われないか。おかしい奴だと思われないか」といつもポジションを考えながら暮らしてきた子供たちが多くいました。その子供たちの多くは、自信がなく、いつもオドオドしていたような気がします。

そんな息子もすでに26歳ですから15年以上前の話です。

オドオドしている子はあの頃より増えたような・・・

そんな子供たちは、仲間とうまく付き合えるある方法に気づいたと思います。余計なことを言わずに、調子を合わせていれば、みんなと仲良くしているように見える。だから本気になることを忘れ、適当に人と合わせて我慢していれば、なんとなく仲間意識を保つことが出来る。多くの子供たちは、これが大人たちが求めている「和」だと勘違いしてしまったのだと思います。私たち大人が日本は「和を持って尊しとなす」という意味を間違えて子供たちに伝えてしまったのです。

この反省はすべての大人だと思っています。

人のせいにはしない!

社会のせいにはしない!

まずは自分の家庭からですよね。

「和」というのは意見の違う人たちと波風を立てずに我慢し、協調したふりをすることではないということを教えられなかった。各々がこの部分は納得できないけれど、腹に一物もって妥協することではないということを伝えられなかった。「和」の本当の意味は、自分の中に正直に、互いにぶつかりいあいながらでも他者にも理解してもらえるように、正直に生きるということだと思います。私たち大人が子供に教える事が出来なかった。本当の「和」の意味は、自分を信じて、自分の心を裏切らないということだと思います。不平不満があれば、正直に表現してぶつけ合うこと。ポジションを考えて、相手の顔色を窺って言いたいことも言わないというのは間違い、しっかりと話しあいその中でお互い歩み寄り(妥協ではない)理解していくことだと思います。私たち大人が変わらなければ、子供たちは変われません。

家族がバラバラになり、子供達としっかりと向き合う家が減ってきています。

幸せだと信じていたものが崩れかけてきていることさえ気づかずに、一生懸命働き続けている人が沢山いる。

本人はそれが幸せだと思っていたはず。

しかし、現実は定年離婚が増えていると聞く。

なぜだろう・・・

今からでも遅くありません。そろそろ、家庭や職場で「和を鍛える」空間作りを考えたいと思います。子供たちに伝えたいのは、「相手を認め、排除しない。そして多くの仲間を作る」こんな簡単な話です。

小さな子供を持つ親は今一度、幸せってなんだろうと考えてほしい。

もし、自分の子供がイジメにあったら

もし、自分の子供が夜遊びするようになったら

もし、自分の子供が万引きをしたら

こんな時こそ、生き方を学べるチャンスです。

逃げずに立ち向かいましょうよ。

仕事!

そんなこと言ってられないでしょ!!

ここがが重要な時なのですよ。

後から気づくことの多いこと

おおいに反省しましょうよ。

後悔はしたくない!

 


おおきな木の教え

2015-04-09 09:17:44 | FMICS

平成21年3月24日に書いた4月のFMICSです。

私の大好きな絵本からでした。

いま読み返して感じたところに赤を入れました。

あるところに一本のりんごの木がありました。木は、いつもやってくる元気な子供が大好きで、楽しい遊び場や、涼しい木陰や、おいしいりんごの実を与えていました。少年を喜ばせることが木の幸せでした。ある日、大人になった少年はりんごの木に「お金が欲しい」とお願いをしました。すると木は、お金はないけどりんごをもぎ採ってお金に換えたらいいと提案します。「家がほしい」といえば枝を与え、材木にしたらいいと提案し、「舟で遠くに行きたい」といえば、自分を切り倒し、幹で舟を作ってはどうかと提案します。

りんごの木はとうとう、切り株だけになりました。

長い歳月がたち、すっかり歳を取った男(少年)が切り株のところにやってきて「もう何も要らない。座って休む静かな場所さえあればいい」といいました。

木は喜んで、男を切り株に腰かけさせました。

「おおきな木」シェル・シルヴェスタインさんの絵本からです。いま読んでもこの本から、深~い「無償の愛」を感じます。

親の愛ですよね。保護者の方にオススメする大好きな絵本です。先日も友人と飲んでいてオススしていました。

絵本には、りんごの木が少年に何かを与えるたびに「きは それでうれしかった」という決まり文句が書かれています。終盤に一箇所「きは それでうれしかった・・・」この後に「だけど それは ほんとかな」という一言があります。私たち大人が忘れかけていた大切な「何か」を気づかせてくれる絵本です。

この「だけど それは ほんとかな」が重要なポイントなんですよ。

ここをなかなか気づけない方が多くて、自分も反省しています。

親の立場からこの本を読むと、りんごを取るために木によじ登り自分でお金に換えさせ、すべての枝を切り落とし自分で家を建てさせ、木を切り倒し舟を造らせたことがとても魅力的です。最後に切り株に座って、「静かに休む場所がありさえすればいい」と気づかされます。これぞまさに人生の究極の「教え」だと感じました。

最近の多くの親は、りんごを取ってお金に換えて子どもに渡し、家も舟も完成されたものを与えるのが愛だと勘違いし、大切な「教え」を忘却したようです。

言い方を変えると魚を食べさせるのではなく。

魚を取る方法を教えなければです。

文部科学省は初等中等教育の現場を危惧して、「生きる力」と称したと思いますが、いまだ具体論が示されていません。「生きる力」とは自ら動き、発見して、気づかなければ養うことはできないと思います。そのために必要な教師の姿勢は、子ども達を見守る勇気を持つことです。

なんでも上から目線で教えたがる教員には難しい話ですね。

東京学芸大学の名誉教授の松原元一先生は「教師は子どもからすべてを学ばなければならない。そのことに気づかない人がほとんどだ。教師は子どもを教えようとし過ぎている。そこが問題である」と指摘しています。

東大の教授の言葉には重みがありますね。

これから教員を目指す方には、気付ける教員になっていただきたい。

大学が初年次教育やリメディアル教育を実施することはとても重要だと思います。「だけど それは ほんとかな」学生が自ら気づいて動き出さなければ、大学教育の意味がないのではないでしょうか。与えられるより、自ら創造できる力を涵養する空気をキャンパスに充満させたいものです。

これが差別化ではないでしょうか。

生き残るためにはこの「空気」作りが重要です。

なかなかワッカラナイダロウナ~


最終兵器, ATTAKASA

2015-04-07 10:33:29 | FMICS

平成20年2月に書いていたものです。

本来なら強調したかった部分と感じた部分に赤を入れました。

 

平成20年2月12日、大学関係者に「いよいよ来たか」という、諦めにも似た波紋が広がった。日本私立学校振興・共済事業団(以下、事業団)から、関係学校法人理事長宛に重要な通知が送られたのだ。タイトルは「平成20年度以降の定員割れ学部等への減額処置について(お知らせ)」となっていた。内容は「定員割れの学部等を持つ大学等に対して、一般補助において補助金を調整(調整係数表A区分)しているところですが、今後はこれをさらに見直していくこととします。平成23年度には、最大で45~50%程度の減額率となります」というものだった。

私はこの通知は実質的に国から一方的に弱小大学(以下、弱者)に向けられた宣戦布告のようなものだと思った。まるで弱者に突きつけられたハル・ノート(最後通牒)のように感じたのは私だけではないはずである。

この時になかなか気づかなかったと思います。

この件は私の勝手な思い込みではないだろうか、と思っていたのでFMICS2月例会のゲスト小林哲夫氏の著書「ニッポンの大学」(講談社)には共感した。

本のおわりに『いま別な形で受験戦争が起こっているように見える。「戦争」の担い手が受験ではなく、大学と考えればの話である。18歳人口の減少と大学急増。このおかげで、学生集めに奔走せざる得なくなった大学は、他大学と「戦争」状態にあると言えなくもない。負ければ倒産してしまう。

まさに泥沼の戦争状態が続きそろそろ屍が浮き上がってきそうな時期になりました。

パンフレットに「わが大学は○○分野で××位」と掲げる大学が増えている。ランキングが「戦争」の武器に使われるようになった。国の政策レベルでもランキングが重要視されるようになってきた』と書かれてあった。

 

仮にランキングが「大学の武器」だとしたら、数あるランキングの中で国(文部科学省)や国民(受験生)が納得する「大学の武器」とは何か?この武器を数多く持っている大学が勝利するはずである。しかし、「ブランド力ランキング」や「ファッション誌ランキング」などのランキングで勝負が決してしまっていいのだろうか。なかには「特別補助・科研費・GP」ランキングなどもあるが、本当に大学が生き残るために必要な武器はこれらでいいのだろうか。各大学にはそれぞれの個性や使命があるので、小林氏は2月例会で「教育」をランキングすることは難しいと言っていった。弱者がブランド大学と「武器の量」で戦うのは愚の骨頂である。「勝利」はあると信じているところになく、本当はランキングも出来ない、武器にもならない 「教育」プラスFMICS流の“あったかさ”にあるのではないか。学生の視点を取り入れた“あったかさ”がこれからの学生さんや大学を創りあげる。結局は、弱者生き残りの「最終兵器」=“あったかさ”ということになる。

ランキングに振り回され、ブランド力アップだとか言っていましたがぁ・・・

最近、思うFMICS流のあったかさは

学生に寄り添って

しっかりと見守る

叱るときはガッチリしかり

褒めることを忘れない

そんな教職員のいる大学が理想ですよね~


 


強者時代

2015-04-02 12:27:53 | FMICS

平成20年3月のFMICSに書いたものです。

なかなか面白いこと書いていましたよ。

いま読み返して感じたことに赤を入れました。

昨年7月23日(平成19年)の日経新聞に載った早稲田大学白井総長の話、『大学生の75%が私学生であるにもかかわらず、国立大学の運営費交付金一兆二千億円に対して、私大の経常費補助金は三千三百億円にすぎない。高等教育に対する公財政支出が不十分な中で、国立大学法人に対する運営費交付金の1%削減が続き、私立学校補助金も1%カットされた。国は「基盤的経費の確実な措置」と「評価に基づくより効果的な資金配分」を基本方針に盛り込み各大学の積極的な改革を促してきた。しかし、多くの私学には戦う基礎体力はない。単なる競争は、大規模国立大学を一層拡大させ、地方大学など衰退させるだけである。大学を評価する際に研究だけを重視し、教育での貢献を軽視するのは不合理である』

この話を裏付けるように、7月31日に日本私立学校振興・共済事業団(以下、事業団)が、私立学校の破綻回避対策と謳った例の「イエローゾーン・レッドゾーン」の分類表を発表して定員割れ大学に警鐘を鳴らし始めた。次に10月25日の日経の夕刊に事業団の私学経営センターから、06年3月末時点で四年制大学を持つ504の学校法人のうち三割が財政難に陥っているという厳しい報告があった。この話が進み、12月21日の日経の夕刊には「いつつぶれてもおかしくない」大学法人が9、短大法人が6、「在学中に破綻の可能性のある」大学法人が11、短大法人が1と具体的な数字に変わってきた。

この話が膨らんだんですよ。この時言われた

>「いつつぶれてもおかしくない」大学法人が9、短大法人が6、「在学中に破綻の可能性のある」大学法人が11、短大法人が1と具体的な数字に変わってきた。

今はどうなっているのでしょう。

この間に、学校改革も出来ない研究費も取れない弱小大学が潰れるのは当然の結果だという風潮が作られつつあるまいか。

まあそこまでは言いませんがそれに近い話ですね。

平成19年度から科研費の基盤研究(B)及び基盤研究(C)に新たに間接経費(30%)がつくようになった。科研費の応募件数(07年度121,219件)は、私大は国立大の約半分だが、採択件数(07年度49,425件)は約三分の一、配分額(1,528億円)では約五分の一まで下がる。(この数字には間接経費は含まれていない)早稲田大教授の竹内氏は07年度の国立大学トップの東大の科研費63,1億円に対して、13位の私学トップの慶応大学は8,8億円と科研費の約半分は旧帝大など上位10大学に集中し、すでに「寡占化」状態だという。

いつの間にか、弱者が生き残れるような甘い「場」ではなくなっていたということだ。

ぬるま湯にいつまでも使っていられない時代だということです。

“小魚呑(しょうぎょたいぎょ)大魚(をのむ)”ウイリアム・リード氏の書いた「お客の心に飛び込め!」のゲリラ・マーケティングの手法に活路をみいだせないだろうか。いま自分たちが占めているマーケットの外を見るのではなく、内を見ることを考える。いま自分たちの商品を買ってくれているお客は、なぜ自分たちの商品にお金を払ってくれているのか。それを追求することで、自分の商品やサービスだけが持っている特徴、すなわち「ニッチ」が浮かび上がってくる。ゲリラは自分のテリトリーで戦う。スモール企業スモールビジネスが大企業に立ち向かっていける戦略なのだ。これからは大学にもゲリラ・マーケティングが必要になる。

必要ですよね~

多くの大学は募集が厳しくなってくると地方をあてにしたくなるようですが

これは大間違いですよ。

これからはいかに足元の高校から来てもらえるかですからね!