安藤先生の月刊ブログ 「きらめき」

何気ない毎日に"きらめき"を感じていますか?

守りたいもの

2014年01月06日 | 月刊ブログ
 明けましておめでとうございます。本年も、皆様にとって佳い年でありますように、お祈り申し上げます。

 今年は、2年ぶりに年賀状を出すことができました。元旦には親類、知人からもたくさん年賀状をいただきました。何年も会うことのできない人や、遠く離れている人でも、年賀状での交流はほっと一安心です。
 最近では、自宅のパソコンで思い思いのデザインを使ってオリジナルの年賀状を作ることができます。さらに宛名までも自動で、なおかつ毛筆体で美しく印刷されます。便利ですね。しかしながら、いただいたものを見ると、うれしいけれど何となく寂しくなることもあります。
 私も、裏のデザインは印刷ですが、必ず表の宛名は、自分で書くようにしています。そして、一筆近況報告だったり、健康を祈る言葉を添えています。せっかくだから、私らしさを出して、心を込めたいなと思っています。
 
 本校では、卒業年次生のパソコンの授業で、各先生に年賀状を作成して届けてくれます。授業の課題であっても、一人一人の個性あふれる年賀状は、とてもうれしいものです。学生たちは、それぞれに一筆書き加えてくれています。「お世話になりました」とか、「世界史苦手でした」とか、「面接練習ありがとうございました」とか。これなら社会に出ても安心です。きっとみんなにかわいがられることでしょう
 
 日本で「年賀の書状」が取り交わされるのは、7世紀後半以降のことだと言われています。
 古代のエジプトやメソポタミアでも年頭のあいさつはなされていたようですが、さて、1月1日がいつだったかということから調べなければなりません。エジプトは太陽暦、メソポタミアは太陰暦ですから。
 年賀状には、まず「暦」がいりますね。そして「紙、文字、配達する人」、これらの普及からです。江戸時代に「飛脚」がうまれ、明治になって「郵便制度」が確立して、一気に定着したのだそうです。
 戦中戦後、一時自粛されましたが、それが現在のように発展したのには、ある一人の民間人の当時思いもつかないアイディアだったそうです。

 今では、当たり前になっている官製のお年玉くじ。この制度が始まるのは、1949(昭和24)年。戦後の混乱の時、とても年賀状どころではなかった時代です。
 京都在住の全くの民間人、林正治氏(当時42歳)が、「年賀状が戦前のように復活すれば、お互いの消息もわかり、うちひしがれた気分から立ち直るきっかけともなる」と考え、このアイディアを思いついたそうです。「年賀状に賞品の当たるくじをつける。」「料金には寄付金をつけて社会福祉に役立てる。」林氏のそのアイディアは、紆余曲折を経た後、採用が決定。世界にも類を見ない制度が実現するのです。
 平成に入っても増加を続けた年賀郵便ですが、現在は、微減傾向が続いていると言います。しかし、現在でも国民1人あたり約35通の年賀状が出されているというのはすごいですね。

 このように見ていくと、年賀状は、日本人が育ててきた文化であり、一方で、大戦時の激減が物語るように、平和な世が続くことの証しでもあります。互いの息災に感謝しつつ、自分や家族や友人たちの1年の健康と幸せを願う年賀状。
 除夜の鐘と同時に一斉に送る「あけ、おめ」のメールや「LINE」もいいけれど、人を思うやさしさや思いやりを失わず、受け継がれた文化を守っていきたいなと、久しぶりに取り交わす年賀状を見ながら思いました。

 今年も素晴らしい1年になりますように。

 photo by mizutani

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