ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

コロナと生命哲学

2020年07月11日 | 私生活 雑感
昨日、大宮駅を通過して工事屋さんで仕事。
駅構内と社内はさすがに通勤・通学客で混雑しており、例の大宮銀座のクラスターが頭によぎり
隙間を縫うように乗り換えました。
この会社の板金工事はコロナの影響が少なく、都内の公共施設の工事をいくつも手がけていました。
マスク、消毒液、テーブル清掃など徹底しています。
緊急事態のとき、近所の女性から「こんなとき皆さんが作業服で頑張っておられ、仲間のみんなで感謝の意をしたためました」
との封書をもらったが、住所と氏名も書いてあり、いたずらではないとありがたく受け取りましたとのこと。
高齢の一人住まいの仲間同士で、自粛自粛と家にこもっている様子が頭に浮かんで、、、
先月の上田市や日光市でも、感染者ゼロというのに、街行く人はみなマスク着用!
実にまじめというか、従順な国民ですね。
TVでは、米大統領選のトランプ集会でマスク無しで絶叫、この差は何だろう?
世間という掟に従順に従う人、片や本能のままにふるまう人、カント流に言うとどちらも本当の自由人ではない!



自分で主体的に考えて行動しているだろうか?(客観的、普遍的思考)
東京の感染者は200人を超え感染が拡大しつつあるようなのに、西村大臣(小役人?)と小池都知事(ただのおばさん?は、三蜜とマスク・手洗いを繰り返すだけ!一方で、Go-Toキャンペーンは7/22から予定通り開始するというチグハグさ!





彼ら政治屋と官僚は多分、論理性のない文系的思考の持ち主がほとんど?文理統合論が出るのもやむ負えない?そもそも現場経験が乏しく、関心も向いていない気がする。
一方で理系としても、目下のコロナ禍や豪雨水害で、機械屋的発想の限界というか盲点を感じることが多い。ダムを作り、高い堤防で氾濫を防ぐと言う繰り返しでは、気まぐれな自然の豪雨にはとても歯が立たない!昨年の千曲川、今年の球磨川、最上川の支流の氾濫に対して、ダムや堤防だけでなく遊水池、浸水地移転など総合的な治水(流域治水)という考え方が議論されている。
(科学技術を盲信する余り、自然に対する畏敬と謙虚さを忘れやすい)
ちょうど、福岡伸一さんのコロナに関する記事が参考になる。
「生命は機械ではない、流れである。動的平衡で秩序を保っている」が持論の分子生物学者。
目に見えるもの(形ある固体)を主な対象とする?機械屋の自分としてもヒントになる気がする。
とにかく見えないコロナの恐怖で委縮した気分が少しは大らかになる感じがする(笑)
その要約:
『・ゲノム(全遺伝子情報)の解析技術の進展により、武漢で発見されたVIRUSの全構造が解明されことで、これまでと異なる”新型”とされた。
・VIRUSは細菌・バクテリアより小さく、遺伝子がタンパク質や脂質で包まれているだけの単純な構造で、元々は我々高等生物のゲノムの一部で、それが外に飛び出したもの
・遺伝情報は、親から子へ垂直方向にしか伝わらないが、VIRUSは遺伝子を水平に運ぶという特性で生き残っている。
 その一部が病気をもたらすが、人間に免疫を与える面ももつ。
・感染してしまう個体もあれば、逃げのびる個体もあるという多様性で生命は生き抜いてきた。
 つまり、自然をコントロールできると思わないこと
・最も身近にある自然、それが自分自身の生命!
 生命は本来的にコントロールできず明日どうなるかも分からない存在
・だから謙虚さや諦観をもって受け入れることも大切』
さらに、AIによる監視やデータサイエンスによって生命の自由度が制限される方向に進むことに関して、
生命哲学から見て、多様性や自由が管理され続けるのは望ましくない、とも述べている。規制と監視でコロナを封じた中国、個人の自由を優先する余り感染拡大を続けるアメリカ、極端な対比で考えてみることも意味がある。
個人としては、常に知見を取り入れた上でむやみに恐れることなく、VIRUSと”共存”していく覚悟をもつことなんだろうと理解した。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 緊急事態解除(英雄ごっこ?) | トップ | 老化とテニス »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さくらもち)
2022-01-13 18:04:17
新型コロナは嘘の塊です。ウイルスではなく政治です。
返信する

コメントを投稿