気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

長寿の条件 ・・・ 一生一事一貫

2010-07-26 18:30:28 | Weblog
とくべつの長寿者は例外なく

  すくなくとも つぎの三条件を満たしているようです。


1.飲食物の節制。

2.はたらくことが好き。

3.心が平和 クヨクヨ イライラしない。


1.と3.は常識的にわかることですが

  2.はあまり注目されない要件のようです。

だが 長生きの根本の秘訣は案外

  ・・・ このへんのところにあるのかもしれませんね。



  長生きはただ働くのほかになし

       流るる水のくさらぬを見よ



長寿者に共通することは

自分の生涯がそれにつながる仕事

  いわゆるライフワークをもっていたこと。

かつ 楽しみつつ これに取りくんできた ということです。


そこまで注目してはじめて

「流るる水のくさらぬ」という表現の味が

  よく理解できるというものでしょうね。


流れることは 水の本性です。

働くことは 人の本能です。


水は 一つの水路を絶えず流れます。

人においては 「一生一事一貫」というのが

  至福の人生であるらしい ・・・ です。


・・・ いま そんなことを考えてみました。





徳を積む ・・・ 値うち

2010-07-26 12:09:11 | Weblog
  積(つ)めよつめ財をつむより徳をつめ

          まことの徳は崩るることなし


「徳を積む」などは 当節はやらない言葉のようです。

ましてや「陰徳をつむ」に至っては。


こういう教えは多くの人の眼に

  古くさい道徳というふうに映るらしい。

だが そう見えることこそが

  いまの日本の憂うべき世相なのでしょう。



  値うちをば身につけんとは努めずに

    金のみあさる人の多さよ


いつの時代につくられた歌かわかりませんが

いまの世をズバリお叱りあそばしているようで

  ・・・ なかなか耳の痛いことです。


「値うち」とは 人間的 人格的値うちということで

  つまり 徳の高さ 精神的深さなどを指します。

拝金主義 物質主義の世相に流されて

  人としての内面的な充実や向上をなおざりにしてしまいます。


そういう人がひじょうに多いことを この歌は指摘し 嘆いています。


「財をつむ」こと自体がわるいというのではありません。

力量があって自然にそうなるのなら 大いにけっこうなことです。

ただ 財をつむこと自体が目的になってしまうと

  本末の転倒 人の道からそれることになります。


そういう姿勢で生きると 一時的な成功はありえても

  ・・・ 長くは身につかないものですね。





宝の手 

2010-07-26 09:21:51 | Weblog
動物は「動く」だけですが 人間は「働く」ことをします。


その労働は 動物にはない「手」でなされます。

頭脳労働 肉体労働 どちらであれ

  「手」をつかわないでできる仕事はありません。


手をつかうことの量

  すなわち人の一生の労働量ということでしょう。



  なきものを仕出す宝の手をもちて

     ただおく人ぞ愚かなりける


「なきものを仕出す」とは

  「無から有を創りだす」といったような意味です。


それのできる手とは 神秘とも宝といえるものですが

その尊い手をもちながら「手をこまぬいて」何もしない人とは

  なんとバカな野郎ではないか。

  頭でなくて 心がバカなのである。

これ以上もったいない話はない。

人にたいして 神にたいして まことに相すまぬことである ・・・。


「宝の手」という表現をよく味わい
 
  自分の手をジッと眺めたい ・・・ と思います。








銭金(ゼニカネ) ・・・ 腕(ウデ)

2010-07-26 08:18:20 | Weblog
  月雪も花も紅葉も銭金も

     わが身にあるぞ働いてとれ


落語などに描かれる江戸っ子の職人たちは

  「宵越しのゼニはもたねェ」などと言って

     金銭への執着がまったくありません。

人が心配すると 「ナーニ ゼニはここに入ってら」といって

  右腕の力コブのあたりをポンと叩きます。

職人としてのウデに自信があるのです。

  ・・・ そのウデを使えばゼニになる という意味ですね。


だが それとても

人のためにいい仕事をするから つまり生業に勉めるからこそ

  ゼニが入ってくるわけで ・・・

利己の心やなまけ心でやるのでは ゼニは入っても 少ないですよ。



江戸っ子の職人にはかぎらないのです。

人間みな 事情は同じことです。

「銭金わが身にある」から はたらきさえすれば生活はできます。


経済的に安定すれば 月雪花など 風流を楽しむ心の余裕もでき

  ・・・人間らしい生き方もできようといものです。



  それにつけても ウデですよ ウデ ・・・ 。




汚れに染まる ・・・ 気概

2010-07-26 07:18:04 | Weblog
エゴイズムの充満した まことに汚い世のなかです。


どんな仕事につこうと なんらかのムジュンや不潔はさけられません。

自分もまた多少なりと それらに染まらないわけにはゆきません。

ああ イヤだ と潔癖に考えつめたら

  遁世(とんせい)でもするしかテがなくなりそうですね。


遁世してみたとて 衣食住の資は要ります。

それらは 他人の労働によってつくられたものです。

ならば 遁世こそエゴの極というものです。


自分もまた汚れた世ではたらくことを 厭うことはゆるされません。

多少ぐらいその汚れに染まることを おそれてはならないのです。


・・・ 自分だけは汚れたくない というのは 小我の倫理です。



  世のために田に出てにごる清水かな


田んぼの水をみてください。

もとは清冽な岩清水でありました。

それがあえて田に流れでて 泥ににごっているのです。

世のために 米をつくるために

  みずから汚れることをいとわないのです。

むしろ よろこんで 田に出てにごっているのです。


・・・ 大我の倫理とは そういうものなのです。


「田に出てにごる」には

人のいやがる仕事を求めてする という含みもあると考えられます。


世のためになることなら 何だって よろこんでする

・・・ そういう気概をたたえた句であろう ・・・ と思います。






祈るヒマがあるなら ・・・

2010-07-26 06:18:49 | Weblog
生活の安定やら商売繁盛などを 神仏に祈る人がいます。


祈りはけっこうだけれど

それが欲心からのものであるなら

  ・・・ 汚いだけのものでしかありません。

神やホトケが聞いてくださるはずはありますまい。



  福の神祈る間(ま)あらばはたらいて

     貧乏神を追い出だせかし


祈るヒマがあるなら はたらけ

  そのほうが結果はよろしいゾ ・・・ と言っています。



  暁の社(やしろ)に欲を祈るより

     酒を楽しみそしてはたらけ


労働が本能であるなら

  欲心からの神社詣でなど 無用のことであるはず。

そういう人は

  酒を飲むというような本能をも 適当に発散させて楽しむ。

人生 要は楽しまなくてはならない。

労働こそは その楽しみの中核であるべし。


  ・・・ そう 教えているのでしょうね。





親心 ・・・ 人の道にそむく

2010-07-26 05:18:25 | Weblog
江戸時代に加藤枝直(えなお)という歌人があり

二人の子のために いろいろと教訓の歌をのこしています。

そのひとつ ・・・


  愚かさの親に似よとは思はねど

     教えおかるる子の行方かな


・・・ こんな至らぬ親に似てほしいと思うわけではないが

やはり親心として 子の将来を考えると

  自分なりに教えられることは教えておきたい。

そういう気持にかりたてられる ・・・
 

謙虚さと かつ 子を思う親の愛および責任感と

  ともにゆたかにあふれていて まことにいい歌ですね。

親たるもの みなこんな心で 子に対するべきではないでしょうか。


当節は親の自信喪失の時代だそうで ・・・

「愚かさの親に似よとは思わないから

  教えることはあまりしないでおく」という人が少なくないそうな。


こういうのは謙虚ではありません。

卑怯 怠慢というものです。

人の道にそむくことです。