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おらほの街河辺雄和のいいとこ発見 ~「旧河辺町商工会(商工業)」の歴史~

2020-06-17 22:44:29 | 日記
藩政時代から大正の末ころまでは岩見川を利用した、川舟での人や物資の輸送が盛んだった。
特に豊富な森林資源を原料とした木炭・いかだによる秋田杉の丸太・まき・平野部の米などが大量に運ばれていた。
大正13年からは国有林で伐採された秋田杉を運搬するため、岩見三内・和田間に森林軌道(トロッコ)が運航されこれら物資の輸送の主役となった。
また、岩見川は急流で水量が豊富でこの水を利用して明治30年代から40年代にかけ4つの発電所が建設され、明治の後半から大正・昭和の初めごろまではこれらの発電所が河辺町全域に与えた影響はもとより、秋田県工業の発展にも大きな力となった。(「河辺町史」による)

昭和10年1月1日秋田県和田村町制施行記念紙(昭和9年12月31日付魁紙)には、和田商工会の広告が載っている。
今野喜栄堂、伊藤寅松商店、石井商店、細谷天真堂、大川薬舗、鎌田喜三郎商店、加賀谷商店、竹屋呉服店、高橋自転車店、高源組、熊谷農具店、松田金松堂、金喜左衛門商店電話三番、佐々木菓子舗、三福酒店、進藤精米所、高津時計店、太平堂の18店の名が見える。
いつ頃からいつ頃まで存在したのか、岩見三内や現雄和、川添の一部を含んだ「在」が広くあったはずだし、商業組合や業種組織などは今後調査にまつこととしたい。

町の商業が活発な活動を始めるようになったのは戦後の経済復興が軌道に乗った昭和26年以後で、商工会組織の第一号は同30年5月岩見三内村中央部の商店が中心となり、消費者の拡大とサービスの向上を目的に任意加入による「商栄会」の創設。
これと前後して和田に「和田商工会」、豊島村に「商盛会」ができその目的の主たるものは岩見三内の商栄会と同じで、お盆や歳末の共同売出し、会員の研修・親睦などであった。

こうして戦後の経済統制の撤廃や、交通機関の発達にともない経済圏も徐々に拡がり、一方では各自商店の経営規模もひろがり、やがて大きく商工会組織へと伸展していった。

昭和33年3月に和田町・岩見三内・豊島村が合併し河辺町の誕生により、商工業の振興に力が注がれ、各商店の経営規模も広がり商工会組織へと伸展した。

昭和35年に商工会法が制定され、同36年に各地区の商工会組織を発展的に解消し、同年8月に「河辺町商工会」が新しく発足(会員263名)し初代会長に岡部正徳(酒類販売)を選出した。
その目的は、町内における商工業の総合的な改善発達を図り、あわせて社会一般の福祉の増進に努めるとともに、国民経済の健全なる発展に寄与することを目的とする。とうたわれている。



出典:秋田県商工会連合会発行「秋田県商工会史」(平成7年発行)、河辺町発行「河辺町史」(昭和60年10月発行)