8/6、また74回目の 広島原爆の日が来た。
終戦の年に生まれた世代として、深く理解することと次に伝えることの責任を年々強く感じます。
先日、大学の恩師から話題の「焼き場に立つ少年」を紹介していただきましたが、LINE で我がファミリーにも投げかけました。以下、それぞれの反応です。
僕「じいじが生まれた時 長崎に原爆が落とされ、日本がアメリカに負けたんだよ」
息子43歳「その当時は日本も北朝鮮みたいなもんだからね。」
孫小5「すごいギリギリだったんだね」
孫中1「原爆があたらなくてよかった」
僕「Kちゃん Yちゃん 、この文章を何回も読んでごらん とても深い意味があるんだよ。中学のテストも問題の意味をすばやく分かるようになると いい点が取れると思うよ」
家内「これは、子供には、ちょっと難しいんじゃない?読んで聞かせないと」
僕「子どもの能力をバカにしたらいかんよ(笑)」
息子「誰もこんな悲劇に出くわすことなんて前もって知っとく準備もないし、そうなった時に自分がどういう態度でいれるかは誰も予想できないんじゃない?こういう状況を受け入れざるを得なかった子の気持ちには同情するけど、自分がその世代じゃなくて良かったと思うよ。それに感謝しないとね」
家内「おそらく弟をおぶってたお兄ちゃんも亡くなったんだろうね。
権力者の争いで庶民が犠牲になるのは、今も変わってないよね。戦争は 、いかなる場合も回避しなければ。
今の日本は危険な時代になってると思うよ。日々の生活は、当たり前ではないんだよね」
僕「この記事を書いたアメリカの海兵隊員は、40年間写真を見ることができず、その後日本に来てこの少年を探したが、見つからず!ローマ法王が世界にこの話を紹介して、戦争の悲惨さを訴えたと言う」
知人や同世代のファミリーではどうでしょうか?原爆や戦争に因んだ話題で、できるだけ多くの家庭で話して欲しいと思います。
昨日、8/3全国ロードショー公開されたばかりの映画「東京裁判」を友だちと観て来た 。米国防総省の50万フィートにも上るフィルムをまとめたものだという。
東京裁判については、本やネットでしらべたので大体のことは分かると思っていたが、次の点が特に印象に残った。
1 オーストリアのウェブ裁判長は、天皇の戦争責任を追求したかった。
2 アメリカの弁護人が、平和に対する罪を問うなら、原爆を計画した者、投下を命令した者を自分は知っている、とこの裁判の問題点を突いた。
3 結局、天皇の免責と原爆投下の不問へと流れて行った。
4 全員28名が無罪を主張し、共同謀議という検察の罪状を否定した。
特に、東條英機首相の人ごとのような態度は無責任極まる。
5 特に、真珠湾攻撃の事前開戦通告を巡って、東郷(陸軍)と嶋田(海軍)のぶつかり合いは、当時の混乱を再現するかのようだった。
6 遅れて7人に加わった、インドのパール判事は、満州から中国を南下し東南アジアを侵略した日本の罪を問うなら、それ以前の欧州の植民地支配こそ罪である。
彼はただ一人、全員無罪と主張し、国際法の専門家として膨大な資料をまとめた。
3年間の裁判中に、事後法でヒットラーの罪科を裁いたと言われるニュルンベルク裁判の判決が出たことが、東京裁判の結審にも影響したようだ。
しかし、ドイツはこの裁判を受け入れず、自らの理念で戦争犯罪を裁いたが、日本は後に主権回復(1952)するや衆議院満場一致でA級戦犯他の解放を決定した。(この国民性の差は、今に引き継がれている?)
有名なワイツゼッカーの演説を思い出す。 演説の要旨「過去に目を閉ざすものは、結局のところ 現在にも盲目になります。
若い人たちに、かって起こったことの責任はありません。しかし、その後の歴史の中で、そうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。」
終戦の年に生まれた世代として、深く理解することと次に伝えることの責任を年々強く感じます。
先日、大学の恩師から話題の「焼き場に立つ少年」を紹介していただきましたが、LINE で我がファミリーにも投げかけました。以下、それぞれの反応です。
僕「じいじが生まれた時 長崎に原爆が落とされ、日本がアメリカに負けたんだよ」
息子43歳「その当時は日本も北朝鮮みたいなもんだからね。」
孫小5「すごいギリギリだったんだね」
孫中1「原爆があたらなくてよかった」
僕「Kちゃん Yちゃん 、この文章を何回も読んでごらん とても深い意味があるんだよ。中学のテストも問題の意味をすばやく分かるようになると いい点が取れると思うよ」
家内「これは、子供には、ちょっと難しいんじゃない?読んで聞かせないと」
僕「子どもの能力をバカにしたらいかんよ(笑)」
息子「誰もこんな悲劇に出くわすことなんて前もって知っとく準備もないし、そうなった時に自分がどういう態度でいれるかは誰も予想できないんじゃない?こういう状況を受け入れざるを得なかった子の気持ちには同情するけど、自分がその世代じゃなくて良かったと思うよ。それに感謝しないとね」
家内「おそらく弟をおぶってたお兄ちゃんも亡くなったんだろうね。
権力者の争いで庶民が犠牲になるのは、今も変わってないよね。戦争は 、いかなる場合も回避しなければ。
今の日本は危険な時代になってると思うよ。日々の生活は、当たり前ではないんだよね」
僕「この記事を書いたアメリカの海兵隊員は、40年間写真を見ることができず、その後日本に来てこの少年を探したが、見つからず!ローマ法王が世界にこの話を紹介して、戦争の悲惨さを訴えたと言う」
知人や同世代のファミリーではどうでしょうか?原爆や戦争に因んだ話題で、できるだけ多くの家庭で話して欲しいと思います。
昨日、8/3全国ロードショー公開されたばかりの映画「東京裁判」を友だちと観て来た 。米国防総省の50万フィートにも上るフィルムをまとめたものだという。
東京裁判については、本やネットでしらべたので大体のことは分かると思っていたが、次の点が特に印象に残った。
1 オーストリアのウェブ裁判長は、天皇の戦争責任を追求したかった。
2 アメリカの弁護人が、平和に対する罪を問うなら、原爆を計画した者、投下を命令した者を自分は知っている、とこの裁判の問題点を突いた。
3 結局、天皇の免責と原爆投下の不問へと流れて行った。
4 全員28名が無罪を主張し、共同謀議という検察の罪状を否定した。
特に、東條英機首相の人ごとのような態度は無責任極まる。
5 特に、真珠湾攻撃の事前開戦通告を巡って、東郷(陸軍)と嶋田(海軍)のぶつかり合いは、当時の混乱を再現するかのようだった。
6 遅れて7人に加わった、インドのパール判事は、満州から中国を南下し東南アジアを侵略した日本の罪を問うなら、それ以前の欧州の植民地支配こそ罪である。
彼はただ一人、全員無罪と主張し、国際法の専門家として膨大な資料をまとめた。
3年間の裁判中に、事後法でヒットラーの罪科を裁いたと言われるニュルンベルク裁判の判決が出たことが、東京裁判の結審にも影響したようだ。
しかし、ドイツはこの裁判を受け入れず、自らの理念で戦争犯罪を裁いたが、日本は後に主権回復(1952)するや衆議院満場一致でA級戦犯他の解放を決定した。(この国民性の差は、今に引き継がれている?)
有名なワイツゼッカーの演説を思い出す。 演説の要旨「過去に目を閉ざすものは、結局のところ 現在にも盲目になります。
若い人たちに、かって起こったことの責任はありません。しかし、その後の歴史の中で、そうした出来事から生じてきたことに対しては責任があります。」
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