気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

落ちつきのない子 ・・・ 安心  2/3

2010-07-07 22:44:32 | Weblog
愛情を求める欲求がからだの中のどこかでうごめいていて

それが突き上げてくるので

子どもはわけもなく動きまわりたくなるのでしょう。


そうすると大人は

「なんです あんたは。少し落ちつきなさいよ。

  用もないのにウロウロガサガサして」 とたしなめます。

すると子どもは ハッとして落ちついてみますが

  ・・・ 5分とはもちません。

大人はいよいよあせって ますます厳重に注意します。

しかし

  いくら厳重にしても 少しの改善の様子が見えません。

実際世間には そういう例が少なくありません。

・・・ ほんとうに気の毒なことです。


そのような場合の治療法は

  親が子どもを抱きすくめてやるより他にはない ・・・ と思います。


賢い(?)お母さんは

「教育は凜(りん)として施さなければならない

  そんなことをしたら甘えさせるばかりだ」と考えるでしょうが

とんでもない間違いだ ・・・ と思います。


私は

親が子に与えてやらなければならないものの第一は

  安心だ ・・・ と思います。

恐怖心や警戒心ではない ・・・ と思います。


キョロキョロと

  あたりに気を配らなければならないような境遇に

  子どもを追い込んでおいて

躾をしたり 落ちつかせようとするのは

まことに残酷な仕打ちだ ・・・ と言わねばなりません。












落ちつきのない子 ・・・ 共通の条件 1/3

2010-07-07 22:05:34 | Weblog
世間によくある

お尻の落ちつかない子についてよく考えてみますと

  ・・・ 大体 共通の条件があるようです。


一つは

監督や指導が行き届きすぎているという点です。

つまり お母さんやおばあさんが教育熱心で

  お行儀の躾などにもよく注意が行き届いている場合です。


もう一つは

物やお金を十分に与えておいて

  親が子どもの面倒をまるでみないという場合です。


この二つの場合は反対のように見えますが

子どもが親の愛情に飢えている

  ・・・ という点では共通しています。





「たなばた」と読むのはなぜ ?

2010-07-07 07:06:06 | Weblog
今朝の紫陽花



七夕を 「たなばた」と読むのはなぜだろう

  ・・・ と ちょっと調べてみました。


「たな」は 棚

「はた」は 機 です。


七月七日の夜

遠来のまれびと・神を迎えるために水上に棚作りして

  聖なる乙女が機を織る行事があり

その乙女を

  棚機女(たなばたつめ)

 または

  乙棚機(おとたなばた) といったのだそうです。


七月七日の夕べの行事であったために

  「たなばた」に「七夕」の字を当てたのです。



万葉集には たなばたは織女と書かれていますが

  新古今和歌集では 七夕となっています。

これからも 「七夕」の字は

  平安時代に当てられたものであることがわかります。




薀蓄(うんちく)はともかく

  当地は雨 ・・・ ちょっと残念な気もします。









インチキ宗教 ・・・ 宗教まがい 2/2

2010-07-07 06:05:41 | Weblog
2010/05/25 撮影  エジプトの朝



病気が治る

経済生活が楽になる

夫婦仲がよくなる

子どもの不良が治る

  ・・・
 
いろいろな営業科目を並べ

  その有効性を宣伝しますが

なるほど 全部ウソではありません。

だけど 全部が全部 本当でもありません。


大変際どいところで宣伝広告

  ・・・ ご利益の宣伝を行っています。


而も それは

誰かが悪意があってやっているわけでもなさそうです。

大真面目です。


だから 誰も本気で責めることはできないのです。


いや 責める必要はありません。

それでなんとか

人間としての成長段階をよじ登っていくのだから

           ・・・ 責める必要はありません。


純粋の意味の宗教から見たら

  インチキとさえ思われるような低い段階であっても

それが本当の宗教への下級段階であったら

それはそれで有意義だ

  ・・・ と思わなければならないのかもしれません。


どこかの教団のように

  計画的に金儲けを専ら企むのでなければ ・・・

それはそれでいいではないか

  ・・・ と 近頃思うようになりました。



いえいえ 決して

インチキ宗教や宗教まがいの擁護論を書いてるつもりは御座いません。

  ・・・ 念のため。










 

インチキ宗教 ・・・ 宗教まがい 1/2

2010-07-07 05:05:19 | Weblog
この世の中には

人間的成長の度合いから言って

文字通りピンからキリまである

  ・・・ というのが事実です。


その人間としての

  低いところにいる人

  中位の人

  高い人 ・・・ と いろいろあります。


それが全員 純粋の宗教を体験しなければ ・・・

  と言っても それは無理というものでしょうね。



人はそれぞれに

  これが自分にとって最高だという何かがあります。


ある人は

  お金だと思っている人さえあるのです。

地位だの 名声だの 愛情だの

または 健康を最大の願いだ

  それが何より一番だと思っている人もあります。


そこで

その各々の願いに応じて

  それを叶える ・・・

    と称する宗教みたいなものが生ずるわけですね。


そして

その宗教みたいものの掲げる欲望の種類によって

  いろいろ分かれるわけですが ・・・ 。













宗教 ・・・ ありのまま

2010-07-07 04:01:13 | Weblog
宗教と称するものの中には

  まことに言葉通りピンからキリまであるようです。


裏長屋のようなところで

狐憑きみたいな顔した人たちが集まって

  何かをモソモソやっているのから


大伽藍を構えて

彼らのもの日にはバスを連ね

時には列車まで動員して

  何千 何万の信者を動員するものまであるようです。


しかも

その拠点の立派さや動員力の大小は

必ずしも

  それらの教義や信条の深遠さとは比例していません。


地獄の入り口で

  兎(と)や角(かく)と論じ合っているのから

娑婆(しゃば)の次元で

  亡者を引き摺(ず)り廻しているのや

天国や極楽の板戸の前に陣取って

  静かに開門を待っているのまで ・・・ 種々雑多でございます。


・・・ これが 世に行われている宗教なるものの

      ありのままの相(すがた)だ と思って

          ・・・ あまり大きな間違いではないようです。


さて ・・・ 。





  * もの日:(物日)祭日・祝日など特別なことが行われる日。