気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

金持ちになれる法? ・・・ 5.主客転倒

2010-07-22 22:52:28 | Weblog
  あたら世に生まれ出ながらソロバンと

     台帳づけをして50年


むかしは「人生50年」といいました。

おカネとのつきあいだけで終わる一生のむなしさを

  この歌も指摘しています。



また


  命より大事がったるはした金


という川柳もあります。



人間サマがあくまで主人で 金銭は召使いにすぎません。


この主客が転倒して 人がおカネの奴隷になると

    ・・・ どうにもならぬ悲喜劇が生じるのですね。





金持ちになれる法? ・・・ 4.ムナシイ人生

2010-07-22 17:39:49 | Weblog
  金々(かねかね)さわぐうちにも年が寄り

         その身が墓に入相(いりあい)の鐘


金銭とは

交換経済の社会において 生きるための道具です。

必須の手段です。


それゆえ人は これの入手につとめるのだが

つとめているうち いつのまにか

これを入手することに情熱を燃やし

  金銭そのものが目的になってしまいます。

そして

「カネだ カネだ」とさわいでいるうち

いつしか年をとり

やがて 「その身が墓に入相(いりあい)の鐘」

つまり 死んでしまうということになります。


この歌の

「入」は 「墓に入る」と「入相(ゆうぐれ)」とにかけてあります。

また 歌の頭と末尾を「金・・・鐘」とくくるなど

  ちょっとした技巧をこらしてあり

これが この歌の調子の良さを生み出しています。



金々 ・・・ と 一生追いつづけたあげく

ゴーンというお寺の鐘の音とともに 一巻の終わりです。



さりとはまた ムナシイ人生 !
 
  ・・・ いったい何のために
 
        この人は長い生を 生きたのでしょうか ?





金持ちになれる法? ・・・ 3.手段が目的に

2010-07-22 09:51:45 | Weblog
江戸小咄(こばなし)に ・・・


町内の脚自慢の男が 息せきって疾走してくる。

「なんだ なんだ?」

「泥棒を追っかけてるんだ」

「その泥棒はどこだ?」

「あとから来る」 ・・・


走ることは 泥棒をつかまえるための手段であったはず

ところが 走っているうち 目的を忘れ

  走ること自体が目的みたいになってしまったのです。



だが 人はしばしば金銭にかんして

  これと同じお笑いをおかしているのではないのかナ?






金持ちになれる法? ・・・ 2.何のための人生?

2010-07-22 07:53:51 | Weblog
むかし 亡父のもとに出入りしていたある老企業家。

デッチ奉公から出発して一代で財を成した人で

  私財は少なくとも○○億でしょう?

覇気も 侠気もあるおもしろい人なのですが

  惜しいかな あまりに金銭にとらわれすぎます。

多弁な人ですが

10回口を開けば そのうち9回はゼニカネの話しです。

四六時中 のべつ金銭の話をしているというふうです。


この人を眺めながら 私は

「何のための人生なのだろうか?」

・・・ と よく首をかしげて考えたものでした。





金持ちになれる法? ・・・ 1.非情・非道 

2010-07-22 06:38:29 | Weblog
幕末の兵学者で 志士の一人でもあった佐久間象山に

「金持ちになれる方法はないでしょうか?」 とある人が聞いたそうです。

「たやすいことだ。片足あげて小便しなさい」

「ハテ? なんで犬のマネみたいなことを ・・・」

「さよう。人間らしくしていては 金持ちにはなれません」


偉人の逸話にはときたま

  後世の人の作り話が入っていることがあるものですが

この痛烈な警句 ・・・ 象山なら言いかねない と首肯されます。

富と人徳はとは しばしば矛盾 相剋するものです。

        ・・・ 象山は そこを指摘したのでしょうね。



人間性ゆたかな生き方をしていては

  特別の財がたまる道理がありません。

一代で大金持ちになるような人は

  なんらか非情・非道のこと

  人を泣かせるようなことをしてきたはずです。


例外はむろんあるでしょうが

       ・・・ だいたいそうしたもの と言えましょう。






   

ミニ宗教教団の危険 ・・・ 副作用・劇薬 

2010-07-22 05:32:54 | Weblog
多くの人は心身の調子が悪くなると 宗教教団に行くよりも

まずは 医療機関に行くか 対応してくれるサービス機関に行きます。


しかし 中には小さなサークルみたいな教団が

  ピッタリ合うという人はいます。

そこでは

すごく話を聞いてくれるし 似たような人もいるので

  自分の居場所ができたりします。


大きい教団より小さな教団のほうが 一人にかかる圧力が違いますし

  教団自体のフットワークも違います。


小さいほうが 信者同士ののつながり感が強いです。



ただ どんな宗教でも

宗教である限り 強い薬のような側面があるので

  ・・・ 副作用があることに留意しなければなりません。

特に

サークル的な教団や新しいグループは

  長い目で見るという視点が欠けていることも多いようです。

とにかく

今 目の前の苦悩を解決しようとして 先鋭的になるという傾向があります。



ほんとは

3年かかって悪くなった心身は

  3年かけてちょっとずつ様子を見ていくぐらい視点が必要です。

むしろ

調子の悪い状態に心身を馴染ませていく

  長い間つきあっていく という心構えも大切です。


つい劇薬が欲しくなりがちですが

       ・・・ そこは我慢のしどころだ という気がしますね。