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ご隠居さん:自我や世間の枠にとらわれず、社会の潤滑油となりたいものです。 AI時代は 人間らしい自由な発想がカッコいい

年を重ね、経験を積むにつれ、その時々の思いも変わっていく。その足跡を残しておくために

平和記念フェスティバル

2017年08月21日 | 政治 経済 社会 憲法
清瀬市の「平和記念フェスタ」に参加、この自治体の平和活動への取組に改めて感心した。
毎年、終戦記念日の前には、1945/4/2の清瀬空襲の展示を行い、戦争と原爆の現実と訴えている。
今回の講演会では、終戦当時 小学生だった80代の方数人の体験談、市から広島に派遣された小中学生10人の報告があった。
その中で、教育勅語や国民学校の話も出て、展示パネルの内容の理解にも役に立った。
学徒動員で旋盤を使い、防空壕の前で爆弾に当たり目をむいて即死した友の話を、子どもたちはどんな思いで聞いたのだろう
子どもたちの報告は、一人ひとり自分のテーマをもって、見てきたこと聞いてきたことを熱心に話してくれた。
なぜ広島に落としたのか? 原爆と放射能のすごい破壊力、原爆病の怖さなど、ストレートに彼らの魂を動かしたはずだ。
みな、最後に「戦争と平和のことを自分で考え、行動しないといけない」と頼もしいことを言ってくれた。
150人くらいのホールは、立ち見する人でいっぱい、全体に女性が多かったが若い夫婦・子供連れも結構めについた。

この清瀬市は、80年代から非核宣言をしていて、「西の西宮、東の清瀬」とも言われるという。
市長さんの挨拶もあり、市民有志と共に力強い思いと信念を抱き続けられていることに敬意を表したい。
広島の原爆ドームを最初に見た時の衝撃、崩れ落ちそうなカベ、焦げてぶら下がった電線など、よくも長い間、現状を残しくれたと感動したことを思い出す。
先月、国連129ケ国により核禁止条約が採択された反面、予想された通りの日本の不参加はなんとも歯がゆい。

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