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阿倍政権は、大胆な金融緩和、大型公共投資、成長戦略を”3本の矢”としたアベノミクスが今のところ順調、内閣支持率も70%に上り調子だ。
憲法改正、靖国参拝、北朝鮮ミサイル対応、尖閣領土防衛など、ますます強気の政権運営になってきた感じがする。
その勢いを得て、3月に急遽 閣議決定した「主権回復の日」が今日4月28日:サンフランシスコ講和条約が発効した日という。
1952年までの7年間、アメリカの占領下にあり、政治・経済・社会・文化すべてのシステムの改変を余儀なくされた時代。
そういう意味で、曲がりなりにも”独立”を得た節目は記念すべき日なのは間違いない。占領時代の一方的な不平等条約として認識していた吉田首相は、全権5名にも拘らずただ一人で調印署名したと言う。密約の引け目もあっただろうか?占領時代の一方的な不平等条約として認識していた吉田首相は、全権5名にも拘らずただ一人で調印署名している。
憲法改正、靖国参拝、北朝鮮ミサイル対応、尖閣領土防衛など、ますます強気の政権運営になってきた感じがする。
その勢いを得て、3月に急遽 閣議決定した「主権回復の日」が今日4月28日:サンフランシスコ講和条約が発効した日という。
1952年までの7年間、アメリカの占領下にあり、政治・経済・社会・文化すべてのシステムの改変を余儀なくされた時代。
そういう意味で、曲がりなりにも”独立”を得た節目は記念すべき日なのは間違いない。占領時代の一方的な不平等条約として認識していた吉田首相は、全権5名にも拘らずただ一人で調印署名したと言う。密約の引け目もあっただろうか?占領時代の一方的な不平等条約として認識していた吉田首相は、全権5名にも拘らずただ一人で調印署名している。
後に明らかになった密約の引け目もあったのだろう?
この日は、日米安保条約が同時に発効した日でもあるという。
米ソ冷戦時代の前線のアメリカの砦としての役割を担った転換点でもある。
一方で、沖縄は1972年本土復帰まで米軍の占領下が続いた。本土に見捨てられた「屈辱の日」として、今でもその怨念が残る。
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毎日新聞の社説:
「祝うより考える日に」という提言を読んで、胡散臭さを感じていたこの記念日も、それなりに意味のあるものにできる気がしてきた。
次のような3つの視点を示している。
①戦後の平和日本原点として評価すること
戦前の軍国主義の国が、一回の戦争もせず、奇跡的な経済繁栄を果たした事実は、素直に認めても良いはずだ。
敗戦と焼け跡・闇市の中で、今の70代以上の日本人がどうやって立ち上がり、生き抜いてきたのか。
国のリーダーはじめ身近な身内(親、祖父母)など、詳しいことを知る世代も、このところ次々に他界されている。
今の日本は、高度成長のひずみ、格差の増大など、戦後発展の陰で積み残されてきた社会問題が、一気に噴き出してきて、閉塞 感と国家としての一体感が無くなってきているが、捨てたものでもない。
良いも悪いも、今の立ち位置を正しく見据えることが大切、そういう時期に来ている。
そのことを、自分の国に自信が持てないと言われる若い現役世代にきちんと伝えなければならない。
②戦争責任を含め、その国民的総括の機会にすること
なぜ、あの戦争に追い込まれていったのか?
あいまいなままの戦争責任を含めて、事実を基に検証する必要がある。
政治家の靖国参拝、韓国との教科書問題も、こじれる一方なのは何とも歯がゆい。
最近の阿倍政権の一連の言動は短絡的で、はなはだ心もとない。
③未来に進む道を展望する日にすること
過去をきちんと清算したうえで、次世代に希望ある未来をつなぐことは、最低限の責務である。
政治家だけでなく、一人の日本人として、身近な人たち(家族や知人)に自分の信条を言えるようでなければ、
誠実にこの時代を生きてきたとは言えないだろう。
少なくとも、自国中心の考え方、売られたケンカは受けて立つ、といったような偏狭な愛国心は、このグローバル社会にはふさわしくない。 阿倍政権と、その支持率の高さの背景にある国民的な熱狂ぶりに、何か危うさを感じるのは気のせいだろうか。
2013.4.29追記:
憲政記念館で行われた式典で、終始 お祝いムードを控えていた政府の意図に反し、天皇皇后陛下の退席の際、”万歳”の唱和が湧き上った、という。こういう場に参列する層には、やはり国粋主義的な人たちが多いということだろう。
この日は、日米安保条約が同時に発効した日でもあるという。
米ソ冷戦時代の前線のアメリカの砦としての役割を担った転換点でもある。
一方で、沖縄は1972年本土復帰まで米軍の占領下が続いた。本土に見捨てられた「屈辱の日」として、今でもその怨念が残る。
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毎日新聞の社説:
「祝うより考える日に」という提言を読んで、胡散臭さを感じていたこの記念日も、それなりに意味のあるものにできる気がしてきた。
次のような3つの視点を示している。
①戦後の平和日本原点として評価すること
戦前の軍国主義の国が、一回の戦争もせず、奇跡的な経済繁栄を果たした事実は、素直に認めても良いはずだ。
敗戦と焼け跡・闇市の中で、今の70代以上の日本人がどうやって立ち上がり、生き抜いてきたのか。
国のリーダーはじめ身近な身内(親、祖父母)など、詳しいことを知る世代も、このところ次々に他界されている。
今の日本は、高度成長のひずみ、格差の増大など、戦後発展の陰で積み残されてきた社会問題が、一気に噴き出してきて、閉塞 感と国家としての一体感が無くなってきているが、捨てたものでもない。
良いも悪いも、今の立ち位置を正しく見据えることが大切、そういう時期に来ている。
そのことを、自分の国に自信が持てないと言われる若い現役世代にきちんと伝えなければならない。
②戦争責任を含め、その国民的総括の機会にすること
なぜ、あの戦争に追い込まれていったのか?
あいまいなままの戦争責任を含めて、事実を基に検証する必要がある。
政治家の靖国参拝、韓国との教科書問題も、こじれる一方なのは何とも歯がゆい。
最近の阿倍政権の一連の言動は短絡的で、はなはだ心もとない。
③未来に進む道を展望する日にすること
過去をきちんと清算したうえで、次世代に希望ある未来をつなぐことは、最低限の責務である。
政治家だけでなく、一人の日本人として、身近な人たち(家族や知人)に自分の信条を言えるようでなければ、
誠実にこの時代を生きてきたとは言えないだろう。
少なくとも、自国中心の考え方、売られたケンカは受けて立つ、といったような偏狭な愛国心は、このグローバル社会にはふさわしくない。 阿倍政権と、その支持率の高さの背景にある国民的な熱狂ぶりに、何か危うさを感じるのは気のせいだろうか。
2013.4.29追記:
憲政記念館で行われた式典で、終始 お祝いムードを控えていた政府の意図に反し、天皇皇后陛下の退席の際、”万歳”の唱和が湧き上った、という。こういう場に参列する層には、やはり国粋主義的な人たちが多いということだろう。
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