気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

恩着せがましい 

2010-07-25 19:48:59 | Weblog
イソップ物語に こういう話があります。


狼が ノドに骨を立てた。

鶴にたのんで その長いクチバシで抜きとってもらった。

「なぜ礼を言わんか」と鶴が要求すると

「かみ殺されなかったことをアリガタイと思え」


どちらも 「恩を着せ」ているわけですが

この寓話にことよせて 人間にもおなじような手合いがいるゾ

  ・・・ と警告したのでしょうね。


恩着せがましいことをよく言う人がいます。

自分が人にしてやったことを さかんに強調するのです。

こう人にかぎって

自分が人から受けている恩には まったく鈍感です。

不感症といいたいほどです。 ・・・ 自己中心の身勝手というものです。



助けあいの世のなかです。

人と人はたがいに恩をかけあう関係にあります。

ならば 自分がしていることはさておき

  人から受けている恩にまず感じる。

  その深さを知る。

・・・ これが 無私ということで

みながそうあってはじめて 人の世の和は保たれるはずです。


ゆえに 次のような歌が詠まれたのでしょうね。


  世のなかに人の恩をば恩として

       わがする恩を恩と思ふな



エゴイズムがまかり通る世では

  「献身」ということが 自己犠牲と錯覚されやすいです。


しかし

人の世の本質をよく把握するならば

  「献身」こそが 自己を生かすことであるはずです。


「よきように使ってください」と自分を世に放りだすから

  自分というものが生かされるのでしょう。



  人をのみ渡し渡しておのが身は

     岸に上がらぬ渡し守かな



自分のことより 人のことを考える。

そういう行いのできる人に 恩を着せる心はまったくなく

  ・・・ 事実においては 人に多くの恩を施しているのです。














テング ・・・ オレが オレが

2010-07-25 16:19:23 | Weblog
人間は とかく我のつよい生きもので

「オレが オレが」という気持にとりつかれやすいものです。


優越欲という妙な欲から 多くの人は脱しえていないものです。

その欲がすこしでも満たされると

  テングになって 自慢を口にしたがります。

このちっぽけなオレを誇るのです。


「井のなかのカワズ 大海を知らず」というとおり

こういう人は例外なく

せまい世界で自他をくらべ ちょっとばかり自分がまさっているというので

  ・・・ テングになっているにすぎません。


ほんとうに力量のある人は

  広大な世界を知っているので とても高慢にはなれません。

・・・ 謙虚たらざるをえないのです。


・・・・・ 。






いまの政・財界は小物ばかり ・・・

2010-07-25 14:47:04 | Weblog
「命もいらず 名もいらず 官位も金もいらぬ人は

    始末にこまるものなり。

  この始末にこまる人ならでは

    艱難をともにして 国家の大業はなしえられぬなり」とは

大西郷遺訓のなかの有名な一節ですが ・・・


西郷隆盛においては これは観念論ではなくて

かれ自身がほんとうに そのような始末こまる人であった

  ・・・ らしいのです。



こういう始末にこまる大物が たとえ数人でも

  いまの政・財界にいてくれたら ・・・ と思ってみることがあります。


だが 考えなおしてみると

そういう人が もしいたとしても ・・・

いまの世の時勢に合わず

  野(や)にかくれて黙っているしかないのかもしれません。


世の仕組みが
 
  そういう人物を表に押しだすようにはなっていないのでしょうね?

だとしたら
 
  時勢そのものが情けない ・・・ ということにもなりますよ ね。






恥を知れ ・・・ 4.ひとり

2010-07-25 12:47:24 | Weblog
  あめつちのなかに我あり一人あり  (吉川英治)


中江藤樹の語録には

  「天地の間 おのれひとり生きてあると思うべし」

という言葉があります。


さきにあげた句は

大衆作家として鳴らした(故)吉川英治氏の作ですが

期せずして 同一のことを言っているのがおもしろいですね。


「ひとり」とは どういう意味でしょうか。

重大な三文字であって あるいは人生問題のカナメが

  このへんのところにあるのかもしれませんね。


「人間はしょせん孤独なのだ」という悟りでしょうか。

それもないではあるまいが ・・・
 
しかし とてもそんな小さな意味ではなさそうです。


「独立自尊」をたたえる意味も むろんありましょうが ・・・

しかし

漢字のこの四文字 とても「ひとり」の深さ 大きさには及びません。


思いだされるのは 西郷隆盛の

  「人を相手にせず 天を相手にせよ」という遺訓です。

案外このへんが

  ・・・ この句のココロにいちばん近いのではないでしょうか。


自分一人と大天地とが 一対一で対面しあう。

そういう心で生きる。

  そのときはじめて 真の自己確立をなしうる。

・・・ そういう含みに受けとることができるような気がしますね。



ちなみに 吉川英治氏は じつに謙虚で 徳の高い人であったそうです。






恥を知れ ・・・ 3.天地に恥じぬ

2010-07-25 11:30:45 | Weblog
  世のなかの人は知らねど科(とが)あらば

     わが身を責むるわが心かな


良心にも大小 深浅のちがいがあります。

おそろしいのは 煩悩によってそれが曇ってしまうことです。

いわゆる「良心のマヒ」です。

これが普遍的になると

国も人類もアブナイ ・・・ ということになります。



平野国臣 獄中の作。


  とらわれの身となりながら天地(あめつち)に

     恥じぬ心ぞ頼みなりける


心の磨かれた人においては

「良心に恥じぬ」と「天地に恥じぬ」はひとつのことです。


投獄されるということは

  世間には(外にたいしては) 不名誉なこと。

だが 内に神性の月が輝き それへの信あるゆえに

  低次元の恥感覚にとらわれることがないのです。


  外に恥じ外につつしむ人はただ

          影をおそれて走るなりけり

                       (中江藤樹)

「影をおそれて走る」ことがなくてすむのですね。










恥を知れ ・・・ 2.良心

2010-07-25 10:21:43 | Weblog
  我(われ)と我(わ)が心に恥ずるものならば

          恥ずべきことのなき身とぞなる

                       (中江藤樹)


  外に恥じ外につつしむ人はただ

          影をおそれて走るなりけり

                       (中江藤樹)

藤樹の歌をかりれば

「内に恥じるか 外に恥じるか」ということです。


かれはむろん 「内に恥じよ 外に恥じるな」と教えています。

「外」は 他人 あるいは いわゆる世間のことです。

「内」は 自分自身の良心ということです。


良心とは 自分ひとりの所有物なのではなくて

自分の奥に内在する神性の声

  普遍的な宇宙の理性ともいうべきものです。


つまり 真我ということで それを相手に

  それに恥じることなきよう 心がけて生きよ。

それに恥じないなら 人の批評など どうでもよろしい。

対世間的な恥の意識など もつ必要はない。


  ・・・ 藤樹の教えるところは そういうことなのでしょうね。






恥を知れ ・・・ 1.恥の感覚

2010-07-25 09:23:40 | Weblog
  我(われ)と我(わ)が心に恥ずるものならば

          恥ずべきことのなき身とぞなる

                       (中江藤樹)


  外に恥じ外につつしむ人はただ

          影をおそれて走るなりけり

                       (中江藤樹)


 中江藤樹は 江戸時代前期の儒学者で、日本における陽明学の祖ともいわれる人です。
伊予(愛媛)の加藤候につかえたのち、郷里の近江(滋賀)にかえって私塾を開き、教育に専念しました。
世人からその徳を仰がれ、近江聖人と呼ばれたことは有名です。



この二つを並べてみると
 
かれの言わんとするところが おおよそわかると思います。


「ユダヤ人は罪の意識 日本人は恥の意識のもっとも敏感な民族である」

と ある本で読んだことがあります。


この判断の正否はさておき ・・・

日本人ならずとも

人間みな「恥」の感覚なくして生きることは 不可能といえます。


「恥を知れ」

「この恥知らずメが・・・」など よくつかわれる言葉ですね。



問題は 「誰(何)にたいして恥じるのか?」ということです。

恥の感覚にも次元の高低がある ・・・ と言えましょう。


さて ・・・ 。






身をまもる ・・・ 4.経済的破綻

2010-07-25 08:22:46 | Weblog
「身をまもる」の第二は
 
  経済的な破綻をきたさないことでしょう。


借金で首がまわらなくなるというようなことは

  ぜったいにあってはなりません。

誠の道をさえ歩んでいれば そういうことは生じえないはず

  ・・・ と思うのですが いかがでしょうか?



金もちになる必要はありません。


西郷サンがいったように 「児孫ニ美田ヲ残ス」必要もありません。


生きているあいだ 衣食が足りれば ・・・ それでよいのです。


要は 人に迷惑をかけぬことで ・・・ それさえ実行できるなら

「身をまもる」の最小限は果たしていることになりましょうね。








身をまもる ・・・ 3.長生き

2010-07-25 07:00:34 | Weblog
福沢諭吉翁は

「天寿を全うするは人の義務なり」と言っています。


「長生きしたい」ではなくて

「長生きしなくてはいけない

  それが 自分を創ったもの(神)への務めだ」と言うのです。


「誠の道ぞ人のゆく道」という その誠は

  まずわが体に向けられなくてはならないようです。


日ごろ不節制をして 病気になると医者に頼る クスリに頼る

  ・・・ とても「身をまもる」姿勢ではありえませんね。





身をまもる ・・・ 2.健康を保つ

2010-07-25 06:13:30 | Weblog
「身をまもる」の第一歩 その基礎工事は
 
  自分の健康を保つことです。


わが肉体のあつかいかたにも 倫理というものがあります。


このストレスの時代において
 
  完全なる健康をたもつことは夢物語かもしれませんが

周囲の人に迷惑をかけないていどの健康なら

  自覚と努力によって だれでも身につけうると考えられます。

いや 「身につけなくてはならない」のです。 それが「道」です。


陽明学の祖 王陽明は

「身を養うと徳を養うとはただこれ一大事」と言っています。

意訳すれば 「不健康であることは徳が低いこと」という次第。


しかし

健康は 自己完成の要件なのですから

  きびしすぎることを言っているわけではないでしょうね。





身をまもる ・・・ 1.道

2010-07-25 05:14:56 | Weblog
  思いみればこの身のほかに道はなし

       身をまもるこそ道を知るなれ


「身をまもる」の一語 ・・・ なかなか意味が深いと思います。

単なる保身というていどの意味であろうはずがありません。


道 道 ・・・ いくら探し あるいは論じてみたとて

  この自分自身の外にそれがあろうはずはありません。


それをわが身に体現できてはじめて 真に道を知るといえるのです。


歌の意味は ・・・ そんなところでしょうか。


ゆえに

「身をまもる」とは 肉体と心の双方をふくめて

  「この自分を全(まつと)うする」

         というほどの意味と考えられます。


そこまでゆく努力をしないなら

人の道は それこそ「画餅」にとどまることになるでしょうね。