気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

足るを知る技術 ・・・ 1.宝船

2010-07-23 23:06:17 | Weblog
欲望には限りがありません。

ところが 満たされる量は限られています。

不平不満や羨望にとりつかれて 心の安らぎが失われることになります。


これは不幸というものです。

こういう不幸に陥らないためには

  自分の欲をコントロールする必要があります。


そのコントロールの技術の一つとして

むかしから 「足るを知る」(知足)ということが説かれてきました。

もっとほしいではなくて 「これでいい これで十分なんだ」と考える

  ・・・ そういう思いかたの技術です。


  足ることを知る心こそ宝船

       もののかずかず積みおかずとも





牛のように ・・・ 小智忙々 大愚閑々 

2010-07-23 21:02:29 | Weblog
じつにもって あわただしい世の中です。

こうこう世にもまれながら生きていますと

自分の心もまたあわただしくなり

  なんとなく「先を急ぐ」気持にかりたてられます。


忙しいことはしかたありません。

ただ 体や頭をいかに忙しくつかっていても

  心までがさわがしくなってはいけません。

心はつねにユッタリ、冷静水のごとし でなくてはなりますまい。


「小智忙々 大愚閑々」といいます。

どうでもいいような枝葉末節のことに気や神経をつかうから

  心がさわがしくなります。

バカになって 小さなことを切り捨ててしまえば

  心は悠々閑々としてきます。


世の中の人たちが 奔馬のように走りまわっていても

自分は 牛のようにヨダレを

  ・・・ ヨダレは垂らさんほうがよろしいが

とにかく牛のようにゆっくり ノッシノッシと歩いていきましょう。


大切なのは 歩みの速さではなくて 怠らないことだと思います。



  怠らずゆかば千里の外も見ん

       牛の歩みのよし遅くとも


俗に「運・鈍・根」といいますが

そのうちの鈍と根を牛に象徴させています。

牛のように遅歩でいい ・・・ 根気と忍耐力さえあるなら

  いつか運の加勢もある ・・・ ということでしょうね。




最高のパワースポット ・・・ 身近に

2010-07-23 15:11:05 | Weblog
 橘曙覧(たちばなあけみ)は 幕末の越前(福井)に生まれた国学者であり、歌人としても優れていた人です。
 この人に『独楽吟(どくらくぎん)五十二首』という作があります。
すべて「たのしみは・・・」で始まり、「・・・のとき」と結んでいます。
自分日常生活のなかから、楽しいことを探し出しては歌にしたわけですが、これを見ると、人生の楽しみ(癒し)というものは、日常の平凡な、なんでもないことのなかにこそある ・・・ ことがわかります。

 まさに 最高の「パワースポット」は身近な日常生活、家庭のなかにこそある ・・・ と思います。
 パワースポットを求めて遠方に出かけることが、むしろ愚かしいとさえ思えてきますね。



 紹介します ・・・


  たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどい

       頭(かしら)ならべてもの食ふとき



 また 「楽しみ(癒し)は」を略して紹介します ・・・


三人(みたり)のこどもすくすくと大きくなれる姿みるとき

まれに魚煮て子らみながうましうましと言ひて食ふとき

珍しき書(ふみ)人に借りはじめ一枚(ひとひら)ひろげたるとき

朝起き出でて昨日までなかりし花の咲ける見るとき

人も訪(とき)来ずこともなく心を入れて書を見るとき

空あたたかにうち晴れし春秋の日に出でてありくとき


   ・・・ など。





よろこびを探す方法 ・・・ 3.気をとめて

2010-07-23 08:35:16 | Weblog
人間は我ままな生きものですから

  不平のタネは容易に いくらでも探しだしますが

よろこび 楽しみ 感謝のタネは気がつきにくいものです。


しかし こちらのほうもまた探せば

  無限といってよいほどに見つかるものです。



  気をとめて見ればこそあれ武蔵野の

     千草にまじる花のいろいろ


「みればこそあれ」は

  「見ると(花のいろいろが)ある」ということです。

「気をとめて」が大切で

「なに気(げ)なく」見るのでは 見えるべきものが見えなくなります。


これと同じことで

よろこびや感謝のタネという花も 気をとめてよく探したら

  いろいろなものがいくらでもあることが わかります。


気をつけないでボンヤリ暮らすから

  草ボウボウの味気ない暮らしになってしまいます。

そして 心が不平の方向ばかりに向かうことになりますね。



  ・・・ まことに もったいないハナシです。





  

よろこびを探す方法 ・・・ 2.タネを探す技術

2010-07-23 06:46:40 | Weblog
  春は花夏は青葉に秋紅葉(もみじ)

       冬は裸木(はだかぎ)美しきかな


この歌は 不平屋の心の姿勢とは逆に

楽しみやよろこびのタネを探す技術の一つの例を

  四季おりおりの植物を材にとって教えています。


「眼を楽しませてくれるもの」は年じゅう いつの季節にもあります。

それだけに心をおいて眺めていれば 常時生活は楽しいです。

心をその方向にむけることが 生きる知恵であるというのです。


心にそういうクセが完全についてしまえば ・・・

これはもう ・・・ 

  達人の境地 幸福も悟りも 手中にあるわけですね。







よろこびを探す方法 ・・・ 1.不平屋

2010-07-23 05:36:39 | Weblog
苦に敏感な人は いわゆる「不平屋」でもあるのでしょう。

「ああ苦しい。イヤだ」と思うこと自体

  ひとつの不平にほかならないからです。


不平屋は何につけても 不平のタネばかり探します。

そういうふうに心のクセがついています。

要するにワガママなのですが

そういう姿勢で万事をみれば

  不平のタネは無限にころがっているものです。


たとえば 四季についてみても

春は 眠くて だるくて ボンヤリするからイヤだ。

夏は 暑いからイヤだ。

秋は わびしくてセンチになるからイヤだ。

冬は 寒いからキライ。


こんなふうに見るなら 年がら年中不愉快な季節ということになります。

楽しいときは ひとときたりともありえません。

日本を脱出してどの外国に住んだとて

  快い季節はありえないでしょうね。



職場についても同じことで

外勤は 体をつかうし 人づきあいが多いからイヤだ。

内勤は 仕事がじみでウットウシイからイヤだ。


不平のタネを探せば こういうことになりかねません。


不平屋には

  安住の地がありえない ・・・ ということです。