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昨日、政府は「東日本大震災」と呼称統一。
東北太平洋沖大地震や東北関東大震災など使われていたが、3.11以後も新潟、長野、秋田で震度5クラスの余震?が発生。
まさに東日本全体に大きな被害が出ている。
4/1現在、発生後3週間で、死者1.17万、行方不明1.6万、避難者16.8万に上った。
大津波の惨状の陰で、かすんでいるが、各地の地震の被害も相当だ。
昨日も宇都宮の知人の家屋被害を知り、実感。
哲学者の梅原猛さん:
「自然を科学で支配する近代思想をおかしいと思い、日本古来の<草木国土悉皆成仏>に共感。
草も木も、鉱物や無機物も仏になれるという”自然との共生”という意味だが、今回の惨状に、”自然は想像を絶する恐ろしいもの”と教えられたという。残り少ない人生、いずれ母の出身地である東北に行きたい。」
彼ほどの碩学をして、人間の考える哲学、それを超えるものを改めて実感したということだろうか。
今回の大きな流れを考える。
30年の中に70%の確率で起きると言われた三陸沖大地震、そのあとにくる大津波の脅威も予想された。
その予想をはるかに超えた、震源域500km、M9.0の大地震は、備えた津波対策を無残に打ち砕いた。
防波堤も数mで、最大推定高さ14mの前には無力、避難所も飲み込まれ、引き波で倒壊した。
福島第1原発の事故も、源はこの想定外の大津波だった。
今回の推定高さ14mに対し、安全設計審査基準(国)に基づく東電想定高さ5.7m。阪神大震災で2006年改訂された耐震審査指針での再評価完了は計6基のみ。福島第1は再評価作業中に被災。今回の大津波は想定外というが、1896年明治三陸津波は推定38.2mだったという。
政府、メディアが言い逃れのように使う「想定を超えた」という説明には、言い知れぬ失望感を覚える。
新聞によると、雑誌「科学」97’年10月号:「原発震災~破滅を避けるために」(神戸大石橋克彦:地震学の権威)
という論文では、今回起きた事故がすでに14年前に信じられないほどの正確さで“想定“されていた。
1)外部電源の停止、発電機、バッテリーも機能せず
2)炉心溶融が生じる恐れ。さらに水蒸気爆発や水素爆発が起こり、格納容器や原子炉建屋が破壊。
3)4基すべてが同時に事故もあり得る。爆発が使用済み燃料貯蔵プ-ルに及べばジルコニウム火災により放射能の莫大な放出という推測もある。
石橋氏は、2005年衆院の公聴会でも、警告を発していた。が、東電や原子力専門家は「ありえない」とし、原発ルネサンスへの道を正当化していった。
彼は、「地震大国に日本は原子力からの脱皮に向けて努力を」と訴え、「日本列島はほぼ全域が活動期に入りつつあり、西日本でも21世紀半ばまでに大津波を伴う巨大地震がほぼ確実に起こる」と。
やはり、現実の経済・社会の発展の前には、消極論は抹殺されるのは当然なのだろう。
原発ルネサンス:
日本は、地球温暖化の切り札として、現在26%を2030年までに50%目標。新設14基、稼働率向上ほか。
成長戦略インフラ輸出でも原発パッケージ売り込み。ベトナム調印済、アメリカ、トルコ交渉中。
実験炉を含め、55基が稼働。建設・計画中14基(東電:福島、新潟2県に17基、関電:福井県に11期集中)
使用済み核燃料の処理は、六ケ所村の再生工場、フランスに搬出。2010末13,530ton(ウラン換算)、前年から690ton増加(保管能力の70%)3年間冷却が必要。福島第一原発#1―#4機の一時保管470ton。
東日本と西日本のサイクル変換能力は100万KW
周波数の違いは、明治時代の発電機購入先の違いによる。ドイツ製50Hz、米国製60Hz
当時の明治政府の高官・技官が、無知故に買付契約を行った単純なミスだろう。
変換所の増設(送電線の敷設など)には、10年間と巨額(1000億円?)の費用を要す。
4/1時点で、福島第1原発の事故収拾の目途はなく、首尾よく冷却機能が復旧、安定状態になったとしても、
そこからやっと復興が始まることになる。
外交専門家の佐藤優氏「責任追及より真相解明3月30日付」:
事故がより一層深刻・困難に、また原発の根本的な問題点が明らかになるにつれ、”東電たたき”が始まっているが、今は現場で起きている事実を基に総力挙げて、問題解決に当たることを強調している。
そして、本質的な責任として、「生命至上主義、個人主義を原理とする戦後の日本人すべてがもっているひよわさ」を指摘している。
また、東電会長はじめ、責任ある立場の人々に眠っているはずの「まこと心」に期待している。
僕も、全く同感!
つまり、命よりも大事なもの(例えば信仰とか大義)を見失い、共同体ではなく会社、利己・自由中心の価値観(経済至上主義=損得)にどっぷり浸かって戦後65年かけて築いてきた繁栄であるという反省でもある。
”元気で長生き”だけが最大の目標、という昨今の風潮にもつながる気がしている。
事故が収束・安定するまでは、国、安全委、東電、設備メーカーなど、それぞれが使命感を新たにして、持てる力を結集する、そのプロセス責任を果たすことが一番。”Do the BEST”しかない。
「まこと心」とは、使命感でもある。
なぜ、使命感が生まれないか?
人と人との情が薄くなっていること、利害関係だけの付き合いで信頼がないこと、
ほとんどの組織が基本のところでそうなってしまっている。政界も経済界も地域社会も。
今の時代、命よりも大切なものを個人に期待することはできないだろう。
あとは、「この人のためなら」「あの人の言うことなら」という人間的な大きさをもったリーダー。
バブル以後のの経済界、政界を見わたしても、利己的なリーダーが目につく。
今このときこそ、失っていた使命感(まこと心)を奮い起こそう。
たしかに、避難所、災害救出、原発事故処理などの現場レベル、人間の営みの場では、私たち日本人の持つ強みが発揮されている。日々報道される奇跡ともいえる互助活動に、大きな感動と自信と力を感じる。
東北太平洋沖大地震や東北関東大震災など使われていたが、3.11以後も新潟、長野、秋田で震度5クラスの余震?が発生。
まさに東日本全体に大きな被害が出ている。
4/1現在、発生後3週間で、死者1.17万、行方不明1.6万、避難者16.8万に上った。
大津波の惨状の陰で、かすんでいるが、各地の地震の被害も相当だ。
昨日も宇都宮の知人の家屋被害を知り、実感。
哲学者の梅原猛さん:
「自然を科学で支配する近代思想をおかしいと思い、日本古来の<草木国土悉皆成仏>に共感。
草も木も、鉱物や無機物も仏になれるという”自然との共生”という意味だが、今回の惨状に、”自然は想像を絶する恐ろしいもの”と教えられたという。残り少ない人生、いずれ母の出身地である東北に行きたい。」
彼ほどの碩学をして、人間の考える哲学、それを超えるものを改めて実感したということだろうか。
今回の大きな流れを考える。
30年の中に70%の確率で起きると言われた三陸沖大地震、そのあとにくる大津波の脅威も予想された。
その予想をはるかに超えた、震源域500km、M9.0の大地震は、備えた津波対策を無残に打ち砕いた。
防波堤も数mで、最大推定高さ14mの前には無力、避難所も飲み込まれ、引き波で倒壊した。
福島第1原発の事故も、源はこの想定外の大津波だった。
今回の推定高さ14mに対し、安全設計審査基準(国)に基づく東電想定高さ5.7m。阪神大震災で2006年改訂された耐震審査指針での再評価完了は計6基のみ。福島第1は再評価作業中に被災。今回の大津波は想定外というが、1896年明治三陸津波は推定38.2mだったという。
政府、メディアが言い逃れのように使う「想定を超えた」という説明には、言い知れぬ失望感を覚える。
新聞によると、雑誌「科学」97’年10月号:「原発震災~破滅を避けるために」(神戸大石橋克彦:地震学の権威)
という論文では、今回起きた事故がすでに14年前に信じられないほどの正確さで“想定“されていた。
1)外部電源の停止、発電機、バッテリーも機能せず
2)炉心溶融が生じる恐れ。さらに水蒸気爆発や水素爆発が起こり、格納容器や原子炉建屋が破壊。
3)4基すべてが同時に事故もあり得る。爆発が使用済み燃料貯蔵プ-ルに及べばジルコニウム火災により放射能の莫大な放出という推測もある。
石橋氏は、2005年衆院の公聴会でも、警告を発していた。が、東電や原子力専門家は「ありえない」とし、原発ルネサンスへの道を正当化していった。
彼は、「地震大国に日本は原子力からの脱皮に向けて努力を」と訴え、「日本列島はほぼ全域が活動期に入りつつあり、西日本でも21世紀半ばまでに大津波を伴う巨大地震がほぼ確実に起こる」と。
やはり、現実の経済・社会の発展の前には、消極論は抹殺されるのは当然なのだろう。
原発ルネサンス:
日本は、地球温暖化の切り札として、現在26%を2030年までに50%目標。新設14基、稼働率向上ほか。
成長戦略インフラ輸出でも原発パッケージ売り込み。ベトナム調印済、アメリカ、トルコ交渉中。
実験炉を含め、55基が稼働。建設・計画中14基(東電:福島、新潟2県に17基、関電:福井県に11期集中)
使用済み核燃料の処理は、六ケ所村の再生工場、フランスに搬出。2010末13,530ton(ウラン換算)、前年から690ton増加(保管能力の70%)3年間冷却が必要。福島第一原発#1―#4機の一時保管470ton。
東日本と西日本のサイクル変換能力は100万KW
周波数の違いは、明治時代の発電機購入先の違いによる。ドイツ製50Hz、米国製60Hz
当時の明治政府の高官・技官が、無知故に買付契約を行った単純なミスだろう。
変換所の増設(送電線の敷設など)には、10年間と巨額(1000億円?)の費用を要す。
4/1時点で、福島第1原発の事故収拾の目途はなく、首尾よく冷却機能が復旧、安定状態になったとしても、
そこからやっと復興が始まることになる。
外交専門家の佐藤優氏「責任追及より真相解明3月30日付」:
事故がより一層深刻・困難に、また原発の根本的な問題点が明らかになるにつれ、”東電たたき”が始まっているが、今は現場で起きている事実を基に総力挙げて、問題解決に当たることを強調している。
そして、本質的な責任として、「生命至上主義、個人主義を原理とする戦後の日本人すべてがもっているひよわさ」を指摘している。
また、東電会長はじめ、責任ある立場の人々に眠っているはずの「まこと心」に期待している。
僕も、全く同感!
つまり、命よりも大事なもの(例えば信仰とか大義)を見失い、共同体ではなく会社、利己・自由中心の価値観(経済至上主義=損得)にどっぷり浸かって戦後65年かけて築いてきた繁栄であるという反省でもある。
”元気で長生き”だけが最大の目標、という昨今の風潮にもつながる気がしている。
事故が収束・安定するまでは、国、安全委、東電、設備メーカーなど、それぞれが使命感を新たにして、持てる力を結集する、そのプロセス責任を果たすことが一番。”Do the BEST”しかない。
「まこと心」とは、使命感でもある。
なぜ、使命感が生まれないか?
人と人との情が薄くなっていること、利害関係だけの付き合いで信頼がないこと、
ほとんどの組織が基本のところでそうなってしまっている。政界も経済界も地域社会も。
今の時代、命よりも大切なものを個人に期待することはできないだろう。
あとは、「この人のためなら」「あの人の言うことなら」という人間的な大きさをもったリーダー。
バブル以後のの経済界、政界を見わたしても、利己的なリーダーが目につく。
今このときこそ、失っていた使命感(まこと心)を奮い起こそう。
たしかに、避難所、災害救出、原発事故処理などの現場レベル、人間の営みの場では、私たち日本人の持つ強みが発揮されている。日々報道される奇跡ともいえる互助活動に、大きな感動と自信と力を感じる。
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