イソップ物語に こういう話があります。
狼が ノドに骨を立てた。
鶴にたのんで その長いクチバシで抜きとってもらった。
「なぜ礼を言わんか」と鶴が要求すると
「かみ殺されなかったことをアリガタイと思え」
どちらも 「恩を着せ」ているわけですが
この寓話にことよせて 人間にもおなじような手合いがいるゾ
・・・ と警告したのでしょうね。
恩着せがましいことをよく言う人がいます。
自分が人にしてやったことを さかんに強調するのです。
こう人にかぎって
自分が人から受けている恩には まったく鈍感です。
不感症といいたいほどです。 ・・・ 自己中心の身勝手というものです。
助けあいの世のなかです。
人と人はたがいに恩をかけあう関係にあります。
ならば 自分がしていることはさておき
人から受けている恩にまず感じる。
その深さを知る。
・・・ これが 無私ということで
みながそうあってはじめて 人の世の和は保たれるはずです。
ゆえに 次のような歌が詠まれたのでしょうね。
世のなかに人の恩をば恩として
わがする恩を恩と思ふな
エゴイズムがまかり通る世では
「献身」ということが 自己犠牲と錯覚されやすいです。
しかし
人の世の本質をよく把握するならば
「献身」こそが 自己を生かすことであるはずです。
「よきように使ってください」と自分を世に放りだすから
自分というものが生かされるのでしょう。
人をのみ渡し渡しておのが身は
岸に上がらぬ渡し守かな
自分のことより 人のことを考える。
そういう行いのできる人に 恩を着せる心はまったくなく
・・・ 事実においては 人に多くの恩を施しているのです。
狼が ノドに骨を立てた。
鶴にたのんで その長いクチバシで抜きとってもらった。
「なぜ礼を言わんか」と鶴が要求すると
「かみ殺されなかったことをアリガタイと思え」
どちらも 「恩を着せ」ているわけですが
この寓話にことよせて 人間にもおなじような手合いがいるゾ
・・・ と警告したのでしょうね。
恩着せがましいことをよく言う人がいます。
自分が人にしてやったことを さかんに強調するのです。
こう人にかぎって
自分が人から受けている恩には まったく鈍感です。
不感症といいたいほどです。 ・・・ 自己中心の身勝手というものです。
助けあいの世のなかです。
人と人はたがいに恩をかけあう関係にあります。
ならば 自分がしていることはさておき
人から受けている恩にまず感じる。
その深さを知る。
・・・ これが 無私ということで
みながそうあってはじめて 人の世の和は保たれるはずです。
ゆえに 次のような歌が詠まれたのでしょうね。
世のなかに人の恩をば恩として
わがする恩を恩と思ふな
エゴイズムがまかり通る世では
「献身」ということが 自己犠牲と錯覚されやすいです。
しかし
人の世の本質をよく把握するならば
「献身」こそが 自己を生かすことであるはずです。
「よきように使ってください」と自分を世に放りだすから
自分というものが生かされるのでしょう。
人をのみ渡し渡しておのが身は
岸に上がらぬ渡し守かな
自分のことより 人のことを考える。
そういう行いのできる人に 恩を着せる心はまったくなく
・・・ 事実においては 人に多くの恩を施しているのです。