先週、柏崎の仕事で前泊した。
駅の観光案内で目に付くのは 貞心尼が住んだ地ということで 記念碑や良寛さんとの歌碑、居住庵跡など観光の目玉になっていること。
早速 案内を片手に街に繰り出す。
駅のすぐ前に 高いビル、ブルボンというNAMEで、大手のお菓子メーカーと分かる。
創業時はここで作っていたらしい。確か 北日本製菓と言う名前だった。
ちょうど、えんま市というお祭りの最終日、目抜き通りには全国から屋台出店が立ち並び、家族連れや子供たちで賑わっていた。
閻魔堂にゆかりのお祭りで、歴史がある
広島ヤキソバ、明石焼き、大阪タコ焼き など各地の名物の店が並ぶ。
柏崎駅 ブルボン本社 駅前アーケード えんま市
ふるさと人物館なるものがあり、中はお役所風で モノモノしい感じ。2Fの展示室に入ってみた。
柏崎原発の誘致に貢献した人、その関連で田中元首相のコーナーもある。
政治 経済 教育 芸術 スポーツなど 明治期からの地域貢献に功労あった人々の生い立ち、業績が写真つきで解説されている。
柏崎刈羽原発は7基もあり 最大の原発城下町 多分 原発の補助金で出来たハコモノの一つなんだろう。
タクシーの運転手さんの話では、北陸自動車道のインターチェンジも、田中首相の生家のある西山村(現在、柏崎市西山町)に横付けするように、
迂回してできているという。
後で、ネットで調べると、確かに山の北を回り込んで、西山インターチェンジがが作られている。
長い自民党政権の汚点がいろんなところに残っている。
9万ちょっとの人口だが 原発が稼動していた頃は1万人くらい増え 街は活気があったと
タクシー運転手。
今でも1000人以上が原発で働いている様で 再稼働出来なければとんでもないコスト負担が続く。
全国で50基以上が 同じ状態だから、国と電気事業連合会(東電、関電など11発電会社)は引くも地獄 進むも地獄、、、
人物館に祭られてる功労者は 恥を晒されているかのようだ。
それに比べると、貞心尼物語は清々しい。
貞心尼は、長岡藩の下級武士の娘、柏崎の医者と一度結婚したが5年ほどで離婚、長岡に戻り尼僧となった。
趣味の和歌で良寛と知り合ったのは、30歳、良寛70歳のときだった。
托鉢に出かけていた良寛に託した歌
「これぞこの ほとけのみちに あそびつつ
つくやつきせぬ みのりなるらむ」
まもまく良寛からの返事
「つきてみよ ひふみよ いむなや(いつむななや) ここのとを と
おさめて また始まるを」
そして、間もなくして初対面した貞心尼は、
「君にかく 逢い見ることの うれしさも
まださめやらぬ 夢かとぞ おもふ」とその喜びを歌にする。
すると、良寛は
「夢の世に かつまどろみて 夢をまた
語るも夢も それがまにまに」と返した。
それから5年、良寛との心通う歌と仏道者としての交流が始まった。
良寛の最後を看取った後、貞心尼44歳のとき、柏崎に戻り、終生を過ごした。思い出を「蓮の露」にまとめた。
柏崎良寛貞心尼会というのがあり、郷土の誇りとして伝えている。
貞心尼と良寛の像
駅の観光案内で目に付くのは 貞心尼が住んだ地ということで 記念碑や良寛さんとの歌碑、居住庵跡など観光の目玉になっていること。
早速 案内を片手に街に繰り出す。
駅のすぐ前に 高いビル、ブルボンというNAMEで、大手のお菓子メーカーと分かる。
創業時はここで作っていたらしい。確か 北日本製菓と言う名前だった。
ちょうど、えんま市というお祭りの最終日、目抜き通りには全国から屋台出店が立ち並び、家族連れや子供たちで賑わっていた。
閻魔堂にゆかりのお祭りで、歴史がある
広島ヤキソバ、明石焼き、大阪タコ焼き など各地の名物の店が並ぶ。
柏崎駅 ブルボン本社 駅前アーケード えんま市
ふるさと人物館なるものがあり、中はお役所風で モノモノしい感じ。2Fの展示室に入ってみた。
柏崎原発の誘致に貢献した人、その関連で田中元首相のコーナーもある。
政治 経済 教育 芸術 スポーツなど 明治期からの地域貢献に功労あった人々の生い立ち、業績が写真つきで解説されている。
柏崎刈羽原発は7基もあり 最大の原発城下町 多分 原発の補助金で出来たハコモノの一つなんだろう。
タクシーの運転手さんの話では、北陸自動車道のインターチェンジも、田中首相の生家のある西山村(現在、柏崎市西山町)に横付けするように、
迂回してできているという。
後で、ネットで調べると、確かに山の北を回り込んで、西山インターチェンジがが作られている。
長い自民党政権の汚点がいろんなところに残っている。
9万ちょっとの人口だが 原発が稼動していた頃は1万人くらい増え 街は活気があったと
タクシー運転手。
今でも1000人以上が原発で働いている様で 再稼働出来なければとんでもないコスト負担が続く。
全国で50基以上が 同じ状態だから、国と電気事業連合会(東電、関電など11発電会社)は引くも地獄 進むも地獄、、、
人物館に祭られてる功労者は 恥を晒されているかのようだ。
それに比べると、貞心尼物語は清々しい。
貞心尼は、長岡藩の下級武士の娘、柏崎の医者と一度結婚したが5年ほどで離婚、長岡に戻り尼僧となった。
趣味の和歌で良寛と知り合ったのは、30歳、良寛70歳のときだった。
托鉢に出かけていた良寛に託した歌
「これぞこの ほとけのみちに あそびつつ
つくやつきせぬ みのりなるらむ」
まもまく良寛からの返事
「つきてみよ ひふみよ いむなや(いつむななや) ここのとを と
おさめて また始まるを」
そして、間もなくして初対面した貞心尼は、
「君にかく 逢い見ることの うれしさも
まださめやらぬ 夢かとぞ おもふ」とその喜びを歌にする。
すると、良寛は
「夢の世に かつまどろみて 夢をまた
語るも夢も それがまにまに」と返した。
それから5年、良寛との心通う歌と仏道者としての交流が始まった。
良寛の最後を看取った後、貞心尼44歳のとき、柏崎に戻り、終生を過ごした。思い出を「蓮の露」にまとめた。
柏崎良寛貞心尼会というのがあり、郷土の誇りとして伝えている。
貞心尼と良寛の像
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