気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

脱サラ ・・・ 2.使われ上手

2010-07-29 17:42:13 | Weblog
上に立って 部下や従業員を上手に使いこなす人は

  下にいたときは 「使われ上手」だったのです。

上司にとって 使いやすい部下であったのです。

使われる立場を苦痛なく楽しくこなしてゆける人であったのです。


要するに人間関係を 地位の上下にかかわらず

  なめらかに 調和的にやってゆける人なのです。


だから

「使われることをさえ上手にできないものが

  独立してうまく人を使うことなど できる道理がない」

という論理が成り立つことになります。


成功する人 出世する人は例外なく 下にいたときには

  「使われ上手」であったはずなのです。

これは一つの鉄則であると思うのですが いかがでしょうか?


史上に一例を求めれば 豊臣秀吉など

  それのスケールの大きい実例であったと考えられますね。






脱サラ ・・・ 1.その前に

2010-07-29 12:02:23 | Weblog
「宮仕え(みやづかえ)はつらい おもしろくない」

  という嘆きがよく聞かれます。

その心情 理解できないではないですが ・・・

そのように嘆く弱虫に

  独立自営の能力が果たしてあるでしようか。


独立事業を軌道に乗せた脱サラ成功者たちは いいます ・・・

「サラリーマン時代の

  まず三倍ぐらいの努力と精神力が必要」と。


私は 腹のなかでうなづく ・・・

  困難や苦しさの 次元がちがうはずなのです。



「宮仕えはつらい だから脱サラを ・・・ 」というのは

  主観的 非現実的な論理にすぎません。


「宮仕えさえ苦しいものに 独立の仕事などできるものか」

  というのが 正当な論理であるにちがいありません。



やはり いまの仕事を楽しめるようになることが

  当面の唯一の課題であることになります。

「宮仕えがおもしろくない」ことの一つの大きな理由は

  使われる身であることにあるかと思われます。


人間だれでも 使われるよりは 使う立場に立ちたい。

下より上に位置したい ・・・ そういう欲望をもっています。

これが 昇進や独立の意欲の根になってもいます。

向上心ともつながっているのであろうから

  いちがいには否定できない 自然な心情なのかもしれません。


だが しかし ・・・ 。




  

出す ・・・ 4.汗をしぼり出す

2010-07-29 06:16:18 | Weblog
文明社会のひとつの大きな不幸は

  汗を出すことがあまりにも少ないことです。

人にもよりますが

  平均的にいえば 発汗量が極度に少ないのです。


むかし(機会文明以前の社会で)は

働くこと 歩くこと すべて 汗を出すことに通じていました。


発汗は小便と同じく 老廃物を出して 捨てることです。

だから 大いに汗を出せばそれだけ 体も心もサワヤカになり

  ・・・ それだけ気が発動してくるはずです。


思い悩むことの多い人は

  ときどき 思いきって汗を出してみられるとよい。

スポーツなり 肉体労働なりでしぼるように汗を出し

  ・・・ クタクタに疲れてみるのです。

くだらない「思いわずらい」などは

  ・・・ 浮かびようがなくなるでしょうね。



体液を清めれば 頭も清まります。


発汗は 「頭の掃除」法 ・・・ でもありうるわけです。





出す ・・・ 3.息を吐ききる

2010-07-29 05:02:08 | Weblog
新鮮な酸素が不足すれば 生命機能にブレーキがかかり

  頭の働きも鈍くなります。心も曇ります。


だから 深呼吸をときどきすることはよいことですが

たいていの人は そのやり方をまちがえています。


両手を広げ、胸を反らせ 天を仰いで大きく吸い

  それから 前こごみになって吐く。

だれでもそうするのですが それがオカシイ ・・・ 。


「呼吸」という字のとおり
 
  「呼」が先 「吐いて吸う」のが正しい順序。

だから 大げさに腕など使う必要などありません。


口をちょっと尖らすようにして

  息をしずかに しずかに 細くゆっくりと吐きます。

吐ききったらその反動で ことさら吸おうとしなくても

  新しい空気が自然に 急速に入ってきます。


だから 要は「吐ききる」ことだけをすればよいのです。

つまり 深呼吸ならぬ「深呼」だけで ・・・ じゅうぶんです。


このやり方だと 自然に腹式呼吸はできるし

  無理のない精神統一法にもなります。

また 歩きながら 乗りもののなかで 仕事のさいちゅうに など

  時と場所を選ばず いつ どこでも自由にできます。

ことさらの動作を必要としないからです。


「深呼」が無意識の癖になるほどになれば

・・・ 生命力のヴォルテージが一段とあがることは 必定です。