気の広場

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行けぬかぎりは行け ・・・ 人生

2010-07-17 08:29:02 | Weblog
  君が行く道は一筋ひとすじを

     行けぬ限りは行けよとぞ思ふ


 尾上柴舟氏は、明治 大正 昭和の三代にわたって、国文学者 歌人 そして書家として活躍した人で、昭和32年に亡くなられた。

上記の歌は氏の作で 私が愛誦しているひとつです。



「行けぬかぎりは行け」に この歌の生命はあります。


一見 ムリなことを注文しているようですが

しかし

「行けるかぎりは行く」ぐらいのことなら

  人間だれでも ボンクラであっても実行できています。


カベにブチあたってもなお ・・・ それを破って進む。

かくあってこそ この生は 生きるに価するというものです。


自覚する しないにかかわらず

だれにとっても 人生は「ひとすじの道」です。

だから

「行けぬかぎりは行け」 ・・・ ということになるのです。







正道・邪道 ・・・ 2.大いに迷うべし

2010-07-17 06:18:08 | Weblog
問題は 何が正道で何が邪道であるのかということです。

その判別が容易ではありません。だから ・・・


  ともすればあらぬ方へとふみ迷う

     教えがたきは人の道なり


    という歌が生まれることにもなるわけですね。


何が正道であるかは

  人に教えられてわかるばあいもありうるけれど

つねにそうとばかりゆかず

自分の足でトコトンまで迷って 袋小路に追いつめられて

窮したあげく ゆくべき道のありかに気がつく

  ・・・ というケースもまた おおいにありえます。

いわゆる人生の岐路に立ったばあいは

  ・・・ まずは たいていこんなものです。


「努力するかぎり人は迷うものだ」

  とゲーテが言っているとおりで ・・・

迷って横道に入るから

  正道の所在をみずから悟ることができる

失敗するから 成功がありうる ・・・ のです。

いわゆる「負けておぼえる相撲かな」 ・・・ ですよ。


だから

ワザと横道に入ることはよろしくないけれど

まっすぐのつもりで横へ入ってしまったということなら

  ・・・ 大いに迷ってよろしい のです。

大いに迷うべし ・・・ ということでしょうね。




正道・邪道 ・・・ 1.人生相談

2010-07-17 04:46:53 | Weblog
  まっすぐにゆけば迷わぬ人の道

       横すじかいにゆきて尋ぬる


すじかい(筋交)は 斜めということです。



人の道というのは

  まっすぐゆきさえすれば迷うことなどないはずなのに

横着をして 横道や斜めの道に入ってゆくから迷ってしまいます。

そして

タバコ屋とか交番とかで 道を聞かなくてはならないことになります。

「ここは何番地でしょうか?」 とか

  「何丁目はどこですか?」 などと聞くうちはよろしいが ・・・


「私はどこへ行ったらいいんでしょう?」 と聞く人がいます。

マンガみたいですが ・・・

しかし 世の「人生相談」なるものを読んでみると

  こういう質問をしている人が多いようですね。



  習わじな沢辺の蟹(かに)の横にのみ

       行かばゆかるる道はありとも


という歌もあります。


ゆこうと思えばゆける横道があったとしても

蟹の横歩きのマネはしないで まっすぐいきましょう

  ・・・ ということです。


まっすぐゆくことが 正道

横道にそれることが 邪道

これらの歌は

  ・・・ そういうふうに説明しているのだと思います。





人の道 ・ ケモノミチ ・・・ 2.政治家

2010-07-17 02:54:08 | Weblog
政治家を政治家なるがゆえにエライと思うのではありませんが

かれらはいわば

  この社会の骨組みをつくることを任とする人たちです。


そういうかれらに誠が欠けるなら

社会全般に誠が乏しくなること やむをえぬ自然なでしょうね。


政治家たちに「まこと」や「まごころ」が

  乏しい現実(と、私は思いますョ)を

             ・・・ 情けなく感じるものです。



  絵にかきし餅は食われず世の中は

     誠でなけりゃ間にあわぬなり



選挙のたびに「公約」なるものをひっさげて登場あそばすかれら

この公約が「画餅」の見本のように見えてしかたがありません。


食えない餅をかいてみせて

「食わせてやる」と約束(?)して当選するのこそ

            ・・・ 誠がない何よりの証拠です。

そういう政治家は

  「間にあわん」そうです。 ・・・ 役に立たないといいます。


国民のあいだに政治への不信が広がるのも

            またやむをえないなりゆきでしょうか?


「誠の道ぞ人のゆく道」 ・・・

上に立つものが人の道を歩まず
 
  ケモノミチに近いような道を歩くのでは ・・・ この世は暗い。


もう少々でもいい ・・・ 誠の量をふやしてほしいものです。





人の道 ・ ケモノミチ ・・・ 1.誠

2010-07-17 01:54:17 | Weblog
「道」というコトバを

人間に肉体の足ではなくて 心がとおるべき道

倫理 道徳のスジミチという意味で用いるのは

  ・・・ 東洋に独特の現象でしょうね。


「人の道」というとき

それは 常に道徳面の心の道を指しています。


また

そういう形而上の道がありうるのは 人間の世界だけのこと。

「けものみち」などといって動物にも道はありますが

それはつねに物質的な道。

心の道というようなものは かれらにはありえません。



  梁(はり)つたう鼠の道も道なれど

           誠の道ぞ人のゆく道


「人の道とは せんじつめれば誠の道 それに尽きる」

  ・・・ と説いています。



誠とはなんぞや?

説明すればきりがなく けっきょく説明のしようがなく

そして 説明しなくたってわかる言葉でもありますね。

だから ヤボなセンサクはやめにして ・・・


ただ

「まこと」(真・実・誠)とか

「まごころ」(真心)というようなコトバが

  国語辞典において影がうすくなっています。


そういう世相の現実を

  指摘しておきたい ・・・ と思うのです。

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